君に花束

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越後湯沢で乗り換える時、紗耶香は大変そうな2人の若い男性をみつけた。
片方は具合が悪いらしい、連れが2人分の荷物を持ち、彼を支えて歩いていた。
自分たちの前方を歩いているのだから、同じ列車に乗り換えるのだろう。

「辰也君、あれ…」
「ああ。大変そうだ、手伝ってやろう」

辰也は駆け寄って、荷物を持とうか、と声を掛けた。
が、振り返ったのはよく知った顔だ。

「あれっ、藤本君?」
「え? 海野君?」
「助かったー、荷物、頼むよ」
「っしゃ。…涼君、大丈夫か? おぶってやったら?」
「うん。そうするよ」

紗耶香も追いついてきて、目を丸くした。

―どうしてこうまでして邪魔しようとするの?―
涼を見かけて、紗耶香は悲しくなった。
涼は何が気に入らないのだろう?(兄のドールヲタは隠し果せているはずだ。)
確かに、兄にとっても最初は通りすがりの女の子だった。
自分と伯母がやいやい言わなければ、通り過ぎて終わっただろう。
大人しい女の子が好きだという兄の好みからはずれている。
だが、今や美佳子でなければならないのだ。
お互いに好きになった今、邪魔されては困る。
特に今日は困る。
兄にこっそりメッセージカードを渡すのだから。

4人で同席したが、涼と紗耶香は無言である。
貧乏旅行に詳しい辰也と、鉄道に詳しい航一で話が弾んでいる。
「猪谷到着が5時くらいになるから、ペンションの方に向かった方がいいよな」
「そうだな。…紗耶香ちゃん、それでいいよね?」
「うん」
「海野君達は宿泊予約とった?」
「まだ」
「うーん。俺達で満室になったって言ってたけど」
「バンド仲間のところに行くから大丈夫」

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4人がペンションに着いた時は、学生達もくつろいでいた。
しかし、佑哉と美佳子がみつからない。
航一のバンド仲間が彼らを見つけてやってきた。
彼らは座り込んだままの涼の様子を尋ねたり、一緒に来たいならそう言えばいいのになどと話しかけた。

「佐山さんが1人で部屋を使うから、磯崎さんの妹さんが同室になって、経済の名物男のところに海野君と涼君が寝ればいいよ」
「宿の人に交渉してきてやるよ」
「とりあえず、俺っちの部屋で休みなよ」
涼はようやく顔を上げた。
「みかねえは?」
「まだ。佐山さんと磯崎さんはなぜかわかんないけど、教授達と坂本さんもまだなんだ。
坂本さんは大学1年の頃からGSAのボランティアやってた人だから。
……就職のことか、研究のことか」
「涼君、真っ青だ。とにかく横になれよ。2階のつきあたりだから」
航一は提案に従って、涼をバンドメンバーの部屋に連れて行くことにした。

宿泊の交渉がまとまって、無事に航一と涼も泊まれることになった。
夕食は1階の食堂で、と案内された時に、教授達が到着した。
佑哉も美佳子も、坂本という院生もやや興奮気味に喋っている。
教授達も「よかった、よかった」と言い合っていた。

「お兄ちゃん」
紗耶香は兄をどこかに連れ出さなければならない。
教授達が着いたというので、先にペンションでくつろいでいた院生や学生達も1階に降りてきている。(食事のためか?)
「お兄ちゃん!」
大きめの声を出したら、佑哉が振り向いた。

しかし、その視線は紗耶香の上に定まっていない。
佑哉は大きく目を見開いている。
紗耶香は後ろを向いた。
食堂の片隅には中古のピアノが置いてあり、その上に人形が1体飾られている。

こんなところにビスクドール?

あっと思う間もなく、佑哉はビスクドールのところに駆け寄った。
ちょうどやってきてしまったオーナーの腕を取り、
「ボストンのアンティークショップにいたあの子が…」
なんぞと早口でまくし立てた。
そのただならぬ雰囲気に、学生達はおろか教授達もあんぐりと口を開けて佑哉を見つめている。
話の内容が濃すぎて、紗耶香ですら半分も分からない。
ただ、どうやらその人形が、磯崎佑哉の留学時代を支えたジュモーであるらしい。
なぜ、こんなところにあるのか?

「磯崎さんって…ロリ?」
「いや。ドールヲタってやつじゃねえの?」
学生達が囁きはじめた。
「漫画やアニメも好きだけど、すげー嵌ってる様子でもないし、でもああいう感じだし、なんのヲタだろうって思ってたんだよな」
「鉄に喩えればハコ鉄」

紗耶香はがっくりと膝をついた。
頭の中が真っ白になった。
決定的だ。
あのカードを渡すまでもない。
できることなら、この場面を自分の目で見たくなかった。

「さやちゃん、せっかく来たのにどうしたの? 具合悪いの?」
美佳子の方が紗耶香に気が付いて、近くに来た。
そこで、佑哉はハッとした。
好奇に満ちた、揶揄するような目には慣れている。
しかし――
妹の大きな瞳が揺れている。
妹の脇に恋人がいて、じっとこちらを見つめている。
彼女にだけは知られたくなかったのに。
―― 秘密を、こともあろうに、俺自身がぺらぺらと喋ったのだ ――
そして、彼への好奇の瞳よりも、彼女に向けられた同情の視線の方が遙かに痛い。

「美佳子さん…あの…」
ビスクドールをどのように入手したのか、オーナーに聞いている時はあんなに心弾んでいたのに、息苦しくて、声を出すのも辛くなっていた。
それでも何か言わなくては、と思う。
しかし、一体、何を?

「西洋骨董品が好きだって言ってたもんね」
美佳子は穏やかな笑顔を向けてきた。
「他のものはよく分からない。物心着いた時から人形が好きで…最初はリカちゃんとか…女の子の着せ替え人形が羨ましかった」

お兄ちゃん、なぜ墓穴掘ってるの?
喋っちゃダメだよ!
紗耶香は何とか兄を止めたいと思ったが、声も出ない。
ひたすら首を振っているのに、兄は美佳子を見つめたままだ。
せめて、その抱いた人形を元の位置に戻して!
「私も人形なの?」
「違う!」
即答できて良かった、と佑哉は安堵した。
「ビスクドールは…中でもジュモーは特別なんだ」

中納がこめかみを押さえた。

こいつ、アホだ。特別なのはカノジョの方に決まってるだろうが。
佑哉も青くなっていた。
「その…人間と人形は違うから…。でも、この子は…アメリカでひとりぼっちだった俺を支えてくれた子なんだ。……この子が欲しくて、バイトして……」
何かを言おうとすると、ますます墓穴を掘ってしまう。
ついに佑哉は黙り込んだ。
が、今さら口をつぐんだところで、開き直っているようにしか見えない。

「あのね…」
美佳子も言葉を探っている。
「はい…」
「私はろくに人形遊びもしたことがなかったから、佑哉君の趣味をよく分かってあげられないんだけど…」
「………」

言葉というよりも、心を探っている。
これで後悔はないね?
ないね?
「でも、人形を大切にしたい佑哉君は…
私が知っている、真面目で誠実な人と、同じ人だと思うの。
私にとって大切なのは…あなたが、私の好きな佑哉君だということだけ」

佑哉も必死で探る。

彼女はドールヲタは問題がないと言うのか?
彼女に隠していたことも受け入れてくれるのか?
「美佳子さん」
「はい」
「美佳子さん、……あの……」
「はい?」

「俺とっ…結婚してください!」

佑哉のいきなりの大声に全員の呼吸が止まった。
特に紗耶香は失神寸前だ。

お兄ちゃんのバカ!
プロポーズなんて、早すぎるよ!
せめて人形を元の位置に戻して!
ちょうど階下に降りてきた涼と航一もそのままのポーズでかたまっている。

「はい!」

美佳子の声がひときわ響いた。
数秒の沈黙の後、バンドメンバー達が拍手をした。
それから、他の学生や院生や教授達も拍手に加わった。
真っ赤になった佑哉の傍に駆け寄った中納が彼の背を叩いた。
大きな音がした。
それから、我も我も、と仲間達が駆け寄り、佑哉をバシバシと叩きはじめた。

紗耶香はようやく立ち上がった。
「お兄ちゃん…おめでとう」
兄の安心した顔を見たら、なんだか紗耶香も余裕が出てきた。
まだ頭の中が混乱しているのだが、きっとすぐに収まる。
「ありがとう」
「あんまり急でびっくりした」
「急じゃないよ。ずっと考えていたんだ」
嘘ばっかり、と思ったが、憎まれ口は止めておく。
本当に考えるだけはずっと考えていたに違いない。
―― 転がりながら。

一方の涼は完全に血の気を失って、航一の腕の中でぐったりとしていた。
「涼も来てたの? 病院に行きたいって言ってたじゃない!」
美佳子は涼に気が付いて本当に驚いたのだ。
「だって…みかねえが…」
「涼君」
涼の目の前で、姉に佑哉が寄り添っている。
「君がどんなに反対しても、俺は諦めないよ」
涼は一瞬姉を見て、目を伏せた。
……分かっています
航一が少しだけ涼の上体を起こした。
「みかねえ。幸せになっていい。まだ…おめでとうなんて言えないけど」
「……馬鹿な子」
「うん。やっとわかった」

ショックを受けて倒れたにしても、涼がいつまでも立ち上がれない。
ペンションのオーナーに救急車を呼んでもらった。
航一が付いていくと言い、涼も航一に付き添ってもらうことを望んだ。

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夕方、美佳子から入った連絡はにわかには信じがたいものだった。

涼が海野家に泊まって帰ってきたのは朝だった。
涼は歩くのがやっと、という状態だった。
自室のベッドに倒れ込むと「明日病院に行く」とだけ言って寝てしまった。
ところが、いつの間にかいなくなっている。
海野家に連絡を取ったら、朝一番で追試だからと大学に出かけたという。
行きつけの医院にも行っていなかった。
それから海野家でも航一が帰ってこないと言っていたから、2人で出かけただろうとは思っていたのだ。
しかし、本当に辛そうな涼の様子から考えて、そう遠くには行けないはずだった。

美佳子の説明からすると、涼は姉を追いかけて海野航一を巻き込んで飛騨まで行ったらしい。
そして、姉がプロポーズされたのを聞き、そのショックがきっかけとなって倒れ、高山の病院に搬送されたという。

美佳子がプロポーズされた。
まさかとは思ったが、納得できないこともない。
美佳子は博士課程への移行を強く希望していて、父親はその話を恐れて美佳子から逃げ回っているのだ。
「女の子が博士だなんて、嫁のもらい手がなくなる」
「それならご心配なく。博士の妻を歓迎する人のところにお嫁に行きますから」
母親の勘で、娘がまだ生娘であると確信していたから、なんら確証のないまま説得の手だてとして言ってみただけだと思った。
だが、相手が相手だけに、何の接触もせずに結婚を考えることもあるかも知れない。

子どもが「この人」と思い定めたら、親はがたがた言ってはいけない。
「まだ若いからと反対したけど、今考えてみれば、最初のあの人が一番良かった」などと嘆いている友人の親たちを知っているのだ。
父親はやみくもに反対するだろうが、母親権限を通してやる、と母は決意した。

それより奇妙なのは、涼に海野航一が付き添う際に美佳子に言ったという
「父親は俺です。責任取らせてください!」
である。勿論、美佳子は妊娠していないし、美佳子が航一とどうこうということはなかっただろう。
倒れたのは涼だ。
誰が妊娠し、航一がどう関わっているのか?

夜になって、再び美佳子が連絡をしてきた。
涼は酷い貧血で、胃と直腸を患い、痔瘻で衰弱しているという。
入院加療で治るが、自宅近くに転院をしますかと聞かれた、転院させてもいいか、と言ってきた。
高山まで通うわけにも行かないから、転院を手配してくれるように頼んだ。
海野について聞いてみたら、「悪阻だと思った」としきりに照れていたそうだ。
誰が妊娠しているのか?
「あんた以外の女の子がそっちにいるの?」
「女の子ならさやちゃんだけ」
「まさか紗耶香ちゃんが妊娠してるの?」
「してないよお。さやちゃんたら厳しいよ、彼氏は明日朝帰るの。今日、集中講義を休んで駆けつけたんだって」


涼のことは海野に任せた。
家への連絡は済ませた。
美佳子は何も言わずに寄り添っていた佑哉の方を振り向いた。
「これからもいろいろありそう」
「うん」
短く頷いた佑哉がとても頼もしく見えた。


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