クリスマスソング


大月に着いて、「さすがに寒いねー」と美佳子が頸をすくめた時に思いだした。
佑哉はプレゼントの包みを渡した。
尾行している妹は溜息を吐く。
「今さらだけど、どうしていちいちださいのかな。
男が女に贈り物をするんだから、マフラーなんかかけてあげるものなのに」
そうだったのか……辰也は自分も知らないとは言えないので、3月のホワイトデーでは参考にしようと思った。

えへへ…と照れ笑いしながら、美佳子が佑哉の腕をとった。
そのまま寄り添って歩く。
「なんか…恋人同士みたいだね」
「うん」
知り合いに会うことがない安心感だろうか、
美佳子がいつもよりずっと近くにいるのは、佑哉としても嬉しかった。
このままでいたくて、人気のないところへ連れて行こうと思った。

「雰囲気、良いじゃん」
「まあね。あれでどうしてキス一つできないんだろ?」
「そりゃあ、さやちゃんのお兄さんだから…だ…
紗耶香はムッとして辰也を睨みつけた。
その通りなのだが、人に言われたくない。

しばらく無言で歩いた。
寄り添う気持ちの良さから、人のいない方へ歩を進めたものの、何をしようという気もなかった。
「…あのね」
「うん?」
「……やっぱり、いいや」
「なんだよ? 言いかけておいて」
「だって、笑われそうなんだもん」
「笑わないから」
「……んー」
「俺を信じろ!」
「はははは。大したことじゃないから」
「気持ち悪いなあ」
「本当に大したことじゃないんだって。あのね…昨日、イヴだったでしょ。
一緒にいたかったな、って……そんなこと思ったの初めてだから…自分でもビックリしちゃった」

その時初めて彼女の目元が少し腫れていることに気が付いた。
短くした髪の印象が強くて分からなかったのだ。
「ごめん……」
「だからねっ、だから…!」
うなだれてしまった佑哉を覗き込みながら、美佳子が慌てて付け加える。
「ひとりで泣いててもヘンじゃないけど、ひとりで笑ったらおかしいでしょ。
今日は2人で、いっぱい笑うつもりで来たの」
「……あ…」
まともに見つめ合ってしまい、2人とも真っ赤になった。
「恥ずかしいこと言っちゃったー!」

妹の言う通りじゃないか、
俺はとてつもないバカだ――

論文の都合があったことは確かだが、それは口実だった。
男子の仲間に「初めての恋愛に舞い上がっている」と思われるのが恥ずかしかった。
だから、わざと、美佳子よりも中納達との約束を優先した。
そんなに夢中になっているわけではないというポーズをとり続けた。
彼女本人にはきちんと素直に伝えるべきだ。

佑哉は空いている方の腕を伸ばして、美佳子の肩を引き寄せた。
向き合う格好になる。
驚いたように見上げた顔に、己が顔を近付けていく。
彼女の瞼がゆっくりと閉じられるのを見た。

美佳子さん、
一緒に笑おう。
今日だけじゃなくて、これからも、
ずっと
いっぱい――

口に出すのは苦手で、彼女のようにストレートに思いを伝える自信もない。
だから、少しでも彼女が思いを汲み取ってくれるように、きつく抱きしめた。

「さやちゃん、行こう」
辰也が紗耶香の手を握った。
「うん」
2人は建物の陰から離れた。
「お兄さん達、今晩は泊まりかな」
「そうだね」
「俺達も泊まっていこうよ」
「ダメダメ。鉢合わせたら大変」
「まさか、それはないだろう!」
「ううん。お兄ちゃんの間の悪さは並じゃないから」
紗耶香が奇妙な自信を持っているので、辰也も残念そうに黙った。
「東京へ戻って飲み直そうよ」
「うん、そうしよう!」
紗耶香達は手を繋いだまま駅へと向かった。
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天鳥で出された炭酸飲料がシャンパンだと気付いた時は遅かった。
さすがに人目のあるところで抱き上げられはしなかったが、海野に縋って、ほとんど抱えられるようにして出たのは、屈辱的だった。
「休んでいこう」
海野の言うことに一も二もなく賛成した。
苦しくて、早く横になりたかったのだ。

海野に連れられてホテルに入った。
横にはなったが、眠れるはずはなかった。
気が付いたら、涼は生まれたままの姿にされ、コートを着たままの海野に見下ろされていた。

「綺麗だ…素敵だよ、涼……可愛い」
涼の唇や首筋、乳首にキスを落とすたび、海野は1枚ずつ服を脱いでいった。

男同士のこんな行為は間違っている。

ちがう! ちがう!
声にならない叫びはだんだん小さくなり、痛みとない交ぜになった性感に取って代わられる。
まだアルコールが残っているとはいえ、自分は男の身体なのに、どうして航一の雄を受け入れられるのだろう?
処女の痛みもこういうものだろうか?

何度か女と寝たことはあるが、こんな際限のないセックスは知らない。
自分はどうなってしまうのだろう?
男としておかしいのではないか。
抱かれている時は痛みがどこかに紛れてしまうが、患部が一進一退を繰り返すのは、
――この行為は涼にとって自然なものではない――
と保証してくれているようで、むしろほっとした。

崩れ落ちるように2人が眠ったのは早朝のことだった。
後ろから涼をしっかりと抱いて、海野は腕の中の幸せを実感していた。

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まだ半分眠ったままの涼を彼の家に送り届けた時は、正午を過ぎていた。
涼はベッドに横たえられると、また眠ってしまった。

局部がズキズキして、再び目が覚めたのは日が傾いた頃だ。
海野が手当てしてくれたはずだが、やはり痛い。
医者に診せた方が良いのだろうか?
姉の同級生にまだ医者はいないはずだ。
今のうちという気もする。
ただ、母と姉には知られたくない。

涼はそろそろと起きあがった。
専用クッションを持って、階下へ降りていった。
幸い、姉は出かけていた。
両親はのんびりと師走の風景を映し出すテレビ画面を見ていた。
よかった……あとは母がトイレに立つのを待てばいい。
その隙に言うのだ。「父さん、保険証貸して」
涼は椅子に専用クッションを置き、父の方にそれをずらした。

待つこと1時間弱、ついに母が腰を上げた。
それと同時に電話が鳴った。
立ち上がったついでで、母は電話を取ってしまった。

「もしもし…あ、なんだ、美佳子」
父がハッと電話の方を向いた。
「え? 大月?……それは、また…。ああ、うんうん、わかった。
そのくらいならいいわよ。もう美佳子も大人だし、佑哉君なら安全でしょ。
そう?…じゃ、気を付けて」
母は電話を切ると、姉が日付の変わる少々前くらいの時刻に帰ってくるのだと、にこやかに言った。
「どうしてそんなに遅くなるんだ?」
父が不機嫌になった。
「大月にホワイトクリスマスを見に行って、向こうでご飯食べてくるんだって」
「この寒いのに、大月か?」
「こっちが雨だからでしょ」
母は取り合わずにトイレに行ってしまった。

あんな得体の知れない男と一緒で、姉が「安全」であるわけがない。
父も同じ考えのようだ。
――よかった…。俺の「男」としての感覚は正しい。――
「せめて、俺が駅まで、みかねえを迎えに行こうか?」
「そうだな、その方が良い。母さんに言うとまたうるさいから黙って行けよ」
「分かった」

昨日はあんなに姉を悲しませておいて、今日は今日で深夜まで連れ回している。
なんて身勝手な男だろう!
姉も姉だ。
大人しく振り回されているなんて、姉らしくもない。
………
唇を噛んで立ち上がった涼の頭の中から、保険証のことはすっかり消えていた。

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「佑哉君が一緒なら安心だって」
美佳子が、携帯を折り畳みながら、笑顔を見せた。
「そう…」
佑哉も、緊張から解放されて、微笑んだ。

安心して娘を託すことのできる男として認められていたのか。
少々意外な気がしたが、素直に嬉しかった。
チラと「悪いことはできないな」という思いが頭を掠めた。

どうやって悪いことができるというのだ?
今度は「ワル」を気取りたがっている自分に苦笑する。
力は彼女の方が強いし、何と言っても空手の技がある。
彼女の弱点と言えば、極端に酒に弱いことくらい。
しかし、彼女は自分の適量を心得ていて、グラスビールを半分飲んだところで「制限いっぱい」と言う。
強いて飲ませたとして、「気持ち悪いよう」と涙目になっている彼女を前に何ができるのだ?
平謝りに謝りながら、彼女の背を撫でるのが関の山だ。

結局、どういう状況になったとしても、悪いことなんかできやしない。
だから、彼女は俺を信じ、彼女の家族もそれを分かってくれたのだ。

むしろ
―いつもの知的な瞳に、ほんのりとセクシャルな色を孕み、
俺の名を呼んで、首筋に腕を絡めてくれるなら―
そんなふうに「はじめて」を迎えたい。

「佑哉君」
そう…俺の名を…
でも、まだ生硬な声だな。
「佑哉君たら!」
………?
「ぼーっとしちゃってどうしたの? ね、お酒はどうしますか、って。
佑哉君はどうしますか?」
「あ、あ、あ! 俺も止めとく」
オーダー中だったのを、忘れていた。

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新宿到着は11時を過ぎる。
美佳子を窓際に座らせ、佑哉は通路側をとった。
ギリギリまで一緒にいたいという思いは彼女も同じ筈だ。
深夜まで引き留めたのだから、責任を持って送っていかなくては、と思う。
怖い思いをさせないように、守りたい。
実際、暴漢に襲われたら、撃退するのは彼女の方かも知れない。
情けない話だが、認めざるを得ない。
だから、男が傍にいることによって、不届き者を牽制する……。

「…佑哉君、また考え事?」
「あ…ごめん。いや…強い男になりたいなーと思って」
佑哉が弟のようなことを言いだしたので、美佳子は涼が天鳥で余計なことを言ったのだと思った。
「うちの弟、ホントにばかだから、気にしないで。
私、佑哉君て強い人だと思う」
「え?…俺は弱いよ」
「腕力とは違うよ…。
ね、男性の筋力ってなぜ進化したのかな?」
「それは、女性を守るためだろう」
「何から?」
「女性に暴力を振るおうとする不届き者だ」
「私もそう思う」
だから、十分に君を守れる、強い男になりたい。
「女を巡る争いに有利に作用する方向に進化したってことよね。
でも、今は強さって筋力だけじゃないでしょう。
筋力だけを基準に取られると、反発するのよ、私。
それに、私だったら、守ってもらうより、話をしたり一緒に楽しんだりする方がいいなあ」
うーーーん?

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新宿までがあっと言う間で、夢見心地のまま乗り換えた。
美佳子は、佑哉を見送った後、駅から(近距離で嫌がられそうだけど)タクシーを使うつもりでいた。
「佑哉君…?」
「送らせてよ」
美佳子が頬を染めて頷くのを確認した。

地上までの階段をじゃれ合いながら上がっていった。
誰もいなければ、肩を抱いてもいいかな?
佑哉は辺りを見回した。
…よりによって、彼女の弟が近付いてくる。
美佳子が電話していて、家族は到着時刻を知っている。
だから弟が迎えに来てもまったく不思議はないのだが…
俺を信じてくれたんじゃなかったのか?

涼は近付いてくると、いきなり姉の腕を引き、佑哉から離した。
何か言う間もない、佑哉は次の瞬間に殴られていた。
涼の拳は佑哉の頬骨のあたりにヒットしたようだ。
佑哉の背中はコンクリートの壁に激突し、身体全体が前に跳ね返った。
その直後にぐいとのど元を引かれた。
胸ぐらを掴まれたのだ。
うわ!
彼はもともと非行少年だ、佑哉よりもよほど腕力がある上に喧嘩慣れしている。
パァーン!
しかし、胸元の手はすぐに離れた。
佑哉は突然のことに尻餅を付いた。

「いい加減にしなさい!」
弟は頬を押さえ、目を見開いている。
姉が弟を平手打ちにしたのだった。

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姉は実の弟よりも、あの得体の知れない男を選ぶというのか。
信じられない!
弱いくせに、深夜まで姉を連れ回した…あんな無責任な、モヤシ男!

家に帰りたくなければ、頼れるのは海野しかいなかった。
連絡すると、彼はすぐに迎えに来た。

勝手知ったる海野の部屋に入った。
ツンと鼻を突く匂いがした。
涼は海野を振り返った。
海野は小さく溜息を吐いて、ゆっくり頭を振った。
それから、彼はカラーボックスの奥に手を入れてガサガサと探り、紙袋を見つけた。
涼から借りていた下穿きと共に涼に渡した。
「先にトイレに行って来いよ」
夢中で逃げてきたから、傷口が開いてしまったのだ。

海野が以前借りていった自分のパジャマに着替えると、ベッドの上には円座が用意されていた。
そこに膝を抱え込んで座った。
海野にそっと肩を抱かれると、涙が堰を切ったように溢れだした。
涼の頭を撫で、海野は台所にいった。
ホットミルクを作って戻った時も、涼は肩を震わせていた。
「寒かっただろう? 飲め。温まるから」

「……みかねえが…あいつと帰ってきた…」
今にも消え入りそうな声で、涼が呟いた。
美佳子と佑哉が仲直りデートをしたのだと、海野は理解した。
「あんなヤツ…みかねえを守れないくせに、……」
美佳子が対処できないような暴漢に襲われたら、並の男ではどうしようもないだろう。
だが、暴漢共の多くは、女が一人の時だけ襲おうと決めているのだ。
どんな男であっても、男が傍らにいれば、その女の危険はぐっと減る。
喧嘩の強い弱いが問題ではなく、好きな女を危険から遠ざけたい気持ちが大事だ。
しかし
「…そうか。…辛かったな」
とりあえずそう言って、涼を抱きしめた。

「みかねえが…俺の知らない女になってた!」
涼の叫び声は悲痛だった。
海野の腕の中で、涼はいつまでも泣いていた。

紗耶香から協力を依頼されて、海野もおおむねのところは聞いていた。
だが、今は諭す必要はない。
涼の心と傷口がもっと落ち着いてからだ。
弟がつまらぬ独占欲を出しても、姉がそれに応えられるわけがないではないか。
美佳子はいつでも強い女だったし、これからもそうだろう。
彼女が自分ですべてを決める女なのだと、涼は再認識しなければならない。


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