F5バナー
[ 女性の顔 連絡網には電子メール 沈黙は災いの元〜地方《エリート》の謎〜 ]

7月21日

就職試験に提案

高校生の就職試験は千差万別、企業によって面接・作文のところから学科試験を課すところまで様々だ。
面接の中で基本的な教養や時事を問うケースもある。
学科試験のうち、数学や理科、保健体育に関しては業務に関係のある問題が出題される傾向がある。
社会科は、業務に関係する場合も出題者の個人的興味による場合もある。

国語の問題は対策をたてやすい。
小学校から高校まで学んできて、こんなに分かりやすい「国語」の試験問題に接するのは初めてじゃないだろうか。
出題されるのは「漢字の読み書き」「四字熟語」に加え、せいぜい「諺」「敬語」くらいである。
要するに、語彙力を問うだけで、入学試験に出てくるような高度な問題はない。
一般企業では難しい国語の問題を作れる人がほとんどいないのだろう。

それは、一般社会で要求される水準と学校で課している教育内容とに開きがあるためなのか。
それとも、国語を使う目的が異なるためなのか。

もし後者ならちょっとした提案がある。
まっとうな意見と個人的怨恨がないまぜになった攻撃的な文章をモティーフにして、
「添削せよ」という問題はどうだろうか?

正当な主張が含まれているにも拘わらず、それが個人的怨恨の色合いがあまりにも濃いため、
ただの愚痴として処理されてしまう場面をよく見かけるからだ。
たとえ動機が個人的な怨みやひがみ、ねたみ、そねみであったとしても、
それが社会的利益につながっていけば、いいではないか。
社会的利益に高めるためには、主張と個人的怨恨をきりはなす必要がある。

ところが、ないまぜの粗悪な主張は、井戸端会議仲間には容認されてしまうのだ。
「つらかったでしょう」
と同情を買う行為に結びつきやすく、何の解決にもならないわりには論者(話し手)の満足度が高い。
そのため、論理的に書く(話す)必要性を感じないまま大人になり、社会人になってしまう。
命じられた仕事を、文句を言いながら、ただ「やってみました」という社会人では悲しい。
アイディアを仕事で活かしていける人材かどうかをみる参考にするために、
国語の学科試験という名目は使えるのではないだろうか。

「日本語の美しさ」は叙情性にばかりあるわけではない。
と、思う。
たぶん。

page_top△

7月17日

沈黙は災いの元〜地方《エリート》の謎〜

この地域に同窓生の結束が大変に固い公立高校がある。
ほとんど全員が進学してしまう学校なのだが、なぜか大学や大学院ではなく高校で結束しているのだ。
とびきり愛校心が強い人が集まっているのか、そういう伝統なのか、やはり謎である。

そこの同窓生が多く働いている職場にいたことがある。
今にして思えば、進学先を問わずに結束するのだから、出身校は大学ではなく高校を聞くのだという暗黙のルールがあったのかもしれない。
出身高校ばかりを聞かれて奇妙に思ったことを覚えている。

こちらが何も聞かなくても、彼らの方から明らかにしてくれるので、グループメンバーの特定は容易であった。
聞かされたところで、同窓生でもない私は
「○○高校出身の方が多いんですね」
とぼんやりあたりさわりのないことしか言えなかった。
自分の出身高校に関する知識だってうろ覚えなのに、他校のことまでよく知っているはずがないだろう。

おかげで彼らからは「嫌なヤツ」だと認定されてしまった。
こちらもつい○○高校出身と聞くと身構えるようになってしまった。
個人的には魅力的な人物も多いのに、残念である。

暗黙のルールを持っていても構わないが、グループ外の人間にまで押しつけるのはやめろ。

page_top△

7月9日

連絡網には電子メール

人に連絡を取る場合、その目的は2つに大別されると思う。
ひとつは正確に情報を伝えたい時。
もうひとつは安否を気遣うなど、感情を伝えたい時だ。

言いたいことを分かってもらいたい時は、直接会うのが一番だ。
話の内容、表情、身振り手振り、音声、……すべてを駆使して伝えたい思いがあるだろう。
人間の温もりにあふれた最高の通信手段と言える。

直接対面に次ぐのが電話。
以前はよく「電話で失礼します」という挨拶を聞いたものだ。
ただ相手の表情は見えなくても、伝わるものがあるようで、
電話で「こんにちは、ご無沙汰してます」といいながら、
まるで相手が目の前にいるかのように頭を下げている人は、現代でもまだまだいるに違いない。

これらに比べれば、FAXやeメールはあまり人間味がない。
顔文字などの文化も生み出されているが、成人してからはあまり多用できない。
その代わり、「言った、聞いてない」の争いや伝言ゲームが起こりにくく、伝達洩れも対面や電話に比べてずっと少ない。

こうした特徴から、感情を伝えたい時は対面や電話、
正確な情報を伝えたい時はFAXやeメールが適している。
目的に応じて使い分ければいい。

そこで、提案をしたいのが
PTA活動の連絡網にもできるだけFAXやeメールを活用しましょう、
ということだ。
現在でも、固定電話のみの家がある。
その家に合わせて、固定電話による連絡網を設定していることが多いようだ。
当然のことながら、伝言ゲーム・伝達漏れ・連絡忘れなどが多発する。
多くの場合、それらの被害をより少なくすべく「連絡網の最後の人が元のところへ電話する」といった二度手間の工夫をしている。
この方式を固定電話の人たちだけに限定してみてはどうだろう。
全く同じ文面を送信すればいいのだから、送信側の負担の増大は些少である。
それに対して、受信側は正確な情報をより早く入手でき、恩恵は大である。

大変に保守的な人々から
「人間的な温もりのない通信手段、就中若者が重宝しているeメールは悪である。
そのような通信手段に頼るから、最近の若者はダメになったのだ」
といった批判が聞かれることもある。
しかし、手段は手段なのだと割り切ってもらいたい。
人間的な交遊は別のところでやればいい。

たとえば、PTA活動でもベルマーク整理や除草などの奉仕活動はどうだろう。
それらの活動が産む経済的な効果は皆無であると断言できる。
除草作業であれば、子ども達にとって危険な棘植物などは、親でも除去しきれないものだ。
最も危険なものがやむなく放置されるが、親の方の達成感・満足度は高い。
ベルマーク整理なら、それによって得られる額よりも、その作業にかかる費用の方が高くつく。
しかし、生活に密着した工業製品を連想させるものを目の前にして、見知らぬ親同士で話が弾むのである。
「これは焼きそばかな」
「同じロッテなのに57と58があるのね」
こんなところで効率や合理性を考える人はまずいない。

目的に応じてふさわしい手段を選ぶ。
昔は選ぶ余地がなかっただけのことだ。

page_top△

7月1日

女性の顔

私は「ブス」で苦労した一人である。
成人後こそ「美人」を名乗っているが、ティーンズの頃は悲惨だった。
そもそも「人間は中身だ」と言えるのは経験値を積んだ大人の話であり、
未熟なティーンズにとっては容姿の占める相対的比重はとてつもなく大きいのである。
しかも、若い頃の私は自分でも惚れ惚れするような脚線美の持ち主であったが、
残念ながら当時の男子中高生が容姿を考える時は顔のみを問題とした。
彼らの視線はついぞバストより下に下がることはなかった。
現代の男子高生のようにヤマンバの洗礼も受けず、プロポーションの良さを容姿として認める度量もない当時の男子達から逃れる方法はあった。
その頃、女子高はまだ勢いを保っており、旧制高等女学校は決して旧制中学の「単純に下」ではなかったのだ。
女子高時代、私は大いに羽を伸ばした。
もし女子高がなければ、容姿を気にする方に忙しくて、自分の能力を高める暇などなかったであろう。

大人になれば、人間的魅力に占める容姿の比重はぐっと低くなる。
しかも、顔に限って言えば、化粧でいくらでもごまかしが利くのである。
私はブスの中でも目鼻口がこぶりにできている、いわゆる化粧映えするタイプのブスであるため、
化粧から受けた恩恵は大変に大きかった。
鏡に向かって2分もすれば別人である。

高校を卒業し、できれば社会人になる頃に化粧をはじめるのが良いと思う。
初心者の常で、最初は分厚い化粧になってしまうが、
社会人であれば短期間のうちに職場にふさわしい化粧ができるようになる。
その後2〜3年かけて、個性を活かしつつ職場でも支持される化粧にたどりつく。
そうすればもうブスを気にする必要はない。
プロポーションでも、話法でも、特殊技能でも、誇れるものがあれば、堂々と「美人」を名乗ると良い。

page_top△


過去「言いたい放題」へ

戻るメールフォーム・クリックlink

inserted by FC2 system