娘のいうことに一瞬耳を疑った。
明後日、日曜日に男の子がやって来るという。
娘の大学の仲間で、1つ年上の修士課程2年。
実は全くの誤解から迷惑を掛けた磯崎紗耶香さんの兄だという。
佐山家に入り浸っていた海野航一君が突然来なくなった。
何事かと電話してみて、母親同士で「航一君のGFである磯崎紗耶香さんが涼に乗り換えた」ものとすっかり勘違いしたのだ。
母親の追求を恐れて逃げ出した涼は、直後に交通事故に遭った。
涼の入院先にわざわざお見舞いに来てくれたというのに、涼は邪険にしたらしい。
兄姉としてお互いの弟妹の誤解を生む言動を謝りあった後、
どこでどう話が転んだか、涼の快気祝いに招くことになったのだ。
この際、主役交代である。
涼の生活態度からいって、決して余所様の批判ができるわけではないとわかっているが、
美佳子をやたらと気の毒がるお向かいさんの娘なんか、男の子をとっかえひっかえしている割には、ぱっとした男の子に当たった試しがない。
まともに学校に行ったり働いたりしている雰囲気の子を見たことがない。
美佳子はあれこれと手を出さなかったが、真面目な性格の大学院生を捕まえそうだ。
やはり女は自分を高く売ってこそ、それなりのグレードの男が見つかるというものなのだ。
こうしちゃいられない!
母は押入を開けて、何やら探し始めた。
「お母さん、どうしたの?」
「確かティーセットを貰ったはずなのよ、引き出物で……」
「……よくためこんだねえ」
「感心してないで、あんたはスカートを捜しなさい」
「スカート? どうして?」
「だって…はじめてBFが遊びに来るっていうのに、いつものジーパンじゃカッコ悪いじゃないの」
「涼の快気祝いに呼んだんだけど……」
「もうっ! 美佳子、あんた、スカート! あるの? ないの?」
「確か高校の時のがあった」
「制服? そんなもの、穿けないわよ」
「穿けるよー。体重は増えたけど、ウェストサイズは変わってないから」
「そーゆー問題じゃないッ! 買ってきなさい!」
タオルセットの山を攻略し、ようやく食器類の山にたどり着いた。
カレー皿、夫婦茶碗、カテラリーセット……
美佳子ではないが、よくぞここまでため込んだ。
「オフクロ、何してるんだ?」
「私はカンガルーじゃない!」
「………」
「なんて呼ぶの?」
「オカーサン…」
「何か捜し物?」
「うん…。確かね、引き出物でティーセットがあったはずなんだけど」
「それなら俺が持ってったじゃないか」
「え? なんですって……」
「高校のバザー」
「………」
「ばあちゃんが一番高いものを持っていけって……」
そうだった。
涼がこのあたりで一番の進学校に入学できたことを喜んだ姑は、わざわざバザー用の品物を買いに行こうとしたのだ。
美佳子の時はタオルや石鹸で済ませていたのに、涼にははりこんだのだった。
そのティーセットを何に使うつもりだったのか聞いて、涼は目の前が暗くなった。
あれはもとはといえば、よく確かめもせず「さやちゃんがーーー、佐山がーーー」とベッドで呻き続けた海野が悪い。
妙に誤解した母親同士が悪い。
しかも、迷惑を掛けた磯崎紗耶香を呼ぶのならまだ納得いくが、なぜその兄なのだ?
あんな陰気くさい無愛想な男を呼ぶなんて――。
なぜ母はこんなにもはしゃぐのだろう?
見たらきっと驚く。
みかねえを守るどころか、みかねえに守ってもらいそうなヒョロヒョロした男だ。
あんなのがみかねえの恋人に昇格するはずがない。(見れば分かるだろう。)
みかねえに手を出して来やがったら、俺が殴ってやる。
もっとも、大人しく手を出されているみかねえではない。
あんなヤツは眠ってたってぶっとばす。
(実際子どもの頃は投げられたことがある。眠っていると、手に触れるものはすべて投げ飛ばしていたらしい。)
それに、釈然としないことがもう一つある。
涼が恋人を連れてきた時、両親は寝ていて起きなかったではないか。(夜中にしか連れてこなかった。)
確かに、彼女を外に待たせて、涼だけがそっとしのびこんで、また2人して出ていったのだ。
でも、本当に見事に気が付かれなかった。
1度だけ起きていたことがある。
ヤバい、と思って、勝手口から出た。
外で待っていた彼女がハーシーのチョコバーを持っていた。
姉に貰ったのだと言っていた。
涼を心配していたのではなく、新幹線が遅れて遅い帰宅となった姉を待っていたのだ。
………
仲間はみんな親に見捨てられてたし、俺は何かにつけて「イイコチャン」呼ばわりされていたから、それでよかったんだが。
騒ぎの大きさでは磯崎家も負けていなかった。
持っていくものは、平凡だが、お花とケーキ。
最初は無難なものがいい。
「ケーキは何が良いかな? 美佳子さん、何が好き?」
「中落ちカルビ」
「聞いた私がバカでした」
兄の研究室では、みんなで行くと言えば、「焼肉食べ放題」――。
およそ色気とはほど遠いのだ。
「お花は……わからないよね…」
「かすみ草」
「それ……お花には違いないけど…」
かすみ草だけの花束というのも、最初には相応しくないような気がする。
「それも適当に見繕うよ。
……お兄ちゃん、靴と靴下だけは新しいの買ってきてね」
服を新調するとわざとらしいので、靴下だけを新調しろという。
今さら妹に逆らう気もなく、佑哉はのんびりと出かけた。
買い物を済ませて、玩具売り場をさりげなくチェックして、特に他に行くところもないのでそのまま帰る。
ぼんやりとプラットホームに立っていたら、背中を軽く叩かれた。
「やっぱり、磯崎クンだー」
「あ…ども……」
フェイントだ。
なぜ佐山美佳子がここにいる?
「目立つねー。ウチの弟もいい目印になるけど、磯崎クンの連れも見失わなくて良いね」
あの目つきの悪い不肖弟か……。
とはいえ、一連の騒ぎの被害者である。
紗耶香が情報収集しようとしたのを、常連の海野が誤解したのが発端。
話は何故か「紗耶香が海野と不肖弟を弄んだ」ことになっていた。
身に覚えのないことなら釈明すればいいものを、不肖弟は母親の追求から逃げ出したらしい。
もっとも、佐山家のお母さんの性格が磯崎家の伯母や紗耶香に似ていたら、俺も同じ態度に出るかもしれん。
逃げ出して、その直後に事故に遭ったというのだから、よくせき運のない子である。
「一人なんだ」
「私もだよ。母にスカートくらい買ってこいって追い出されたの」
「俺は妹に新しい靴と靴下を買ってこいって追い出された…。その……
女の人の家に行くのが久しぶりだからって……」
「うちに来るのに新しい靴下? そんなに気にしなくてもいいのにー。
海野クンなんか、替えの靴下切らして、涼のを履いて帰ったりするのザラだよ。
……靴下なら、良い方だね」
靴下が良い方なら、一体何をやったんだ?――と聞くのは怖いから止めた。
交わした会話はそれだけだった。
やがて来た電車に乗った美佳子を見送った。
じゃ、また、日曜日ねー――動いた唇はそう告げたに違いない。
もう彼女は覚えていないだろうが、昨年の3月、俺をぶっ飛ばしたのがあの人でよかった……
佑哉は唐突にそう思った。
ヘソを出したり、ショーツすれすれまで太腿を見せる服は嫌いだ。
目のやり場に困る。
下着(大抵は黒スパッツだが)を見せてもらっても、困惑が先に立つ。
彼の人形達は、清楚で愛らしかったり、華やかであったりする。
セクシーな衣装を縫うこともあるが、それを着せるのはあくまでもパーティの背景の時だけだ。
やはり理想は……ジュモー
佐山美佳子には女を感じないので、スカート姿を見たことがないのにも気が付かなかった。
彼女に関しては、正直に言えば、どうでもいいのだ。
彼や研究室の仲間を戸惑わせるような、過度にセクシーな服を着るはずがないことは分かっている。
大学でも家でも同じだろう。
一緒にいるところをどこで見つかっても、ひやかされることはない……
そういう気安い女性なのだ。