新年の思惑


1月1日

生まれたままの姿で目覚めた。
航一の腕の中で、新年を迎えたことを知る。
鈍い痛みを感じるものの、動けないといったキツいものではない。

抱きしめられ、何度もキスを交わした。
多分におめでたいこの男は、繋がったまま新年を迎えるなんぞという、アホくさいことを考えているのだろう――
と、容易に想像が付いた。
もう、いいや――と思った。
「早く、抱け」
そう言ってやると、パァッと瞳が輝いた。

その時、ゾクリとした奇妙な感覚を覚えた。
そちらに気を取られたためか、痛みを忘れてしまった。
性交は物足りないほどにあっさりと解かれた。
思わず航一を見つめてしまった。
航一は(何を勘違いしたのか)柔らかく微笑み、抱きしめてきた。
愛してる、嬉しい、おまえと一緒にいられて幸せだ……
歯の浮くようなことを、涼の耳元で囁き続けた。

反抗する気力は残っていなかったから、涼はそのまま眠ってしまった。

2人同時に目が覚めたようだ。
なりゆきで、海野家で正月料理をご馳走になる。
前の年も、その前の歳も、海野家で新年を祝っていたが、その時は無邪気なものだった。
海野家では「佐山君はお屠蘇でも気持ちが悪くなるから、お抹茶にしましょうね」という了解ができていた。
定式通りに挨拶をして、椅子に掛けようとしてギョッとした。
……円座?
「ああ、佐山君、驚かないでね。お父さんが長いこと患っててね、
航一が、父さんがどこにも安心して座れるようにって言うの。
それもそうだと思って、うちではこれに替えちゃったのよ。
和室の方には普通のお座布団があるけど、よかったら……」
「あ、これでいいです」
涼が航一の方を振り向くと、彼はニヤニヤしていた顔を急に引き締めてそっぽを向いた。

海野の両親は佐山の両親より1まわり以上年上である。
最初に会った時は、海野の祖父母かと思ってしまったくらいだ。
ようやく授かった一人息子がとても可愛いのだと見ていても分かる。
息子が「友だちの佐山君」にやっていることなんか、想像もできないだろうと思う。

「佐山君、お母さんから電話があったよ」
「はい」
「夜までに帰ってきなさい、だそうだ」

携帯に連絡をくれればいいのに、と尻ポケットから取りだして、涼はギョッとした。
着信15件、メール1件。
すべて姉からだ。

「佐山君のところ、お父さんが長男だから大変ね。親戚の方々が来るんでしょ」
「でも、俺はやることないから」
「涼のところはおねえさんが大変なんだよ」
な? と航一が首を傾げてみせた。
一昨年、昨年と姉には大量の縁談が持ち込まれた。
詳しく見る間もなく、父が「美佳子はまだ学生だから」と断っていた。
おおむね30代の男ばかりだったと思う。
あの男も、本来ならその仲間に入る野郎だと思う。
「今年は“間に合ってます”とか言うのかな?」
「人の姉さんだと思って、ふざけるな」
「……ゴメン…」

「佐山君、帰らなくていいのか?」
「あ…、顔見せだけしろってことだと思うんで…」
姉からのメールの内容を確かめて答えた。
考えてみれば、元日は親戚がやってくるので、姉が出かけられるはずはなかった。
祖母が生きていた頃、それは2日の行事だったが、今はデパート勤めの叔父に合わせてあるのだ。


客の酒の接待担当は父。母と美佳子は料理を運ぶだけだ。

「美佳子は相変わらず飲めないのか。現代女性がそんなことじゃいかんぞ」
すっかりできあがった叔父は説教モードに入りかけた。
「酒飲まされて、口説かれて、ロクでもない男に引っかかるからな」
「あら、美佳子の彼氏ならそんなことする人じゃないから大丈夫よ」
母がさりげなく、しかし「心配無用」をはっきり言い渡した。

「まあ、みかちゃん、いい人できたの? やあねえ、おばさん縁談頼まれちゃったのよ。
それじゃ、みかちゃんはダメね」
「なあんだ、姉さんもか。俺も頼まれちゃったけど」
まだ学生だからと言っていたのに、今年もこれか…
父が眉間に皺を寄せたが、誰も気が付かなかった。
「いいじゃないか、会うだけ会ってみて、こっちの方が良かったら乗り換えろよ。
女にとっちゃ売り手市場なんだからさ」
「それはダメです。フェアじゃない」
「なんだ、なんだ? 彼氏ができたってのに、おかたいところはちっとも変わんねぇな」
「うちの娘は真面目なのよ」
母は久しぶりに誇らしい気持ちでその言葉を口にした。

それからは「どんな男なんだ?」と質問攻めにされた。
大学の仲間で、スポーツマンではないと聞くと、やはり親戚も意外そうな顔をした。
「美佳子が強いんだからもっと強い男じゃないと具合が悪いだろう?」
「でも、まあ、みかちゃんが決めた人だから、間違いはないでしょう」
「いやいや、男と女のことは違うよ。案外涼の方が間違いないかも知れないぞ」
酒が入ってきて、叔父叔母も遠慮がない。

佑哉は家の中でも常に携帯を持ち歩き、目の届くところで充電している。
叔母も妹も気が付いてはいるが、からかうと妙な意地を張って大事なメールなどを逃してしまいそうなので、黙っている。
彼がソワソワして自室に引き上げると、ついにやっとしてしまうのだ。
まさに新春。
叔母と紗耶香は顔を見合わせて、同時に噴き出した。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
今、親戚が集まっています。
あなたの噂ばかりされています。
早く会いたい。…美佳子

「あ、お兄ちゃん、初転がりだ」


涼は航一に付き添われて帰宅した。
佐山家で海野航一は歓迎される存在だが、親戚一同にも歓迎されている。

佐山家ではどこの家でもデパートからおせちを取っている。(勿論叔父の社割だ。)
つまり、どこの家に行っても同じおせちが出てくるのだ。
祖母が生きている間は2人で、亡くなってからは母だけで追加の料理を作ってきた。
一昨年から母ではなく涼が作るようになった。
それらは海野家の初釜(航一の母は自宅で茶道教室を開いている)で出された料理であり、親戚一同には大変好評であった。

つまり航一は「涼の料理の先生の子」という認識が為されている。
航一は酒を飲めない姉弟に代わって、佐山家当主の弟妹と酒を酌み交わす。
夜になれば、家族と一緒に親戚一同を見送る。
当然そのまま泊まっていく。

身体を繋ぐようになって、初めて航一が涼の部屋に泊まる。
涼は緊張してドアの前に立ったままだが、航一は涼のパジャマを着てベッドの上に座っている。
「涼。早く来いよ」
「だめだ」
「あ…そういう心配か」
航一はドアの前まで行き、涼の肩を抱き寄せた。
「分かってる…」
逃れようと暴れられる前に。航一は囁いた。
「手当てするだけだ。今夜はガマンするからさ…今だけちょっと抱きしめさせて」
「バカが」
吐き捨てるように言い、涼は目を閉じた。
航一は突っ立ったままの涼を抱きしめ、すぐに離した。
「さあ、早く来いよ」


ライン

1月2日

涼が起きた時、航一はいなかった。
結局、航一は抱きしめる以上のことをしなかった。
しかも、囁き攻撃すらせずに帰ってしまったのだろうか。
まさか。航一に限ってあり得ない。

階下に降りていくと、振り袖姿の姉がいた。
「涼、おまえもお正月の着物があるんだろう? 着せてやるよ」
航一はここにいたのだ。
「海野…おまえ、まさか…」
「バカね。帯を結ぶの手伝ってもらったのよ」
姉は満足げだ。
「海野君が締めてくれてラッキーv お母さんより上手だよね」
「それはそうよ、毎日見てるんだもん。
ほらほら、涼、早く食べちゃって。せっかくだから、海野君に着せてもらいなさい」

涼が着物を着せられている時に、玄関の呼び鈴が鳴った。
母の声は響く。
「おめでとうございます。
着慣れないもの着てるから…よろしくお願いしますね」
涼は唇を噛んだ。
どうしてあんなヤツに「よろしくお願い」なんかしなくちゃならないのだ?
「来年成人式? いいわねー」
今度は航一の手が止まった。
「さやちゃんも来てるんだ。ラッキー」

航一と涼が玄関にやってきた時、4人連れだって出かけるところだった。
紗耶香は航一がいるのを見て大きな目を更に大きく見張った。
「海野君達も一緒に行かない?」

毒を以て、毒を制す。
不肖弟に口出しさせないためには、航一を貼り付けておくのが一番だ。

紗耶香のとっさの計算など思いも寄らない航一は涼の手を引いて出てきた。
「俺達も誘ってくれるんだ。嬉しいなあ」
が、振り袖姿の女性陣は航一はさっくりと無視した。
「上手に着せてもらったね」
「わあ、ふ…涼クン、似合うねー!」
2人が涼の両サイドにやってきた。
自然、和服の3人が前、洋服の3人が後ろを歩く形となった。

「着物はいいなあ」
辰也がにやけた。
「特に振り袖は帯を自分で結べないというのが何とも…。あ、おねえさんの帯も俺が結びました」
「ふうん。海野君みたいな彼氏だと便利だね。
人混みで彼女の帯がゆるんでも直してやれるなんてさ、すげー感謝されるんだろうな」
「女の子の方が恥ずかしがる」
珍しく佑哉が女の子の話題で反論した。

前の3人もどうでもいいことを話していた。
ただし、涼は何も喋っていない。
涼の両サイドで話が展開されていく。
「男性の着物は珍しいから、涼が良い目印になるね」
美佳子がそんなことを言いだしたので、紗耶香は慌てた。
「大丈夫ですよぉ。そんなことしなくても、お兄ちゃんがちゃーんとエスコートしますから」

紗耶香の一言で航一以外の4人に緊張が走った。

一番最初に反応したのは、辰也である。
「じゃ、俺、さやちゃんのエスコート」
そう言いつつ、紗耶香と涼の間に割り込んだ。
そこで航一は余裕たっぷりに
「決まり、だな」
涼の袖に腕を絡めた。
「よせっ、気色悪い! みかねえは俺が護る、きょうだいだからな」
「バカ」
航一はいきなりグイと涼の腕を引いた。
涼はバランスを失い、航一に寄りかかった。
「何をする !?」
「おねえさん、あの格好じゃ立ち回りができまい」
「だから、俺が……」
「俺達は元々予定外でくっついてきてるんだ。
おねえさんがどういうつもりで自分の身を守れない格好をしてきたか、よく考えろ」
「だから、俺が護る」
「ほら、また末っ子の我が儘が始まった」
「何だと!」
「それより、涼、おねえさん達とはぐれたみたいだ」

神域に入ったところで、姉も紗耶香も近くに見あたらなくなっていた。


「わあー、お賽銭箱には近付けないねー!」
「ここから投げるっきゃないな」
「じゃ…私の分もお願い」
「うん。何、願う?」
「お兄ちゃんと美佳子さんがうまくいきますように」
「ふうん。さやちゃんの分がないじゃんか。
それなら、俺が代わりに願っとくよ。
さやちゃんの健康と幸せと、お兄さんの心配をしなくても済むようになりますように」
「あー、待って、待って。追加させて。
辰也君が体育実技と数学以外でも“優”をもらえますように」
「経済学部だからこれでいいんだよ」
「経済学概論、“良”だったじゃんっ!」
「うへっ、チェック厳しー!」

彼は2枚の硬貨を軽く持ち、腕をあげた。
「せーのッ!」
ゴッ!
「うごっ!」
なぜか真後ろに航一がいて、ちょうどアッパーを喰らわせてしまったのだ。
航一は顎を押さえたまましゃがみこんだ。

「ごめんっ!」
驚いたのは辰也だ。
「かまわん。賽銭なら俺が投げる」
涼は航一の掌を開いて硬貨を取りだした。
「それ、俺がやるって。ふしょ…涼クンは着物なんだから。
2人とも、お姉さんがさやちゃんのお兄さんと幸せになりますように、で良いよな?」
彼は早口でまくしたてると、涼の手から硬貨を奪い取った。

みかねえと磯崎佑哉が…幸せになりますように…?

「ちょっ…
「うりゃっ!」
…と待…」
涼が「て」まで言う前に4枚の硬貨はBFの手を放れ、綺麗な放物線を描いていった。(よい子はマネしないでね。)
涼はガックリと肩を落とした。
「うわっ! 辰也君、さすが! お賽銭箱に届いたみたい!」
紗耶香が歓声を上げたので、辰也は拳をグッと握った。

「今年は良いことありそう〜!」
紗耶香が尚もはしゃぐが、涼はとげとげしく言う。
「あるもんか。あってたまるか」
航一はようやく立ち上がった。
「ああ、当たり年になる。新年早々大当たり」
「ゴメン! ホントにごめんよ。……俺、奢るからさ、天鳥行こうよ」
「もう開けてるのか?」
「伯母さんが熱い紅茶を用意して待ってるって」
「食べるものも付く?」
「つける!」
「じゃ、いく」

話が纏まった様子なので、涼は姉を捜そうと思った。
涼の腕をしっかりと掴んだのは辰也だった。
「……おい、離せ」
「あー、もしかして、ふし…涼クンの方に話を振らなかったの、怒ってる?
コンビだからいいかなー、と思っちまってさ」
「……コンビじゃない!」
辰也に先を越された航一は後ろから涼の肩を抱き
「コンビじゃなくて、カップ…」
訂正しようとした。
涼は思いきり肘を後方に振った。
みぞおちを押さえてもう1度蹲る航一に目もくれず
「コンビでいい」
妥協することにした。

しかし、やはり涼も連れて行かれることになった。
4人でおみくじを引いてかえった。
おおむね良い結果だったが、航一の恋愛運だけが「凶」だった。
「やはり、そうか」と涼は機嫌を直した。
「俺の場合はノーマルと逆だから、大吉と同じ」航一もご満悦だった。


気が付いたら、妹たちとはぐれていた。
人混みの中、誰も気にしないのを良いことに、はぐれないようにと口実を設けて、彼女の手を握りしめた。
佑哉の意識は掌に張り付いたままだ。
「賽銭箱まで行けそうにないねー」
美佳子に言われるまで、何をしに来たのかもすっかり忘れていた。

「仕方ない。ここから投げよう」
「うん」
「ああっ、振り袖じゃ無理だよ」
「……そうでした。お願いします」
「はい」

えいやっと投げた硬貨は人混みの中に消えていった。
「キャッ! 何か入ったー! 首のところぉ!」
前の方で女性の悲鳴が上がった。
「……俺?」

傍らを見ると、美佳子が手を合わせて願掛けをしていたので、佑哉も慌ててそれに倣った。
何を願う?

…万一帯が解けても、呼び出してくれれば…
航一がこっそり耳打ちしたことを思いだしてしまった。
―― いかん、いかん! 俺にはそんな下心はない。――

結局決まらないまま、形だけ願掛けをして目を開けた。
美佳子がじっと見つめていた。
「随分長かったね。何をお願いしたの?」
「え? …えーと…えーと…家内安全、健康長寿!」
「佑哉君て伯母さん思いだもんね」
「ははははー。あー、えと、美佳子さんこそ何を願ってた?」
「私は自己中だよ。
佑哉君が無事に博士課程に移行して、私も父を説得できますように。
弟が何でも良いから落ち着きますように」
「俺のことまで……ありがとう…」

自己中は俺です。
ゴメン、美佳子さん。
ゴメン、伯母さん。
「これからどうする?」
佑哉は話題を変えた。
「佑哉君のお家にご挨拶に伺うつもり。都合は…?」
「あ、そ、…そうだったね」
返事をしながら、佑哉は思いだした。
伯母が熱い紅茶を用意して待っていることをコロッと忘れていた。
「喫茶店にお菓子も変だと思って、梅の枝にしてみたんだけど」
「いいんじゃないかな。……俺は手ぶらで行っちゃったなあ」
「いいの、いいの。佑哉君にはお世話になりっぱなしだし、……弟が迷惑かけて…」

それこそいいのに、と佑哉は思う。
美佳子が喜んでくれれば、それで嬉しい。
不肖弟だって今日は随分大人しかった。(あれで反省しているのかも知れない。)


美佳子と一緒に戻ったら、伯母は出かける支度をしていた。
「あらー、随分早かったじゃない!」
紗耶香達は4人でやってきて、一休みしたら海野家へ行ってしまった。(紗耶香が、お正月らしく抹茶を飲みたい、と言いだしたからだ。)
すなわち、佑哉と美佳子に邪魔は入らない。
いちゃいちゃしてくるかと思い、初売りに出撃するところだったのだ。
伯母は梅をとりあえず水につけ
「佑哉と付き合ってくれるってだけで、感謝してもしたりないくらいなんですよ。
この子は偏屈だけど、本当は優しい子なの。今年もよろしくね」
ひとりで喋り、慌ただしく出ていった。

「じゃ…俺が紅茶煎れるから、座って」
「うん」
美佳子の視線を感じ、目を上げた。
「やっぱり急須とは違うね」
「当たり前だ」

2人でカウンターに並んで座り、やっと一息ついた。


「耳が…」
「え?」
「赤くなった」
「……ブランデー入れたでしょ?」
「1滴香りに落としただけ」
「ズルい」
「スルくない。だって口を付けた時に分かっただろ。それでも飲んだんだから」
「私が悪いの?……ズルいなあ」

両頬を手で挟んで上向かせた。
彼女はされるがままになっていた。
顔を近付け、固く閉じられた唇を舌先で催促するようにつついた。
ためらいがちに開かれた唇を無理矢理こじ開けてはいけない…。
(実のところ佑哉もこの先のことは分からない。)
受け入れられた分だけ、侵入させた。



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