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3月  3月6日の日記   腕っぷしと記憶力   動物の家族   野球は珍しい文化?   怖い話
4月  不思議な10代 4月7日の日記 誉めて育てる? 叱って育てる? 楽しいお弁当 凶悪犯罪の真犯人

4月25日

凶悪犯罪の真犯人

埼玉県入間郡の連続幼女誘拐殺人事件の時は、加害者所有のおびただしい漫画やアニメが取り沙汰された。
ながらく、青少年の精神をむしばむものとして敵視されたのは漫画であり、TVが普及するとアニメーションが加わった。

漫画家や漫画雑誌関係者、アニメーション制作者などは、青少年による凶悪事件が起きるたびに、随分と肩身の狭い思いをしたのではないか。
しかし、もう大丈夫。
佐世保の女子小学生殺人事件や今回おきた大阪の幼児殴打事件を見て分かる通り、世間の目はネットに向いている。
もう漫画やアニメ関係に非難が集中することはないだろう。

このように「いつもの悪者」がでてきたところで、マスコミ関係者も視聴者も安心してしまう図式がある。
そして、しばしば肝心な報道がなされないまま、事件が忘れられるのである。
事件の後に出てくる議論は「起きてしまった少年犯罪をどうするか」といった視点がもっぱらになる。

しかしながら、私にとって気にかかるのは、「不登校になった後に何にのめり込んだか」ではなく、むしろ不登校に至るまでの原因や経過である。
家庭内に引きこもってしまった人間が何をやるだろう?
読書か、DVD鑑賞か、テレビゲームか、日がな1日テレビを見て過ごすか。
集団スポーツや格闘技ができるわけがないし、ひとりでできても陸上は外を走る、エアロビクスは厳しくてもヨーガならなんとか可能だろうか。
そのような、ある意味当たり前のことを熱心に報道されても、そこから発展がない。

不登校に至るまでの原因・経過が分かってくれば、一人の子どもが自分だけの狭い世界に入り込んで一般社会とずれていく過程も分かるかも知れない。
うまくいけば、発展があり、子ども達が少しでも救われるかも知れない。
子ども達が子どもの世界(閉鎖社会)で孤立してしまった時、どのようなセーフティネットが準備できるのか?
地域や教育行政で補助していくことが可能かどうか。

半分くらい諦めつつ、今度こそ、
「インターネットが悪い」で安心して終わらないことを
「少年犯罪に対する処罰を重くすればいい」で終わらないことを、
願ってみる。

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4月20日


楽しいお弁当

結婚したばかりの頃、夫婦2人分の弁当を作っていた。
独身の頃は昼食を買って済ませていたが、結婚後もそれを続けるのは恥ずかしく思えた。
私は、少々の見栄と、昼食代の節約のために、弁当を作っているつもりだった。

ある日、軽く「お弁当があると助かる?」と主人に聞いてみた。
主人は一瞬の間をおいて、効率が悪いと言った。

弁当作りの時間を節約して、私がきちんと休んでいれば、仕事の方が充実する。
弁当そのものも、大量生産で行えば、個人の家庭よりもずっと安価にできる。
(ついでにいうなら、食品衛生の管理もしっかりできる。)

まったくその通りであった。
私は「今日はこれを食べたいな。主人にも食べさせたいな」という楽しみのために、弁当作りという非効率を買っていたのである。
その代価が、私の労働と時間、非効率なガスや食材だというわけだ。
もしも感謝を求めるなら「美味しかったよ」で十分ではないか。

以来、弁当は楽しんで作ることにした。


蛇足。

娘が通う小学校では、ベルマークを集めて換金している。
年に3回ほど、整理し点数を数えるために係の親たちが召集される。
20人くらいで3時間前後作業し、2万円分ほどのベルマークを分類できる。

この作業のために、飲み物が用意される。
他の人たちは車でやってくるが、私は自分の車がないので片道480円のバス代が必要となる。
(帰路は誰かの車に同乗させてもらっている。)
もし、係の親たちに3時間のベルマーク作業の代わりに1時間分の賃金を寄付して貰うことにしたら、飲み物代やガソリン代をかけずにすむ分だけ多くのお金が集まる。

つまり、ベルマーク作業は経済的な理由でやっているのではない。
私は、ペットボトルのお茶を飲みながら、娘の同級生のお母さん達と雑談するために、作業に行くのである。

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4月9日

誉めて育てる? 叱って育てる?

昨今は「誉めて育てる」が流行である。

ところで、誉めて育てる方針の人たちは、けなされて育った世代でもある。
子どもの頃の少女漫画を思い出すと、ヒロインは貧乏人の娘であり、ライバルは金持ちの娘であった。
ヒロインは厳しく育てられているが、母親が亡くなっているか、しばしば行方不明であった。彼女は大変に献身的で、心優しい少女として描かれるのが常だった。
対してライバルの金持ち娘の方は、誉められるばかりで育ったので、高慢チキであり、底意地が悪く描かれていた。
当時の人々は「子どもは誉められると増長する」と信じていたのかも知れない。

私自身も、同年代の人たちも、あまり誉められた記憶がない。
誉められた方は記憶に残りにくい、けなされた頻度の方が圧倒的に高い、といった原因があるのだろう。
だが、やはり現代の目から見ると、当時の親たちは謙譲の美徳をより重視していたのだと思う。

人を立て、出しゃばることのない人間に育って欲しかった親の願いも虚しく、当時は詰め込み教育のピークであった。
不自然なまでに競争を避ける現在とは逆に、本来競争にはならないものまで競争にしてしまうのが、当時のやり方だった。
(何であれ、はやいのが偉かったのだ。「給食をよく噛んで食べましょう」は何の意味もないスローガンだった。)
小学校に上がると、親がどう言おうと、集団の中での自分の順位など簡単に分かってしまうのだ。
その結果、私は「親は嘘吐きだ」と思ってしまった。

現代の親たちが誉めて育てる決心をするのは、きっと反動なのだ。
そして、この次は「叱って育てる」が脚光を浴びる日が来るかも知れない。
ただ、親にせよ、教師にせよ、誉め忘れる(タイミングを逃す)ことはあっても、叱り忘れることはない。
理想が「間違えるのは仕方がないにしても、率直に誉めたり叱ったりして育てたい」なら、誉める方に意識を集中するくらいでちょうどバランスがとれそうだ。

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4月7日日記

今日は娘の始業式。早くに帰ってくるので、駅のあたりでお昼になりました。
そこで、駅前のファミリーレストランに入りました。(うちは小学生としては遠距離通学なので、ちょっと家までは保たないのです。)
隣の席にいたのは女性3人組。最初は韓国ドラマの話をしていました。(おひとりが残る2人に「韓国ドラマがお薦め」と話していました。)
聞くともなしに聞いているとだんだん話の焦点がずれていって、すごい台詞が出てきました。
「男なんか仕事(職業)しかしないんだから、仕事するのは当然」
私なんかはジェンダーフリー論者ですから、男女共に職業人であり家庭人であってお互いの苦労が分かり合えた方が良いと思っています。
しかし、女性の中にも「私は家事だけやっていればいい、男は仕事だけやっていればいい、就職するのは不本意だ」という人がいます。
ジェンダーフリー反対論者の男性と相性が良さそうだと思いました。彼らの配偶者として最適ではないかしら。
ところが、現代は恋愛結婚ばかりで、男性にとって知り合う女性は職場の女性ばかりとなります。
いくらジェンダーフリーに反対でも、「どーせ腰掛けだからまともに仕事する気なんかない」と無責任を決め込む女性に魅力を感じないのかも、と思ってみたりして。
小説でも書いたのですが、私が就職したばかりの頃って、ひとりでもそういう無責任女性がいると女性全体の待遇が悪いのを正当化されてしまうので、みんなで苛めて彼女を辞めさせたんですよ。
今はそこまでのことはないだろうけど、やっぱり腰掛けのつもりの人はできるだけ速やかに寿退社するのが、お互いにとって良いと思います。(というか、最初から就職しないで欲しい。)
でも、職場では職業・家庭両立派が魅力的に見えてしまうとなると、せっかく相性が良さそうな男女がすれ違うんですよね。
お見合いが復権すればいいのにね、と思いました。

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4月1日

不思議な10代

全員ではない、ほんの1割弱の高校生である。
しかし、どこでも見られ、強烈な印象を残してくれる高校生達だ。

彼らは課せられたリポートなどを提出しないのである。
提出期限に遅れる高校生はよくいる。
「昨日、頭が痛かったんです」などの理由を付けて持ってくる。
なんのために、期限まで1週間も取ってあると思うのだ?
とは思うが、とりあえずそこはつっこまずに、評価をして遅れた分をマイナス点として明記して本人に返すことにしている。

常々、期限に遅れそうな時は予め申し出ろと言ってあるのだ。
「未完成でもできたところだけ提出しなさい」
「この時点での評価をしておくから、全部できたら提出して」
といった指示をするためだ。
守れる生徒はほとんどいない。(守れるくらいなら遅れたりしないか。)

中には提出しない生徒がいる。
授業が終わった時に声を掛けると「どこかになくした。これから書き直す」といった理由を言ってくれる。
2回目以降はたいていの場合「すみません、出します」なのだが、以後はずっと同じことが繰り返される。

度重なると、こちらも疲れてくるので、声を掛ける頻度が低くなってくる。
担任に言ってもらうことも多い。

こうして年度末を迎え、時間切れとなる。

期限は1週間取ってあるものの、2〜3時間かければ完成してしまう課題が多い。
何度も請求されるよりも、友だちに手伝ってもらってでも提出してしまった方が、よほど楽だと思うのだが。
「期限に遅れたら受け取らない」という教員もいるので、最初は混乱するかも知れないが、何度も請求されるうちに「遅れてでも提出する」という方式を理解して欲しい。

私がこの方式を採用しているのは、遅れたら自動的に受け取らない方式よりも、将来的に応用範囲が広いと考えるからだ。
懸賞応募や確定申告は遅れたら自動的に受け取らない方式である。
それに対して、職場で上司や顧客に報告(説明)をする時は必ず報告しなければならないものとなる。
期限内になんらかの答えをしなければならないだろう。

一般社会に出れば、相手が疲れて諦めるまで放っておくという行動パターンは、嫌でも矯正されるはずである。
不思議なもと高校生達も、今は立派な社会人になっているだろう。
矯正されてくれなければ困る。

――注文を出して「午後には届きますので、入荷したら電話します」というので、信じて待っていたが、翌日になっても電話が来ない。翌々日、しびれを切らして、こちらから電話してみたら「在庫が切れているそうです」――
が実話になったら困る。

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3月28日

怖い話

私の祖父は大阪第八連隊の騎兵として満州に行った。
「またも負けたか、八連隊」と揶揄される大阪第八連隊だが、やはり歩兵の死亡率は高い。
「騎兵だったから、生きて帰ってこられた」とは、本人もよく言っていた。
しかし、満州での経験を孫らには一切語らぬまま、20年前になくなった。
ここに書く祖父の経験は、父が幼い頃に祖父から聞いて話であるが、忘れないうちに書き留めておく。


朝、身支度を整えるために川へ行く。
洗顔などは川を利用したらしい。
最初の朝、顔を上げると上流から何か流れてくる。
よくよく目を凝らすと、死体であった。

死体は、毎日毎日流れてきた。
理由は分からない。

最初の衝撃は語らなかったが、やがて間近まで流れてきた凍死体(水死体?)を手で押しやって、身支度をするようになった。
そのうちに死体に対して何も思わなくなったらしい。


当時、日本人と中国人が乗る車輌は別だった。
ところが、ある時、なぜか中国人が乗る三等車の方に乗ってしまった。

軍人が乗る方の車輌に移動している時、ひとりの中国人女性が目に付いた。

彼女は赤ん坊を抱いていた。しかし、赤ん坊の顔色は青黒く、尋常ではない。
彼女に事情を聞いてみると、赤ん坊が病気だという。
祖父は軍医と親しかったので(戦後も、近所に住み、懇意にしていた)、日本の軍医に診せてやると言った。
すると、彼女は赤ん坊を隠すようにしながら、中国人の医師に診せるという。

彼女の行動を不審に思った彼は赤ん坊を取り上げた。

その子はすでに亡くなっていた。
さらに産着を脱がせてみると、腹が切り裂かれ、縫い合わされている。
赤ん坊の死体の中には麻薬が詰められていた。

彼女のその後は聞いていない。
また、運び屋をやっていた彼女の道具とされた子どもが、彼女自身の子だったのか、どこかから盗まれた子なのかも分からない。


戦闘が直接行われていなかった場所でも、人の心は確実に荒んでいたのだ。


祖父の方から戦時中の話は聞けなかった。
むしろ、戦時中に、あるいは戦後に苦労したと多く語ってくれたのは、日本に残った祖母であり、父である。
しかし、何かがあったと窺われることもある。

時代劇を見ていて不愉快そうに立ってしまった時。
彼自身が刀で人を斬ったことを思いだしたに違いない。
(もっとも時代劇のように爽快にはいかない。人間の血や脂が絡みつくので、日本刀で斬れるのは3人が限度。3人目は遺体に足をかけ、渾身の力で刀を引き抜くのだという。)

国民の祝日にはご近所が一斉に日の丸を掲げていたが、祖父は絶対に揚げさせようとしなかった。
「うちには立派な旗があるのに」と祖母が残念がっていたが、結局祖父が亡くなった後も日の丸を揚げていない。

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3月24日

野球は珍しい文化?

以前、巨人ファンを非難したが、今日突然天晴れな巨人ファンを思いだした。
彼は、晩酌をやりながらプロ野球中継を観るのが何より楽しみという、ありふれた巨人ファンだった。
彼は巨人ファンであることを誇らしげに語ったが、その直後にこちらに野球は好きか、どのチームが好きか、と聞いたのである。
巨人ファン以外のプロ野球好きもありうると、彼は理解し、なおかつそのことを野球の話の時にも覚えていたのである。

当時は津田投手(南陽工高〜協和発酵〜広島カープ。1982年の新人王。)が活躍していたから、私は広島ファンだった。
彼は頷き、自分も広島は好きだと言った。
アメリカ人選手に頼らず、選手を育てようとするチームカラーを買っていると言うのだ。
おそらく彼は巨人にも「選手を育てる」チームになって欲しかったのだろう。
彼は「巨人ファン」というよりも「プロ野球ファン」であったと思う。

私と同年代やその上の年代の男性は、やはり野球が好きだという人が多い。
接待ゴルフが盛んだった頃も「草野球の接待も喜ばれると思うけど、相手に花を持たせるのが難しい。ゴルフが一番無難」と残念そうに言っていた人もいる。
「相手に花を持たせるのが難しい」
近年人気のスポーツにはそうした特徴を持つものが多い。
中でも野球は日本人にとって、その草分け的存在である。

明治時代の初めでは、まだ「全力でプレイ」というスポーツの本質が理解されていなかった。
昼間に馬術をやったが徳川さん(家達?)が優勝し、夜にトランプをやっても徳川さんが勝った――
という当時の記事を読んだことがある。(昔の記憶なので曖昧。申し訳ない。)
武士達の馬術や将棋などは、接待ゴルフに近いものだったのかも知れない。
心身の鍛練は修行で、すなわち誰かと競ってやるものではなく、孤独にやるものだったのではないか。

そして、上位者に花を持たせるのが難しいスポーツ・野球に出会う。
当時の開明的な人々が夢中になったのも分かる気がする。
競い合って心身の鍛練になるというので、開明的でない人々にも受け入れられたのではないだろうか。

新しい文化には、とかく非難が集中する。
若者は常に「ダメになった」し、それは新しい文化の所為なのだ。
野球は(今のところ)あまり非難されなかった珍しい文化じゃないかと思っている。

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3月17日

動物の家族

家族論や社会論を展開する時、ヒト以外の哺乳動物を引き合いに出す文章をよく見る。
動物が好きな著者なのだろう、その動物に関する知識は大変に細かく、活き活きと表現されている。
読んでいて面白く、彼の文才には軽い嫉妬を覚える。

だが、家族論や社会論への応用は大変に難しいのだなと思う。
これだけの知識があるのに、どうしてこんな書き方にしちゃうかな?――

代表例はライオンやニホンザルの雄(それも群れの中にいて「ボス」とか「リーダー」とかしばしば呼ばれる雄)の役割を「家族を守る」としてしまう文章だ。
ライオンにせよ、ニホンザルにせよ、なわばりは雌グループのモノである。
雄は基本的に股旅であり、彼女達のなわばりには関わりがない。
従って、ライオンがよそのなわばりに侵入した場合、それが雌なら攻撃され死にかけた姿でなわばりに戻ってくるが、雄にはなんのおとがめもない。
隣のなわばりのライオンたちとの抗争とは、雌同士の話であり、どんなに強くても雄がその争いに加わることはない。
群れの中にいる雄が戦う相手は、彼に代わってその群れのお婿さんになろうとしている雄である。
彼の戦いはあくまでもお婿さんの地位を守るためのものである。

哺乳動物の群は基本的に雌グループのものであり、雄が入っていても、それは家族ではない。

また、群れの中の1位の雄をしばしば「ボス」とか「リーダー」と呼ぶが、別に群れの行動に指導力を発揮するわけではない。
群れがどこに行くのか、何をするのか、に関しての決定権は彼にはない。
彼の特権は、交尾の時にどの雄にも邪魔をされないことである。

人間社会が動物の行動に投影されてしまった例は数多くある。
そこで使われる人間の家族像・社会像はしばしば高度経済成長期のものと酷似している。
「高度経済成長の夢よ、今一度!」と切望しているのは、一部のゼネコンや政治家だけではないらしい。

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3月6日

腕っぷしと記憶力

ニホンザルたちの恋の季節もそろそろ終わり頃だろうか。
この季節だけは群れの外にいる雄達も雌達に近付いてくる。
雌はテリトリーを持ち、群れで行動するが、雄は群れの中にいたり、単独行動をしていたりするのだ。

それがすべてではないが、やはり雄の世界は腕っぷしだという感じを受ける。
雌の場合は記憶力勝負だろう。
テリトリー内の餌場のありか(季節によって変化)、群れの姻戚関係や力関係、年頃になったら群れを出ていく兄弟のこと(万一彼が間違って元の群れにやってきても兄弟姉妹の交尾は避けられる)。

雌がテリトリーを持ち、雄が股旅――は哺乳動物の基本である。
ライオンの場合、テリトリーの境界部分では抗争が発生することもある。
そうした場合、リーダーは勇敢ではない雌の方を時々「ちゃんと来なさいよ」とガンを飛ばしながら進むのだという。
勇猛果敢な雌、育児が上手な雌、様々な雌達で群れが構成されている。

しかし、哺乳動物の中には雄がテリトリーを持つものもある。
たとえばチンパンジーの群れは雄(男)が維持し、雌(女)がお嫁入りするのだ。
こうした場合、長い距離を移動する雌(女)が筋力自慢になり、テリトリー内を熟知しなければならない雄(男)が記憶力勝負に出ても良いような気がする。

ところが、チンパンジーですら他の哺乳動物と変わらない。
犬山で実験・観察に協力しているチンパンジーの子ども達、はっきりと性差が見て取れるそうだ。
男の子は外遊びを好み、女の子が「お勉強」に乗ってくる。

チンパンジーがいつ頃から雄(男)がテリトリーを持つスタイルを確立したのかは分からない。
ボノボ(ピグミーチンパンジー)も雄(男)がテリトリーを持つことを考えると、両者の分岐の頃には確立したのではないだろうか、とは思う。
いずれにせよ、人類に四大人種ができた頃などよりは遙かに昔のことだろう。
それでも、男は腕っぷし・女は記憶力の図式は揺るぎないものらしい。(少なくとも腕っぷしの方は雌を巡る戦いを通じて進化したのだから当然か?)

現代は、家柄や性別に関係なく、個人個人の適性に合わせて生きることが求められる時代である。
そこで、提言2つ。
ひとつは、(だんだんなくなってきた意識なので、このさい)「男性がやりたくない仕事は女性向きなはずだ」という主張は取り下げるべきである。
私達の身体には「繰り返される単調な仕事」は想定外なのである。
もうひとつは、女性の記憶力の復権と腕っぷしに自信のない男性の救済。

記憶力に乏しい女性がセックスアピールで補って、または記憶力があっても最初からセックスアピールに頼るという生き方は、文明のごく初期から可能だったらしい。
いつしか女性の心身一切が性淘汰で説明されるようになってしまったとの感もあるが、やはり女性の本分は記憶力と女同士のネットワークだろう。
本末転倒はいけない。あくまでも第2の道は第2の道で、本分で行ける女性までも第2の道へ追いやるような歴史を繰り返すべきでない。

男性にも第2の道、第3の道があって良い。
様々な能力を開発するという意味において、男性の方がより大きく変化したように思える。
今や直接腕っぷしがモノを言うことはない。
しかし、それは潜伏した形で男性の地位を決定している。
近年までパワーハラスメントがハラスメントとして問題視されることは全くなかった。
力を以て上下を決めなくてもビジネスは成り立つ。
男性が多様であっても、十分支えられる社会だと思う。

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3月6日の日記

ネットに繋いでいると、思わぬ情報が入ってきます。芸能関係です。
今のところという限定付きながら、私が昼間家にいる主婦であった期間はごく短く切れ切れで、しかも娘が乳幼児だった頃が大部分を占めています。
マスメディアというのは、そうした人間には敢えて芸能関係の報道をしないものなんですね。
TVではよほどの大きなニュースでなければ、夕方と夜は政治・経済・社会中心です。(深夜は知りません。)
雑誌も、ゴシップ記事で埋め尽くされたような雑誌をわざわざ買っているのは、病院と美容院しか思いつきませんでした。
ところがネットは無制限ですから、「うわー! 芸能ニュースってこんなにあるんか?」と連日叫んでいます。
今では大概のことには驚かなくなりましたが、今日は故松田優作氏ポーズを取ってしまいました。
なんじゃ、こりゃ〜〜〜〜〜!
ゲンダイネットさんの報道なのですが、長谷川京子氏がCM起用率が高くメディア露出が多いわりには、知名度や好感度で2位3位の芸能人に抜かれている、だそうです。
ここまでは事実関係ですから問題はありません。問題は記者の意見部分。
この際知名度を上げるために大きなスキャンダルを起こせと勧めているのです。
芸能人という特殊な職業なのは分かりますが、知名度上げるためなら手段は何でも良いのか?
むしろそういった「裏技」の方を推奨するのか?
我が子に「悪魔」と命名しようとした親と同じ発想じゃないですか。
しかも、赤の他人に勧めることか?
折しも、ライブドアとフジテレビの泥仕合中。
私も堀江氏のメディア論の方が説得力在ると思う。でも、あのような記事を何とも思わずに読んでいる人が多いとしたら…ゾッとします。
では、いつまでもマスメディアが君臨し続けるのがいいのか?
断固、No!
メディア盲従の態度が民衆に擦りこまれたのは、マスメディア全盛時代のことだからです。
ネットと違って、時間帯の垣根まで取り払えなかっただけのことです。
対抗手段は? やはりネットしかないでしょう。
素朴でも何でも良い、「おかしい」と感じたら、「おかしい」「何となく嫌」と発信し続けることです。



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