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[ ひとりで行けるもん 女性化する日本社会? こうすれば良かった、スポーツテスト ]

6月27日

デフレスパイラルが止まらない

何かのきっかけで「家庭と仕事の両立」の話になると、主人はこう締めくくる。
「もし、家庭か仕事のどちらかを選ばなければならないなら、男は仕事を取るよ」

分かる。
なぜなら、私も職業が「結婚又は出産までの腰掛け」であった時代に働いていないからだ。
1980年代から1990年代、好況不況に拘わらず、一貫して仕事を真面目にやる女性が認められる方向に変化してきた。
それ以前は、女性が電話に出ると「誰かいないの?」と反応されたらしい。
従業員がいるから電話に出ているのだが、この場合の電話に出た人は従業員としてみなされていない。
逆に言うと、
「どうせ腰掛けなんだから、真面目に仕事をする気はない。努力なんかまっぴらごめんである。
従って、会社の事業についても覚えていない」
という女性従業員が実在したのだろう。
それでは「職場の花」(=植物だから動かない・職場を和ませる以外の役割が期待できないという意味?)と呼ばれても仕方ないのではないか。

「ウィメンズリブ」の時代(1960年代70年代)は、能力があっても、努力することによってその才能を磨くことが困難だった。
「そんなに頑張ってないで、そろそろいい人見つけたら?」
当時の女性には適齢期というものが存在し、それは20代半ばだった。
20代半ばまでに結婚退職しない女性に冷たい言葉をかけるのは、男性ばかりではなかったという。
ところが、ウィメンズリブが終息した頃から「女性にも頑張ってもらいたい」という気運が高まってきた。
やる気や能力のある女性達は、派閥や学歴の関係で出世が望めない男性達と同じ位置まで上がったのである。

ここまでは労働者の「めでたし、めでたし」な話である。
しかし、1990年代終わり頃から風向きがおかしくなってきた。

かつての「職場の花」は鮮度が落ちれば新しい花を仕入れてくる――切り花であった。
「モダンタイムス」の労働者は歯車だったが、職場の花は消耗品である。
その消耗品という扱いが復活しているのだ。
「いやなら辞めればいい、新しいのならいくらでもいる」
かつては女性に対してだけのものだった。
男性に対しては「君は男なんだから頑張れ」としごいていたはずだ。
しかし、今や男性にまでも、「どうせ消耗品なのだから磨り減るまで使ってやれ」という企業があるらしい。

より低い方に基準を合わせる。
「みんなで不幸になりましょう!」の方向である。

既婚女性は失業しても「専業主婦だ」と言い張ることによって体面だけは保てる。
ニートですら図々しくも「専業主婦」で通ってしまう(家事に対するプロ意識はほとんど誰も問わない)くらいだから、
失業期間中の専業主婦ぶりっこなど造作もないのだ。
男性や未婚女性はそうはいかない。
そこでヘタをすると命を磨り減らすことになる。

労働者の地位が、家庭生活が、老後の保障が、生命が、お安いものになっていく。
デフレスパイラルが止まらない。

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6月20日

こうすれば良かった、スポーツテスト

私の母校(高校)は、水泳51m以下(泳法は問わない)とスポーツテスト4級以下に該当する生徒には補習を課していた。
さすがにそこにはかからなかったが、私もスポーツテストには苦労したし、「こうしておけば良かった」という悔いも残る。
今回は悔いが残る部分を書いておく。
(これからの人は参考にしてください。今から練習するつもりなら、1点でも上を目指す同士とストップウォッチを用意してください。なくてもできますが、あった方が効率的です。)

50m走

「50m走のタイムが8秒0=走幅跳で4m」と覚えておこう。
女子中高生にとって、7秒台と4m台は1つのめやすだろう。
自分自身を振り返ってみると、もしかしたら走り幅跳びの助走の方が50m走より速く走っていたかも知れない…という、ありえないバランスの悪さである。
原因はクラウチングスタートができなかった、ということだと思う。
基本的には
[いちについて]両肩からまっすぐ手を下ろして地面に付け、前の足は両手から見て正三角形を描く。その横に後ろの脚のひざが付く。
[ようい]お尻をあげることにより、肩が手の位置より前にせり出す。後ろの膝はキックするために膝に若干の余裕が残る。
[ドン!]思いきり蹴るとともに、腕も力強く前に。中学生時代、腕振りは前に出す動作なのか、後ろにおしのける動作なのか分からなかったが、「前に」が正しい。
というだけのことだが、よくわからなかった私は漫然とスタートしていたので、スタンディングスタートより遅いクラウチングスタートをやっていた。
アホである。

アホついでに白状すると、(中学生になってそこまでアホではなかった。小学生の頃である。)前傾姿勢で走っていた。
前傾という不安定な姿勢を正そうと瞬間的にスピードが出るという身体の反応を利用して、ゴール直前で身体を前に倒すのは正しい。
あくまでも瞬間芸である。
前傾姿勢では膝が上がらずストライドが狭くなる。特に長身の人は有利な身体条件をいかすためにも前傾姿勢には要注意。

これは私ではないのだが、脚が蛇行する人もいた。
靴の裏の減り方を見てみよう。
かかとの外側が一番減っていて、次が親指付近になっているだろうか?
もしそうでなければ、脚が蛇行しているかも知れない。
かかとの外側で着地して、親指のすぐ後ろでキックする――と意識して歩いてみよう。
蛇行が治るとともに、成人後には脚線美も手に入れられるはずだ。
また、キックした後は指が大地をつかむかのような動き方をする。
ああー、人間ってサルだなあ……と感慨深い。
それはともかくとして、足指で靴をつまみ上げられる程度の握力は必要である。

[走幅跳]

コツは2つ。

砂場の向こうに目標物を見つけること。
体育器具室や部室の屋根、木の枝が砂場の真正面、やや見上げる位置にあればラッキーだ。
踏み切って「胸を反らす」と意識するのは難しい。
踏み切ったら目標物を見るのである。

踏切板があったら利用するのが有利。
苦手な人には「それができれば苦労しない」らしいので、「なるべく砂場から離れたところで踏み切る」。
心理的な問題だと思うが、砂場に近付いて踏み切ると距離が伸びない。
慣れてきたら、踏切板付近で踏み切ろう。

[斜けんすい](男子には申し訳ない)

この種目は女子にとって得点源である。ここで稼いでおこう。
といっても、私は上腕筋が弱い。二頭筋(ものを持ち上げる方)はそこそこだが、三頭筋(ボールを投げる方)は涙が出そうな弱さである。
ただ腹背筋は強いらしい。(平行棒につかまって伸ばした脚を目の高さまで上げられた私は「腹背筋の筋力には性差は存在しない」と信じていた。)
男子のけんすいは腕に相当の負担がかかるが、女子は腕の筋力が弱くても大丈夫と言える。
腹筋背筋なら家でこっそりトレーニングできるだろう。

気を付けて欲しいのは、やりすぎないこと。
トレーニングの実態は、筋肉に負荷をかけ、より強い筋肉に作り直すことだ。
作り直す前に負荷をかけすぎると、いつまでたっても強い筋肉にならない。
特に中高生は、身長が伸びるとか、内臓が成熟するとか、
身体を作る方にエネルギーがとられてしまうので、「若いのに疲れる」のが当たり前なのである。
「頑張ったなあ。自分で自分を誉めてやりたい」はせいぜい1日おきにしておこう。

[ハンドボール投]

私こそ聞きたい。
「どうしたらまともに投げられますか? 誰か教えて!」

そもそも、女子は投てきがヘタだという人が多い。それも半端じゃなく、ヘタ。
腕と同時に足も腰も前に出て、尚かつ手首を使っているのが投げ終わってからというおまけ付き。
スポーツテストの級はボールが何m飛んだかだけで決まるのだ。
飛ばなければ仕方がない、わざとサークルから出てファールになり、3回目のチャンスに賭けるのである。
ただ「わざとファール」の基準が中学では15m、高校では17mだった。
高校1年の体育でハンドボールの授業があり、その時にボールをグワシッとつかんで振り回す練習をさんざんやったら、少し飛距離が伸びたからだ。
斜けんすい同様、他の筋肉でもある程度代替できるかも知れない。

もうひとつ。高校の体育の先生が教えてくれたところによると、
「女性はオーバーハンドよりサイドスローの方が遠くへ投げられることが多い」
だそうだ。
ボール投げが苦手ならサイドスローを習得してみてはどうだろう。

[持久走]

これは男女共に得点源だと思う。
私自身は中1ではメタメタだったが、中2以降はそこそこだった。
前半押さえすぎて、後半で全くスピードが上がらなかったことが敗因である。

1000mや1500mは「中距離走」だから、スタートダッシュがある程度は必要なのだ。
つぶれない程度に「え? ちょっと早すぎ?」と思うくらいのスピードで入ってちょうど良いことが多い。
長い時間走ってる方が辛いということもある。
たとえ、飛ばしすぎてつぶれても、この種目の得点分布は甘い。
安心してスタートダッシュ、レッツトライ!

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6月13日

女性化する日本社会?

規則ですから、ダメなものはダメなんです。

とかく女性は融通が利かない。
法曹界に女性は少ないのに、法律・条例・規則の類を守らせることが大好きといったら、男性よりもむしろ女性である。
「例外」や「今回だけ」はない、情実もない、
まだまだ男社会の日本で活躍できる女性なら一般の女性よりも心情的に男性に近いのではないか、という男性方の期待は裏切られる。

彼女がそこで活躍している経緯を考えてみれば、合点がいくだろう。
彼女は有力な男性に支持されて抜擢されたのではない。
ボスは、自己の派閥を維持する必要から忠誠心に厚い男性を選び、性的な疑いを掛けられまいとする保身の必要から女性を避ける……
ボスといえども好き勝手できる場所は狭まる一方なのだ。
従って、彼女は誰にも逆らえないもの、すなわち法律や条令や規則を盾にしてきたのである。

1980年代頃(バブル以前)、大卒の女性達は外資の企業に夢中になった。
女性誌では外資の待遇の特集を組んでいた。
「待遇は良いが、その分厳しい」
こんな警告もなんのその、(特に文系の)女性達は外資を受験した。

待遇は勿論魅力的だが、当時の女性達が外資を目指した理由はもう一つあるのではないだろうか。
日本社会の慣習を知らない外国人上司に説明する時、
「規則はあるが、慣例ではこうするものなのだ」よりも、
「規則ですから、ダメなものはダメ」の方が説得力がありそうに思える。
日本的な発想ができないことが、不利にはならないのである。

近年は年功序列が崩れてしまい、男性達ですら情実を信じられない事態となってきた。
だが、男性達はただちに「規則! 規則!」と女性のマネをして叫んだりしなかった。
21世紀初頭。
規則を盾に取らなければ権利を守れない社会にあって、女性は規則を叫ぶが、男性は忠誠心を持ち続けている……
単純化するとそうした図式があった。

その男性の連帯、忠誠心もだんだん怪しくなってきた。
堀江氏などの日本人男性らしからぬ人たちの台頭である。
少数民族でも女性でもない彼には不利な条件はない。
若さは不利に作用するが、彼はエリートなので、一般的な男性よりも早く特権を獲得できるはずなのだ。
にもかかわらず、彼はビジネスを密室・談合から司法の場に引きずり出してしまった。

今後はますます「なあなあ」も「前例」も「慣習」も通じない、女性のような男性が増えてきそうだ。
女性の一人として、法律や規則よりも不文律がハバを効かす社会の崩壊は歓迎するのだが、変化の速さに戸惑ってもいる。
80年にも延びた人生に対して、この変化の大きさは人間の対応能力を超えているのではないか、と。

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6月1日

ひとりで行けるもん

今年は母方で不幸が続いている。
不幸はダマになってやってくると実感する今日この頃。

先日もお葬式があった。
よくあることだが、女性の親戚筋は近所にあるとは限らない。
(高度経済成長期以降に就職した世代なら男性にも同じ事が言える。)
めっきり動態視力がおちこんだ母が、車で行ける距離ではないので、電車を乗り継ぐことになる。
彼女はこの地域のバスにはどうにかこうにか乗れるが、電車となると危なっかしい。
弟が付いていってくれるというので、安心した。

私は平素から「公共交通機関によって高齢者の移動の自立を確保しよう」論者だが、実際にはどうか。

私の母はごく平均的な高齢者なのではないかと思う。
(父の方は母に輪を掛けてダメダメなので、行動半径が極端に狭まっている。)
地域のバスには乗れる。(整理券やバスカードの方式、先払い・後払いの別など、しっかり理解している。)
しかし、電車を乗り継いでいくとなると、切符を購入するところから「?」の連続となる。

列に並んでいる時には何もしていないか連れと話し込んでいるかで、
券売機の前に来た時にやっと値段を確かめ、
しかる後に財布を取りだし、
切符を1枚ずつ購入し、
券売機の前で財布と切符をバッグの中に入れ、
後ろに並んでいた人と正面衝突しかける――

という行動は、かつては無職中高年女性の専売特許であった。
ところが、同じ行動は今や性別を問わず、幅広い年代に及ぶ。
小学生や中学生になると、切符を購入している仲間を冷やかすために、隣の券売機の前まで占拠するというオプションが付く。

勿論、この人たちの知性には全く問題がないだろう。
高校生や大学生、あるいは公共交通機関で通勤している人なら、なんら戸惑うことなく切符を購入できるからだ。
慣れていないから分からない、それなのにほとんどの切符は窓口でなく券売機で買わなければならない――
自立するためには、条件が悪すぎるのだ。

利便性と価格の点から論じられてきた公共交通機関。
ようやく安全性についても論じられるようになった。
加齢や事故などによる事情から、自力での遠距離移動が困難になる人々は、今後も増加するだろう。
「移動の自立」という視点から、公共交通機関を見直す議論も出てくると良い。

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