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11月  不愉快で可笑しい葉書   ホモ文化からヲタ文化へ   ロジックとノミニュケーションの比率   私の便利よりもあなたの命を優先できる幸せ
12月  集団レイプに思う   からだが言うのよ


12月23日

雇用のミスマッチ

技術者の求人は多いが、なかなか求職者がいない。
それに対して、あまり技能を必要としない職は、求人が少なく求職者が多い。
雇用のミスマッチである。

学校教育はいまだに「何でもやる、専門性の高くない人材」「保守的で、“上”に対して従順な人材」を育てるノウハウしか持っていない。
専門職のプライドを強調する教師がどのくらいの割合でいるのだろう。
そうした教員は「変わり者」扱いを受けてはいないだろうか。
個人としては開明的であっても、生徒に向かう時は上下関係を強調してしまう教員も少なくない。
「先生はろくに叱りもしないで、生徒に対して甘すぎる。もっとビシビシやらなくちゃ」と、同僚や親たちに言われるのが怖いからだ。
文部科学省でどのような方針を出したとしても、実際に運用するのは教員達であり、運用させていくのは教育委員である。
教育に関わっているのは、えてして従来型教育で成功してきた人々である。
(私自身、楽しくない小学校生活と楽しい高校生活を経験したので、中学・高校の教員免許状を持っている。)
明らかな支障がない限り、いや、明らかな支障があっても従来型教育との因果関係が明白でない限り、従来型を踏襲してしまうのは人情というものである。

では、普通教育機関に期待はできないとして、専門教育機関ではどうか。
現在増えている法科大学院のような体裁を取り、企業側の経営者ではなく技術者チームとリンクしたような学校になると思う。
そこに経営や事務方を入れてはならない。
というのは、専門職のプライドより従順さが優先するようでは困るからだ。
従順さは、プラスではなく、ニュートラルな評価にとどめておく覚悟が必要になるだろう。

技術者の供給が回復したとして、雇用のミスマッチ解消にはもう一つ難関が控えている。
技術評価の問題である。

島津製作所の田中耕一氏が好例だと思うのだが、技術力で成長した企業の風土には共通項があった。
技術に見合う報酬は出せないが、自由な研究活動を保証するというものだ。
技術者は金銭的報酬ではなく、ただ名誉のために働いてきたのだ。
もっと下っ端の、たとえば女子の技術者も例外ではなかった。
彼女の研究成果の発表で、彼女自身の名前が上司の下に書かれていたとしても(つまり名誉の方も対外的には値引きされてしまっても)、彼女は満足していたのだ。

しかし、それは過去の話になりつつある。
アメリカの技術者達が技術に見合う金銭報酬を要求し、経営側がそれに応えるのが当然――という在り方を、日本人技術者が知ってしまったからだ。
今や技術者達は名誉だけ得られる従来型の評価では満足できなくなり、金銭報酬での表現を望むようになった。
逆に言えば、「金銭報酬に見合う仕事しかしない、余剰エネルギーは私生活に向かう」という姿勢に変わったのである。
企業が低コストで高い技術を得ることが難しくなったのだ。

従来と同じ努力を続けていても、努力することが却って悪い結果に繋がっていくのではないか。
努力するなら良い方向へ。そのために必要なら、企業の在り方も組み替えていく――
求職者が求めるのはそうした企業ではないか。
雇用のミスマッチ解消に取り組む結果、日本社会も大きく様変わりするだろう。

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12月2日

集団レイプに思う

国士舘大サッカー部の男子大学生達が1人の女子高生を監禁状態に置き、長時間に渡って集団でレイプし続けた事件が発覚した。
彼らが任意聴取の段階では罪の意識が全くなかったことを記者は驚いているが、私はそんなことには驚かなかった。
ポルノをそのまま真似た事件を現実で本当にやったことには驚くが、それに乗った「犯人」達が罪の意識を持つわけがないのだ。

別の事件や事象にもあてはめてみよう。

子どものイジメ、及び自殺又は他殺。
イジメをやっていた真の加害者は不思議そうに首を傾げながら「僕は楽しく遊んでいただけなんです」という。
現代に限らず、私が子どもであった頃から、イジメの加害者はそう言ったものだった。
そこに「相手はどう感じたのか」という発想はない。

古い話だが、性教育を進める側と反対者(どちらも中学校教員)の論争を読んだことがある。
「性教育」と銘打っているが、論争の的は性器の名称を教えるか教えないかである。
私などは「性器教育」と呼ぶべきだと茶化した。
その論拠は自らの趣向であり、そこに「相手はどう感じるのか」「2人で性行為を作っていく」という発想はない。

「犯人」達が平気で残虐な犯罪を行い得たのは、被害者が「恋人」とかだれかの「妹」といった特定の存在ではなかったからだ。
相手は「女という対等ではない存在」であり、しかも保護すべき対象ではなかったということだ。
誰でもない対象は、ポルノのように、最初は嫌がっていてもだんだん「感じる」筈であった。
そうした、相手の人間性を無視した思いこみは、日本社会に巣くっているのだ。

最後に、今回の被害者が「女に隙があったからだ」「自分から乗ったのだから仕方ない」等の的はずれな非難に晒されないことを願う。
そして、「犯人」達が「自分が何をしたのか」を考え、贖罪を考えられるようになってほしいとも思う。
問題は「犯人」達の今後の処遇ではない。

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12月1日

からだが言うのよ

17歳以前の妊娠や多産は子宮ガンの発現率と強い正の相関関係がある―
出産経験のない女性の方が乳ガンになりやすい―
といった女の身体に関する統計を見るたびに、私達の身体がどのようにできているのか思い知らされる。

そして、日本では合計特殊出生率が2を切って久しいが、実際に女性達が産みたい子どもの数は実態よりも多い。
経済状況や宅地面積がそれを許さないというだけである。
逆に、多産地域では女性達が産みたい子どもの数は実態を下回る。
女が自分の健康を考慮することが難しい社会だというだけである。
平均を取れば、女性の希望は3〜4人くらいになるのではないか。

現代の文明をもってしても、静止人口を達成するために必要な合計特殊出生率は2.1である。
事故や病気、飢えで子どもが死ぬことを考えれば、採集経済においてその数字は3くらいになるだろう。
経済状況が(または夫や舅が)それを許せば、ほしいと思う子どもの数は、女の身体がそうできている状態と一致するのではないかと思うのだ。

日常生活や職業生活にも同じことが言えるのではないだろうか。
かつて、根気を必要とする単純労働は女性に向いていると言われたものである。
現代では介護などの細やかな配慮を必要とする仕事が女性に向くと言われる。
一体どちらだ、とツッこむ必要はない。
どちらも男性がやりたくない仕事である。
ただ、前者に関しては、工場移転や外国人労働者の雇用などにより、同国人女性にやって貰わなくてもよくなった。
今や「女性向け」は家事や介護の分野だけなのだ。

家事や介護に関しては別の考察が必要だと思う。
しかし、毎日繰り返される単調な労働がなぜ男性達に嫌われたか―は、女性の望む子どもの数と同じ説明が可能だろう。
野生のヒト、採集経済社会では、毎日繰り返される単調な労働がないからだ。
男性の、というよりは、人間の身体は本来採集経済向きにできているのだ。
農耕の文明によってできた習慣を、身体の方が不得手と感じるのではないか。

私達の代謝速度が1万年前も今も変わってないことが、もっと保守系男性達にも知られると良いと思う。

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11月23日

私の便利よりもあなたの命を優先できる幸せ

人生一寸先は闇。
地震や火災、風水害などに遭われた人々にあったり、話を聞いたりする度に思う。
今年の各地の台風や新潟の地震では、子どもやお年寄りの手を握り、非常用持ち出し袋を背負って逃げた方が多いのではないだろうか。

ところがその避難について、被災者に援助をするのは甘やかしだという意見を読んで大変に驚いた。(詳しく見る)
私は「避難は非常用持ち出し袋と保護すべき命だけを持って」逃げるものだと思っているのだ。

江戸ではしばしば大火災が発生した。
当時の幕府は火災の際に大八車を曳いて逃げることを禁じていた。
大八車の荷物に火が点き、それが道をふさぐからだ。
関東大震災では江戸の教訓が忘れられていた為、多くの人が大八車を曳いて避難しようとした。
あちこちで荷物に火が点き、炎上し、道をふさいで多くの人の避難を妨げた。
その熱はやがて竜巻をひき起こし、人も、タンスも、大八車すら宙に舞い上げられた。
人が幾重にも重なって倒れ、上に倒れた人は焼死した。

避難後の自分の便宜よりも、まずは助かること。
日本人はそれを学んだのではなかったか。

震災後、アメリカでは日本の被災者に対する援助が呼びかけられたらしい。
そのポスターを見たことがある。
金髪のターザンのような姿をした男性が後ろ向きで腕を伸ばしていて、その傍らでは金髪のジェーンのような女性がぼんやりと座り込んでいて、2人は筏に乗っている――という図案だった。
当時のアメリカ人の日本人に関する知識が今一つ分からないのだが、とにかく遠い異国の被災者達に何かしてやれることはないかと考えたことは確かだ。

現代では行政側も大変に頑張っていて、とりあえずの食事も毛布も支給することができた。
プライバシーの権利を云々していられないといった不備もあるだろうが、何とか必要最小限の支度で避難して、救援を待つことができる。
こうした官民共の対応があるからこそ、自分の便宜よりも多くの命が助かることを優先した避難が可能になったのである。

今日でも尚、世界には、他人の命よりも避難後の自分の生活を心配しなければならない社会が多くあることは確かだ。
しかし、社会保障があまりにも貧弱な社会があるからといって、それが機能している社会を貧弱な弱肉強食社会にしようというのはおかしい。
他人の命を踏みつけにして逃げなくてもすむ現代日本に感謝しよう。

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11月15日

不愉快で可笑しい葉書

今日私宛に届いた葉書がまさに表題通りのものだったので、ご紹介します。

電子消費料金未納分請求最終通達書

 貴殿の御利用された「電子消費料金」の未納分に
ついて、契約会社より回収業務の委託を受けました
ので、通達させて頂きました。
 法務省認可通達書となっておりますので、「民法特
例法」に基づき連絡無きお客様につきましては裁判
所からの書類通達後、指定裁判所へ出廷となります。
また判決後の措置としまして給与及び、動産・不動
産物の差し押さえ等を強制執行させて頂きますゆ
え当局と執行官による「執行証書の交付」を承諾し
て頂くようにお願いすると同時に、債権譲渡証明書
を一通郵送させて頂きますので承諾の上ご返送下
さい。
 尚、書面での通達となりますのでプライバシー保
護の為、請求料金・お支払い方法等は当局職員にご
確認下さい。

 以上を持ちまして最終通告とさせて頂きます。

裁判取り下げ最終期日 平成16年11月17日
      (代表) 03-****-****

まずは「電子消費料金」て何?
「契約会社より回収業務の委託を受けました」というけど、契約会社ってどこ?
「民法特例法」って「電子消費者契約及び電子承諾通知に関する民法の特例に関する法律」のことかな?

「無料」画面だと思ってクリックしたら「有料」で代金を請求されてしまったというケースや、1つ注文したつもりが2つ注文したことになっていて、同じものが2つ送られてきたというトラブルが発生した場合、商店がそれらを防止するための適切な措置をとっていないと消費者からの申込みじたいが無効となります。

この不思議で不愉快な葉書をくださったのは「東都中央管財事務局」さんです。
でも、私のところに直接届いて良かったです。
実家に送付されていたらちょっと危なかったです。

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11月8日

ホモ文化からヲタ文化へ

島田紳助氏が帰国子女である女性マネージャーを殴り謹慎中である。
事件の経緯は洩れ聞こえてくるが、島田氏に同情的な感想を持つ人も多いのではないだろうか。
特に中高年男性は「殴ったのは行き過ぎの感があるが、島田氏の怒りはもっともである」と感じる向きが多いのではないかと思われる。
ビジネスの場に限らず、全人的な上下関係の中で動いている島田氏の文化は、会社人間として生きてきた男性達と共通のものがある。

休日も返上してエネルギーのすべてを会社に捧げ働いてきた男性達。
しかし、彼らには「会社に搾取された」という意識は殆どない。
仕事が終わってもまっすぐ帰宅せず、酒を酌み交わす相手は会社の仲間・男性である。
不倫相手の女性ということは滅多にない。
もし仮に女性が混じっていても、あくまでも会社の、男性と同等に扱える女性だ。
定年退職した上司ともしも飲食店で遭遇したら、今や彼よりも自分の方が年収が多いことは分かっていても、彼よりも値段の安いものを注文にして彼を「立てて」しまう。
会社を離れても、上下関係は厳然として存在する。
この男性には会社の上下関係人間関係がどこまでも広がっている。
家族への愛は「生活費を稼ぐ」という形を取って表現しているので、文句を言われる筋合いはない。

かつて、同性を好む男性を「硬派」と言って讃え、異性を好む男性を「軟派」と言って軽蔑していた。
同様に、会社のために体も心もすべてを捧げた男性は立派な「企業戦士」であり、私生活を充実させたいのは「軟弱な最近の若い者」なのだ。
こうした考え方は、姿を変え、形を変えて、日本人男性の文化として続いてきた。

その最後の形は年功序列の会社である。
女性が会社に本格的に進出して(すなわち「男性が嫌がる補助的な仕事ばかりを担当させられるのはイヤだ」と言いだして)から、年功序列が軋みはじめた。
実力主義というものが導入され、全般にわたって一貫していた序列に逆転する場面が出現する可能性が出てきた。
最初は、勤務評定に実力を加味すると宣言しながら、実際にはきっかり年功序列を守っていた。
一部の変わり者はともかく、大部分の男性は男社会の連帯の中にいた。
(近代の企業が女性に能力をはるかに下回る仕事しかさせようとしなかったのは、性差別というよりも、男連帯に異物を入れることを嫌ったからではないかと考える。)
しかし、経済が全面的に国境を越えた「国際社会」の到来と共に、実力主義が大好きな欧米の会社とも付き合わざるを得なくなった。
今や年功序列は崩壊し、男社会の連帯よりも私生活の充実を望む軟弱者達が爆発的に増加しているのだ。

そして、近年は究極の軟弱者達が増殖中である。
彼らは、自分自身を最も効率的に満足させてくれる趣味の世界に没頭する。
ヲタクである。
ビジネスとプライベートを厳密に分ける発想も彼らには奇異ではない。

このままでは、数年も経ないうちに、身体はヘテロでも心はホモという男性が少数派になり、御しがたい生身の女性よりバーチャルの少女を好む故結婚も必要としない男性の方が多くなってしまうかも知れない。

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11月1日

ロジックとノミニュケーションの比率

お酒を交えて「腹を割って話し合う」――ノミニュケーション。
お酒を飲んでコミュニケーションを図ることから、よく聞いた言葉です。
これが好きな人は本当に好き。
概して気の好い人が多いような気がします。
お茶やコーヒーを飲むよりも、ぐっと親近感が増しますし、年齢や立場といった垣根も瞬時に取り払ってくれます。
私も嫌いではありません。
楽しいお酒の席は大歓迎です。

ところが、私は酒席を嫌う人物として認識されていたようです。
理由の一つは、妊娠中に全く飲めなくなったこと。
カクテルを2杯頂いただけで、体温が急降下。真面目に流産を心配しました。
出産後もしばらくは怖くてアルコール類を口にできませんでした。

もうひとつはノミニュケーションに期待するものが、お酒好きな人々と全く違ったことです。
お酒好きな人々は、酒席にビジネス上の交渉まで期待してしまうのです。
一緒に飲んだのだから、もう相手のことは分かっている、
俺の言うことは分かってくれたはずだ、
そう思い込んでしまうのですから、後でいくら「それは違います」と言っても通じないのです。
私は酒席に「親近感を持つ」以上のことは期待しません。
一緒に飲んでも、ビジネスはビジネスです。
ビジネスはアルコール抜きで、ロジカルにやってこそ、合意が得られるものと信じています。
私の場合、ロジックとノミニュケーションの比率は9:1といったところでしょうか。
従来の日本企業ではノミニュケーションの比率は大変高く、100%を占める人(「理屈ばかり言うヤツは冷たいのだ」と主張する人)も少なくなかったのです。
その中では私も「お堅く冷たい」人物でした。

ノミニュケーション万能派にとって不幸なことに、近年私以上にロジック好きな人物が増えてきました。
彼らはノミニュケーションにはほとんど期待しないのです。
彼らは「お酒はプライベートで楽しく」「ビジネスはロジックだけで」の意識が大変に強いのでしょう。
プライベートの世界に属するお酒と、職場の人間の組み合わせに、違和感を感じるのかも知れません。
万能派は驚き、呆れ、「最近の若者には上司とのコミュニケーションを避けたがる自分本位な者が多い」と嘆いています。

万能派であっても先を読める人ならば、私のようなノミニュケーションには親近感だけを期待する中間的なタイプが出てきた時に、次の世代に備えたのでしょう。
しかしながら、多くの万能派は「あいつは冷たい」「あいつは変わっている」でその場を過ごしてきてしまいました。
そして、今にいたって尚、若者達にノミニュケーションの素晴らしさを教えようという使命感に燃えています。

冷たいようですが、この世に万能のものなど滅多にありません。
私は、インターフェロンが夢の制ガン剤ではないことが分かった時に、悟りました。



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