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[ つい中継を見てしまうもの できないこと以外はなんでもできるよ 成果主義は管理者の力量を問う 固定電話のピンチ スーパーにて ]

8月24日

スーパーにて

日中に買い物を済ませてしまうようになって、不思議に思うことがある。
私が平日の午後(早めの時間)に買い物をしていたのは小学生の頃に遡る。
当時と現在、レジの機械や冷凍技術以外に大きく変わったのが、買い物客の気遣いである。

当時も今も買い物籠の大きさやレジ台の長さは変わらない。
したがって、精算前の籠は2つしか置けない。
当時はレジ係が合計額を客に告げ、お金を受け取っている間、会計を待つ先頭の客が空の籠と自分の籠を移動し、次の人のためのスペースを空けるのが一般的だった。
ほんの1〜2分の違いかも知れないが、次で待つ人が少しでも早く重い籠から解放されるのと、余裕をもって財布を取り出せるようにという気遣いであった。
しかし、現在の平日午後では、レジ係が移動させるまでは決して手を出さない人が目立つ。

精算を済ませ、品物を買い物袋に詰め替えた後も、かなり様子が変わった。
使ったカートをそのままそこに置き去りにする人が増えている。
買い物籠についてはもはや置き去り派が主流を占めているようだ。
放置された籠で台が占拠され、空いているのに使えない状態に陥ると、パート従業員が慌てて片付けるのである。

こうしたことは、仕事帰りに買い物をしていた頃には気にならなかった。
変わったのは、退職者・専業主婦・失業者といった時間的余裕のある層だ。

時間的余裕のある人々の構成を考えると、当時と現在とで大きく違うのが高齢者の占める割合。
高齢者のみで構成される世帯が増加したこと、
当時は結婚や妊娠に伴って退職する女性が多かったが、現在は夫も終身雇用が保障されているわけではないから働けるうちは働く女性が多いこと、
以上の理由から、一般的な高齢化の進行よりもずっと速い速度で、平日日中のスーパーは超高齢社会へと突入したのである。

体力のない高齢者が周囲に気を遣えないのは当然である。
謎が解けてすっきりした…とはいかない。
超高齢化しているといっても、一部中年以下の専業主婦・失業者・ニートもいるのだ、
彼ら彼女らが高齢者に以下倣えとなっているのはどういう理由か。
謎が残った。

そこで、今度は買い物時間を午前中に切り替えてみた。
買い物客の年齢構成は午後とほとんど同じである。
ところが、使ったカートも買い物籠も、全員が自分で片付けていたのである。
動作が覚束ない男性もいたのだが、彼も同様であった。

どうやら、平日午後買い物する客層だけに変化があったらしい。
年齢構成説は完全に否定されてしまった。
年齢以外に原因を求めるなら、場の力だろうか。

生活パターンはそれぞれあまり変わらないものだ。
午前中買い物に行く人はそのパターンで日々生活し、午後の人も夜の人も同様である。
お互いにどこの誰かも知らないし、挨拶を交わすことすらない。
それでも成員がほぼ固定されているので、それぞれの場の雰囲気ができあがってくる。

ところで、自分が使ったものを「自分で片付ける」は信念として持っている人は決して珍しくない。
構成員のうち何割かが「片付ける」信念を持っていたなら、場の雰囲気は片付ける方向に向かうだろう。
逆に「自分で片付けると、従業員の仕事を奪うことになるので、決して片付けない」は(従業員の中心的業務ではないだけに)信念になりにくい。
信念ではないが、周囲の人の状況が見えない人は少なからず存在する。
そして、大部分の人が周囲の人間を見て行動する。
「ここではこうするものらしい」
待っている人間が視界に入らない人(緑内障でなくても!)が籠やカートを置き去りにしていくのを見て、このスーパーではこうしたものを従業員が片付けるのが流儀と認識する。
かくして、同じスーパーの中で時間帯によって違うパターンが見られるのかも知れない。

面白そうなので、2学期が始まったら、娘の送り迎えの関係上よく行くS市のスーパーで観察してみよう。

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8月22日

固定電話のピンチ

たまに実家からのこともあるが、固定電話に来るのはほとんどが電話勧誘である。

流行があるのか、一昨年は「資格を取って内職をしろ」が多かった。
電話してくるのは年輩の男性が多かったように記憶している。
去年は「誰にでもできる簡単な仕事で収入が得られたら良いと思いませんか」が流行していた。
内職商法に比べて、なれなれしい話法で親しみやすさを演出する若い男性が担当。
些少の収入のために「誰にでもできる簡単な仕事」に時間を割くのなんぞまっぴらごめんだと思ったから、
「思いません」
はっきり答え、早々に電話を切ろうとしたのだが、
「僕の言ってることが分かりますか? いいですか、もう1度言いますよ。…(ゆっくりかみ砕くように同じ問いを繰り返す)」
しつこく食い下がってくる。
やっとの思いで撃退した後も不愉快な感情が残った。

今年の流行は「自然派化粧品」である。
販売目的と個人情報の収集目的と2種類あるようだ。
どちらの場合もマニュアルがきちっとしているらしく、不快感を抱かせないで話が進められるようになっている。
どうしても管理された化粧品を使いたければ、化粧水の類くらい自分で作ればいい。
「自分で作るって人、初めてなんですけど」
「そう? 簡単ですよ。それに化学は専門だから」
このへんで引き上げて欲しいので撃退にかかる。(せめて不正確な説明だけでも終わってくれ!)
ところが
「界面活性剤って知ってますか?」
「勿論」
「いろんな化粧品、シャンプーにも入ってるんですよ!」
「………」
もしもーし、お嬢さん、私の言ったこと聞いてた?
おそらくは「相手が化学を専門とする人の場合」はマニュアルに書いてないのだろう。
相手がマニュアルを全部暗誦するのを待っていたら、どのくらい時間を拘束されるか分かったものじゃない!

NTTには同情するものの、うちにかかってくる電話のほとんどがこれだ。
PTAの連絡網をメールかファクスにすることに成功した暁には、固定電話は解約しよう…
と、ふと考える今日この頃。

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8月7日

成果主義は管理者の力量を問う

たまに思い出したように、学校に営利企業の手法を取り入れるという記事に接する。
大丈夫なんだろうか?

はっきり成果主義になったわけではないが、時流に乗ってか、学校も成果主義的になっていった時期のことを思い出す。
10年ほど前のことだ。

当時、学校全体で基礎学力を付けるためのミニテストが行われていた。
クラスごとの平均点が発表されていたが、どの程度取り組むかは個人の意識に依存していた。
「せっかくの機会だから、頑張りましょう」と担任が呼びかける程度で、それができたから、できないからどうこう、ということはなかったのだ。
ある年、クラス担任が呼びかけるだけでなく、学年全体で取り組むことにした。
担任達の方で生徒が勉強しやすいように模擬問題などを用意した。
それだけのことだが、平均点には反映した。
他の学年でも「やってみよう」という話になった時は、模擬問題を差し上げたし、こちらがもらうこともあった。
やがて、そのミニテストのクラス平均点が競争の色合いを帯びてきた。
「できなかった」クラスの担任が職員室で教頭に叱責されるようになっていった。
そして、協力体制は崩壊した。
自分が作った模擬問題は他学年はおろか自らが所属する学年の他クラスにすら渡さなかった。
誰もが最低の平均点を取ったクラスの担任になりたくなかったからだ。
生徒の基礎学力など、もはやどうでもよかった。

これが、クラスごとの競争ではなく、学校全体の底上げを図りましょうという方向に誘導されていったなら、少しはマシな事態になったかも知れない。
それでも、どこそこのクラスに勝った負けたという意識は出てしまうだろう。
足の引っ張り合いに陥らなかっただけ幸いと言える。

一般の営利企業にも同じことが言えるのではないか。
成果主義の取り入れ方に工夫しないと、足の引っ張り合い・縮小再生産に向かってしまう。
成果主義は魔法の万能薬ではない、
問われるのは一般従業員の頑張りではなく、管理者(最終的には経営者)の指導力である。

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8月4日

できないこと以外はなんでもできるよ

3年前。娘が就学前健康診断を受けた時の思い出である。

当日は公民館に集合し、受付順に子ども達だけが列に並ぶ。
子ども15人前後でグループを作り、順番に健康診断を受けていく。
すべてが終わって帰ってくるまで4時間ほどかかる。

しかし、障害児の場合はその子に職員が一人付き添い、列に割り込ませて検診を受けさせるので、ほんの1時間弱ですべてが終了する。
たとえば、「親が手話通訳のために付き添うことを許可してくれれば、健常児と同じように列に並ばせても差し支えない」という子であってもだ。
一言で「障害児」といっても、特別手厚い配慮を必要とする子もいるし、健常児とほとんど変わりのない子もいる。
その子の状態に合わせるのが理想だろうが、ただ1度の健診の予算も人的資源も限られている。
そこで、健常児も障害児もスムーズに健診を受けられるようにすることを最優先して、障害児はとりあえず重い方の子に合わせたのだろう。
教育委員会の措置は適切だと思う。

ただ1度のことならそれで正解。
日常的に二分類されてはいけない。

本人にはどうにもできない一線を引き、片方には「できない」と言って叱り、もう片方にはできることもやらせない――
先の健診では「健常児・障害児」だった。
これを「男子・女子」に読み替えると、私の子ども時代には日常随所に見られた。

スポーツの場面ではできないと叱られるのは男子、家事の場面ではそれが逆転する。
私達は、日常的に「得意であるべきこと」を得意とすることができるよう躾られてきたのである。
さすがに私が思春期の頃にはなくなっていたが、もっと以前には「不得意であるべきこと」まで存在していた。
男子であれば、日常の家事よりもっと高度なもの(たとえば編み物)は、できてはならないものであった。
もし編み物が得意であることが家族以外に知られたら、侮辱的な言葉を投げつけられるものだった。
現代語に訳せば、「男のくせに…キモイ」といったところだろうか。
女子の方は少々複雑で、スポーツではなく、学問分野で不得意を求められた。
「女に学問をつけるとロクなことにならない」は娘の進学希望を退ける一般的理由であった。

現代は個性重視の時代である。
街を流れる音楽の歌詞でも「らしく」の前につくのはたいてい「自分」であり、それ以外の属性が付けられることは滅多にない。
しかし、つい1/4世紀前には、個性よりも属性を重視し、得意不得意すら押しつけ勝ちであったこと、
多くの人が自分の子ども時代に満足感を持ち、郷愁を抱いていることを考え合わせると、
今一つ不安がぬぐえないのだ。
とりあえず
男でも女でも障害でも健常でも、できることは自分でやり、できないことはできないとハッキリ言いましょう。

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8月1日

つい中継を見てしまうもの

そろそろ夏の甲子園の高校野球大会が始まる。
素晴らしい人気を誇りながらも、何とも不思議な大会である。

謎その1。
なぜどの学校も、白を基調とした似たような感じのユニフォームを、採用しなければならないのだろうか。
見ていて非常に分かりにくい。
分かりやすく、審判の判定をやりやすく、などの理由で柔道にカラー柔道着が採用されたのを良い機会として、高校野球も見直せば良かったのに。
外圧がなければ動かない、ということではあるまい。
不合理なものは、外圧があろうがなかろうが、不合理なのだ。
染色技術が不十分な時代の基準に合わせる根拠はない。
高野連が高体連と同調しないので仕方がないのかも知れないが、他の球技ではユニフォームを2種類用意するのが常識ではないか。
女子ソフトボールは一般的な球技の基準を採用していたような気がするのだが…。

謎その2。
女子マネージャーって何者?
私自身の貧弱な経験では、ああいう競技者の経験が全くないマネージャーというものは見たことがない。
勿論、マネージャーの存在は知っているし、前任の男性コーチの不思議な習慣にびっくりしたことはある。
(たとえば、試合のたびに女子マネージャーが監督・コーチ達の弁当を用意してきていた。
私に代わってからは、それを禁止した。弁当作りはマネジメントではないからだ。
どこからも苦情は出なかった。)
高校生くらいの人がまったく競技経験なくマネージャーになるのは無理があるように思う。
私が関わった指導者達(男性も女性もいた)も、競技経験が必要という認識では一致していた。
あのような不可思議な存在にベンチ入りを認める根拠が分からない。

謎その3。
もっと聞き取りやすい声でアナウンスできないのか。
総合運動公園では、しばしば野球も陸上競技も同時に行われている。
特に陸上競技では数字が聴き取れなければ意味がない。
陸上競技場と野球場の間に立つと、両者のアナウンスの声が1オクターブも違うんじゃないかと思える。
正直、野球場の女性アナウンスは何を伝えたいのか分からない。
低い声ではっきり聞き取りやすくアナウンスして欲しい。

謎その2、その3、そしてプラカード嬢に共通して不思議に思うのは、なぜ飾り付けに女性を使うのか? ということだ。
大相撲もまた女性競技者を禁止してる。
だが、競技者ばかりでなく、細かな雑用まで男性のみで運営している。
女性のトップが珍しくない昨今の情勢にはあわないため、太田府知事にかみつかれてしまったが、大相撲の「女人禁制」は筋が通っている。
(さすがに「観客も女人禁制にしてはどうか」とまでは言わない。)
私が監督なら、ベンチ入りは競技者と競技者経験があるマネージャーに認める。
もっとも、女子マネージャーを入れても良いことにはなっていても、実際には競技をしたことのない人間は入れない、
他球技の指導者達と同じ考えの監督が多いように見受けられる。
女子にも競技を解禁するか、競技者を男子に限定しておいて女子の飾り付けを廃止するか。
統一した方が、分かりやすくすっきりとする。
女子に競技を解禁しても、選手になるのは男子だろう。
だが、きちんと競技を経験した女子マネと、最初から競技する気のない女子マネは違う。
前者なら認めてやりたい。

「人気があるから、今まで通りで…」を積み重ねて、改革を先延ばしにするのは危険だ。
毎年大晦日が近付くと視聴率を巡って話題になる、良い先例もあるではないか。

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