恋人達の密かな決意

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正月早々から激しく転がっていた佑哉がようやく落ち着いたのは、1月半ばのことだった。
しかし、高崎が半泣き状態で頼ってきた。
プリンターが突然動かなくなり、卒論を打ち出せないのだという。
進学も決まっているのに、今さら留年するわけにも行かない。
高崎は佑哉の部屋に泊まり込み、プリントアウトと訂正を繰り返した。

アクシデントに見舞われたが、高崎は無事に卒論を提出することができた。
〆切2時間前。
出してしまえば「余裕」である。

一方、恋人にメールを打つくらいしかできなかった佑哉の方は、妄想の発散を断たれ、哀れだった。
抱き枕があっても、後輩がいるところでは転がれない。

「付き合ってるんだから、デートに誘えばいいじゃん」
頭脳明晰な兄がどうしてそのくらいのことを思いつかないのか、紗耶香には不思議だった。ところが、
「ダメだ! 今、会ったら…俺は…オレは…」
兄は突然瞳を潤ませた。
「ケダモノになってしまいそうだ!
……彼女のカラダ目当てで付き合ってるんじゃないッ!」
「あー、はいはい」
男が涙目で主張しないでよ…。
「お兄ちゃんの方から何かしようとするのがマズいんだったら、ちょっと握ってもらえばいいじゃない」
兄は凍り付いた。
「……いったい……なにを……おまえ…どういう付き合いをして…」
先日来の激しい転がり方は、てっきり童貞喪失かと思ったのだが。
「よ、嫁入り前の……」
「嫁入り前でもおにぎりくらい食べるよ?
あ…でも…美佳子さんより不肖弟の方が上手かも知れないね」
「!」
兄は自室へ走っていった。

うわーーーーーーーーーっっ!
俺は…なんてことをっっっっっっ!」

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「もうヴァレンタインか…、1ヶ月もあるのにね。
今から買っとくのって、義理チョコかなあ?」

毎年、このイベントには興味を示さなかった美佳子が、今年ばかりはチョコレートコーナーが気になるらしい。
荷物持ちに付いてきた涼はしかめっ面、航一は噴き出した。
「心がこもってれば300円チョコでいいんですよ。
お礼に食事に誘う方が目的だから」
「えー、そうなの? ホワイトデーって言うのは?」
「勿論、こっちからプレゼントするけど、女の子のお返しは人によって。
精神的にでも、肉体的にでも」
「そうだったのか…」
美佳子は目を白黒させている。

航一は涼の肩を抱き、涼は相手を睨みつけた。
「俺はもらうアテがないから、涼にチョコやろうかなー」
「男からもらっても嬉しくない」
「そうか。じゃ、涼の方からくれ」
「断る」

海野は300円で良いという。
確かに、値段が安くても、どのチョコレートも可愛らしい。
可愛らしいが、「愛」の主張の強さに美佳子の方が照れてなってしまう。

「いいの、ありましたか?」
「うーん…」
「自分で作ったら…」
それはダメ!
「…どうして? おねえさん、“少々”とか“適当”がないレシピは得意じゃないですか」
「そうだけど…でも…
チョコレートは加熱するたび劣化するし、…ケーキに加工するとしたら、絶対佑哉君の方が上手だもん。
だから、…イヤ」

本人がいるわけでもないのに、頬を染める美佳子の姿が微笑ましくて、航一もついつい口を滑らせる。
「可愛いなあ。彼氏が聞いてたら、
チョコなんか要らないから、おねえさんを食べたいって言うだろうなあ」
「…え?」
「海野っ! キサマ…」
涼は航一の胸元を掴み、そのまま引きずっていった。

チョコレートコーナーを十分に離れたところで、涼は手を離した。
「おい、セーターが伸びる」
「不潔だ」
「は?」
「みかねえにフケツなことを言うなっ!」
「不潔じゃないよ。男と女なら当然のことだ。もっとも……」

美佳子がやってきたので、2人とも口をつぐんだ。
涼に催促されて、航一の方が言い訳をする。
「無垢なおねえさんにいやらしいことを言うなと叱られました」
「私は子どもじゃないよ。でも…人前で言うことじゃないね?」
「はい……すみません」


荷物を抱えてきた航一はそのまま佐山家で夕飯を食べ、お風呂に入って涼の下着を借りた。
ところが、泊まらないで帰るという。
帰り際、涼に囁いた。

「おねえさんはまだ処女だな」
「あたりまえだ」
「だが…もう、そろそろだ」
「なにっ?」

「見てて分からないのか?」
航一の口調はいかにも「呆れた」である。
「何故分かる?」
「聞きたい?」
「………」
「俺の部屋で話そう」
「…それはっ…!」
「じゃ、また明日」
「待て!」
「…コートを取ってくるなら、急がなくていいよ」

2人で連れだって出た。
航一はゆっくりと歩いていく。

配慮されるのはイヤだ。
しかし、ナプキンの調達に苦労している身としては、啖呵を切れない。
だから、涼は気が付かないことにした。
航一がゆっくり歩いているのは、彼の好みなのだ――と。

「手、繋ごうか」
「バカか。大の男が手を繋いで歩いたら、変態だろうが」
航一は肩をすくめた。
「俺は変態でもいいよ」
「迷惑だ」

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航一の部屋に2人きりになっても、航一は涼を残したまま台所に行ってしまった。
涼は航一のベッドの上に横座りをして待っていた。
やっときたかと思ったら、ミルクティーを差し出し、なかなか肝心の話を始めようとしない。
涼の方がしびれを切らした。

「みかねえの話じゃなかったのか」
「そう難しい話じゃない」
「あんな男がみかねえの恋人になる? 訳の分からん話だ」
「おねえさん達、もう恋人同士じゃないか。頑なだなあ。
ま、いいさ。……
おねえさんは俺やおまえにとって高校の先輩でもある」
「おまえの、だろう? 俺は中退したんだ」
涼は自嘲気味に言った。しかし、航一は
「どっちでもいいよ」
あっさりしたものだ。
「何だと !? 」
涼は気色ばんだ。航一はそれも無視して続けた。
「おねえさんは文武両道の有名人だっただろ。
俺がおまえの友だちだったからか、おねえさんの噂は先輩達から結構聞いた。
…女の先輩達は例外なくおねえさんを誉めてたな。
頭良くて、強くて、格好良くて、しかも優しいんだ、って」
「ああ。実態を知らん人間はそういうだろうさ」
「男の先輩だと『怖い』って言う人が少なからずいたな」
涼は眉根を寄せた。自分以外に姉の拳や蹴りを食らった人間がいたのだろうか?(痴漢は人間じゃない。)
「俺はおねえさんが怖いと思ったことはないけど、気持ちは分かるよ」
「どういうことだ?」
「おねえさんはいつでも清く正しい。いつ怒られるか分からないって気になるんだ」
「フン…それは、その男に後ろ暗いところがあるからだろう?」
「今のおねえさんなら、清く正しいのは変わらないけど、そんなことを言うヤツはいないだろうなあ」
「後ろ暗いところが無くなったんだろう」
「ああ、そう。いいよ、それなら、別の話をしよう。
おねえさん、どのくらいつきあってる?」
「……ユッコちゃんなら13年」
「………」
「…3ヶ月…ちょっと」
「そういうことだ」

涼自身、まだ3ヶ月もひとりの女の子と付き合ったことはない。
付き合うことにして、数時間から数日でセックスしたのだから。
姉同様あの男もお堅い感じがする。
真面目人間にとって機が熟するのには3ヶ月くらいかかる…のかもしれない。
だが、

「ちがうっ! みかねえは根がお人好しだから……」
「本当におまえが言うようなろくでなしの男だったら、おねえさんの方がとっくに見限ってるさ。
いつまでも騙されてる人じゃない」
「…ちがうんだ…」
「どうしてそう頑なかなあ」

「恋人ができたって、おねえさんはおねえさんじゃないか。
1度離れても、また帰ってきてくれたんだろ……」

言うなーーーーーッ!」

航一は飛び上がった。
逆鱗に触れたのだと分かった。
兄弟のいない航一にはよく分からないのだが、
記憶をたぐり寄せてみると、1度彼から聞いたことがなかったか
――みかねえですら俺から逃げ出した、俺を見捨てたんだ――

「なあ、涼」
航一は涼の肩に触れようとして殴られた。
「涼…、俺じゃダメかなあ? 俺がおねえさんの代わりになれないか?」
「バカヤロー!」

2発目が来る。
航一はまともにそれを喰らった。
「キサマなんぞ、バカで怠け者でスケベの最低男だ! みかねえと全然似てない!」
「だからさ…」
航一は這いずって涼の方へ移動した。
「バカで、怠け者で、どうしょもなくおまえに惚れてる兄貴なら…おまえだって気安いだろ?」
「バカアニキなんぞ、いらん!」
再び涼は手を上げた。
今度は平手になっていた。

殴っても、殴っても、
航一は涼を抱きしめようとした。


――その夜、涼は自分からからだを開いた。


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涼はぼんやりとしている。

美佳子が家に戻った時、涼は仕事が長続きしないフリーターになっていた。
この時はもう、昼夜は逆転していなかった。
だから、美佳子は弟が立ち直れると信じた。
海野君が支えてくれたのだ、と思った。

その海野航一と、誤解が元でトラブルになりかけた。
そして、それがきっかけになり、
こちらが一方的に迷惑を掛けたのに、面識のない弟のお見舞いに来てくれた――
磯崎佑哉とつきあいはじめたのだ。

なぜか弟は反対し続けている。
海野は心配することはないのだという。
「やっと帰ってくれたおねえさんが他の男に取られたんで、拗ねてるだけですよ」
家族には言えないことを友だちには打ち明けるものだから、
海野が弟の傍にいてくれることがどんなに心強いか――。

結局、海野が迎えに来れば外出もするのだが、ひとりでは自室でぼんやりしている。
バイクにもずっとご無沙汰になっている様子だ。
涼の同級生の中でも、普通免許がないのは彼だけだ。
父も母もそのことには触れないが、宙ぶらりんな状況でいる涼が彼なりに親に遠慮しているのだとは十分察せられた。
あんなに大切にしていたバイクも放っておいて、何があったのだろう?

「涼なら大丈夫です」
海野を信じるしかないのだった。

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大学入試の日、佑哉と航一の2人共がやってきた。

佑哉の方は大荷物を抱えてきた。
毎回急須で紅茶を煎れさせられるので、ついにセットを持参したのだ。
母は恐縮していた。
使ってみてください、とは言ったものの、俺が煎れに来てもいいや――と思った。

海野航一の方は紙袋を持っていた。
お茶を煎れるらしい、佑哉のお持たせのマドレーヌがつくらしいと見た航一は
「じゃ、俺が涼を呼んできます」
と2階へ上がっていった。

佑哉が遊びに来たところに、涼を呼ぶのはどうしたものか――
母娘は気まずそうに顔を見合わせた。


航一はノックと同時に涼の部屋に入った。
「何しに来た?」
涼のもの言いはいつでも素っ気ない。
「プレゼントだよ。…ほら」
航一は構わず紙袋を渡した。

涼は面倒そうに受け取り、中を確かめた。
愛用のナプキンと、薬だった。

「来る途中で買ってきたんだ。嬉しいか?」
「…できれば使いたくない」
涼は棚の奥の方に紙袋ごと押し込んだ。

「薬もあるけど、時々俺が手当てしてやった方が良いと思うんだ。
患部を見ながらできるからね」
「わかった」
「そうと決まったら、階下へ行こう」
「なぜ?」
「おねえさんの彼氏が来てる」
「俺には関係ない」
「おねえさん、喜ぶだろうな」
「………」
「おまえが普通に座ってるだけでも、すごく安心するだろうな」
「………」
「涼はいつまでもおねえさんに心配してもらいたいんだから、仕方ないよな」
航一は、仕方なさそうに立ち上がった涼の肩を抱いた。


涼が自室から出てきたので、母と姉は少なからず驚いた。
「これ、何?」
涼は見慣れぬティーカップに気が付いた。
「佑哉君からのプレゼント。うちにはちょうどなかったから」
「俺がバザーに持っていったからな」
「へぇ。佐山家の秘密?」
航一が話しかけてくるのを制し、涼は佑哉の方をチラリと見ると、
「どうも」
微かに頭を下げた。
「…どういたしまして」
定式通りに答えながら、佑哉の方はパニックを起こしていた。

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