タイムリミット?

line

佑哉は穏やかで幸せな日々を過ごしていた。
無事に博士課程への移行ができそうだ。
美佳子の方は「別のアプローチをする」と修士論文の準備も着々と進んでいるらしかった。
あとは彼女の父が彼女の希望をきいてくれれば、また3年間一緒にいられる。
先月は見られたくないモノを見られてしまった。
その時は逃げ帰った彼女も、翌日には笑って受け入れてくれた様子で、ほっとした。

中納もまた揃って博士課程に移行するし、何より一方的にからかわれなくても済むようになった。
春が来たのだ。
就職浪人を覚悟しためぐみだったが、2月も末になって滑り込みの求人が来た。
中納はお祝いをした。それがきっかけになって、よりが戻ったらしい。

「ビデオ学習の成果を試す時が来た!」
中納は張り切っている。
「今回は2回、かも」
高崎がぼそっと呟いたが、この際無視。
佑哉も中納にはうまくいってほしいと思っているのだ。


3月にはいると「ホワイトデー」のプレッシャーがかかってくる。
あんなものを見られてしまっただけに、下心なしの健全なお返しにしたい。
いつも妹に頼るのは微妙に情けない。
情けないが、他に聞ける人がいないのだから仕方ない。

「分かってるとは思うけど、男の人は倍返しだからね。
私達は中華街でランチってことにしたの。
2人とも木曜日の午後が都合良いから、ちょっとずれちゃうけどそこでデート。
辰也君、もう予約入れたって言ってたな。食べ物のことになるとすっごく手際がいいんだよ」

それは健全だ。
……やっぱり焼肉か?
いや、実験物理の院生や学生仲間で行くのが、食べ放題に限っていただけだ。
彼女は何が好きなんだろう?

「だからぁ、お兄ちゃん、いい加減チョコ食べなよ。倍返しの目安がつかないじゃん」
「でも……」
「写真撮って、中身食べて、パッケージを飾っとけばいいじゃない」
「ああ。考えとく」


line

院生・学生の共同研究室でも、美佳子が席を外すと「お返し」の話題になった。
「磯崎のために黒のTバック。佐山さんはMでいいのか?」
「バ、バ、バ、バカヤロー!」
佑哉が突然蹴りを入れた。
「うわっ、バカッ、冗談だよ、ジョーダン! 本気で言うわけ無いじゃないか!」
「冗談でもゆるせん!」
「イテッ、イテェー! 悪かった、ゴメン、許してくれー」
「許せん!」

中納と佑哉が騒いでいる間に、他の院生と学生で決めていた。
「無難にキャンディ」
「高崎が代表して買いに行く」
「1人100円」

「本当に? 行きます! 絶対、みんな行くって言いますよ」
美佳子の声がしたので、中納と佑哉以外は何事もなかったふりをした。
神保教授と、続いて美佳子が入ってきた。
「磯崎君、中納君、何を争っているのですか?」
「すみません!」
そこではじめて美佳子も戻ったことに気が付いた。

「全員いますね。…今年度はどこの見学も企画できなかったのですが、やっと取れました。
急ですが、来週の月曜日にスーパーカミオカンデの見学を企画します。
希望者は申し出なさ…」
「はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、はいっ…!」
「全員ですか…」

早速4年生が旅行計画を立て始めた。
施設見学の連絡は教授が取ってくれるので、その時間を基にスケジュールを組む。
基本的に1泊2日。
14日に目的地に行き、夜はコンパ。翌日は自由行動。夕方に集合して帰る。

「ツアコンみたいね」
「あ、こいつ、鉄っすよ。ぶっちゃけ、ヲタ」
「便利だなあ」
「女性には気色ワルいっしょ?」
「よくわかんないけど、役立つ趣味じゃない」
「ありがとうございます〜、佐山さん、優しいなあ。
……はい、できました。今、高山本線に不通区間があるから、富山側から行きます。
この経路が一番良いはずです」
切符の手配は彼が請け負い、宿泊の手配は「コンパ班」が請け負った。



line

「いよいよ、美佳子さんとお泊まりだね、佑哉」
伯母が不穏な言い方をする。
人聞きの悪い。
「伯母さんたら…単なるゼミ旅行じゃないの。
あ、お兄ちゃん。パンツと靴下だけは真新しいのを下ろしといた方がいいよ。
1に清潔、2に清潔」
分かってる。
今回は健全! 今回は清潔!
その代わり、帰ってきたら食事に誘うのだ。
少々ホワイトデーからずれてしまうが、当日に一緒にいるのだから問題なし。


当日の朝、紗耶香は兄を送り出した後、冷凍庫を開けた。
兄は「完璧だ!」とか言っているが、あの兄だけに心配だ。
チラッと見たバレンタインチョコはとても高価そうだった。
中身を見なければ安心できない。
あの兄に限って、「倍返しのつもりで半返し」をやらかさないという保証はどこにもない。

佑哉」「喰うな」「開けたら罰金

紙袋ごとビニール袋で包み、そのビニール袋には太マジックの文字が黒々と並んでいる。
「…子どもか? バカバカしい」

紗耶香はビニール袋を取り去ると、丁寧にリボンを外し、包装紙を開けていった。
チョコレートの箱と封筒。
封書を開けるのはさすがに躊躇われた。
でも、…
「ごめんなさい!」
と声に出して謝ってから、手を掛けた。

女性の決意がしたためられたそれを、すべて読む必要は無かった。
まずいよ……。
帰ってきたら、なんて暢気なことを言ってられない。
美佳子さんはもう1ヶ月もこの返事を待っている。
ホワイトデー、すなわち今日までは待ってくれるだろう(それだって随分気の長い話だ)。
今日兄が何の解答も示さなかったら、ヘタをすると終わってしまう!

「辰也君、どうしよう……」


伯母に事情を話し、紗耶香は辰也と上越新幹線に乗っていた。
集中講義を自主休講した辰也はデッキから宿泊予約を取っている。

同じ列車に姉を追いかける涼と巻き添えになった海野も乗っていた。


line

HOME小説TOP「姉の恋人」1へ戻る進む

inserted by FC2 system