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11月  専業主婦を動かす方法   甘党の危機
12月 日本人の平均身長の伸びは加速する 純粋な若者 殺人事件に関する雑感 ウォームビズ歓迎


12月23日

ウォームビズ歓迎

夏の男性達のクールビズに続いて、この冬は女性達のウォームビズをよく見かける。
男性は熱が籠もるのは良くない、女性は腰を冷やしてはいけない―――
と、俗説で言われているにも拘わらず、男女の服装はまるで正反対であった。
1980年頃は「金曜日にレストランで食事を楽しむ若いカップルの姿は、男女とも同じような服装で興ざめだ」と言われていた。
(当時だから、女性はスカートを組み合わせたビジネススーツだったと思われる。)
1/4世紀の間に人々の合理性はここまで進化したかと楽しい気分である。

20世紀の後半、特に女性の服装は大きく変化した。
世界的な流れでもあったのだろうが、私は東アジアが台頭した影響も少なくないと思う。

ひとつは気候の違いである。
月平均気温だけで見れば、パリの夏は網走や釧路に近く、冬は名古屋と同程度である。
ヨーロッパでは、男性がほとんど露出のない熱の籠もる服装・女性が露出の大きい体を冷やす服装であっても、日本や中国ほど深刻ではないと思われる。

ベースになった文化も違う。
ヨーロッパ文化は東アジアに比べ性別を強調する。
それに対して、東アジアでは男女共に働いている。
ヨーロッパの女性は働く夫を送り出すとしか語られないが、
日本では「お爺さんが山へ柴刈りに行っている間、お婆さんは川へ洗濯に行く」と並べられる。
ジャンヌ・ダルクは男装したかどで魔女扱いの末処刑されたが、
ヤマトタケルは女装してクマソを倒しても英雄なのだ。

年がら年中、性的にアクティブでいるわけでなし、働きやすい方がいいよね―――
は東アジアの人には何の疑問もなく受け入れられた。

さて、ウォームビズとは関係ない女子高生達やおばさん達のテクニックをご紹介しよう。
男性用のソックスを履いているのだ。
ソックスも女性用は小さく作ってある。
そのため、同じ身長であっても、男性の方が女性より足が大きいと信じている人もいる。
(肩幅に関しても同様の誤解がある。)
小さなソックスを実際の足に合わせれば、生地がグンと伸びて薄くなる。
その点男性用はたっぷりと作られているので、温かいのだ。

今年ウォームビズが受け入れられ普及すれば、来年は男性用ソックスの仕様そのままの女性用ソックスが発売されるに違いない。
それもまた欧米ではなく、日本か他の東アジアから発信されるのだ。

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12月15日

殺人事件に関する雑感

京都の進学塾で、小学生の女の子がそりの合わなかった講師に殺害されるという凄惨な事件が起きた。
今回の事件後の報道で、ややましだと思えることがある。
被害者のプライバシーがとりあえず守られている点だ。

世間に関心の高い事件となれば、
加害者も被害者もプライバシーを遠慮無く暴き立てられ、面白可笑しく書かれる(佐世保の小学生同士の事件、数々のレイプ事件など)
被害者の家族が矢面に立たされる(イラクの人質事件、北朝鮮の拉致事件など)
被害者の「態度が悪い」と抗議電話などの攻撃に晒される……
といった二次被害が普通に引き起こされるからだ。

「態度が悪い」とは不遜であるとか、補償されて当然といった態度とは限らない。
たとえば、障害児の母親が「私が暗くなったり自殺未遂を引き起こしたところでこの子が良くなるわけじゃなし」と考え、ごく普通の生活態度を取った場合、
「我が子が大変なのにまるで他人事のようだ、冷たい母親だ、あんな冷酷な性格だから障害児なんかが生まれたのだ、天罰だ」といった非難を浴びることがある。
被害者の態度の悪さとはこの非難と同質と考えられる。
これは被害者にたいする遠慮であって、
被害者のプライバシーなんかより建築物の耐震強度偽装事件や株の売買に関するみずほ・東証の失策の方がネタ的に面白いから――
という理由ではないと祈りたい。

加害者側のプライバシーや言い分は報道されてくるわけだが、
被害者や加害者の未熟さはごく普通(年齢相当)ではないかと感じる。

人間のニューロンがほぼつながり終わるのが、18〜19歳。
最後につながるのは自己抑制である。
従って、小学生が前後の見境無く、感情をむき出しにするのは当然のことである。
とはいえ、小学生は幼児よりは感情を抑制できるし、先に考えてから行動できる子も存在する。
完成は遠くても、自己抑制力もまた、年齢と共に発達するからだ。
しかしながら、現在は年齢相当の自己抑制力を持ち得ない子が多く存在する。(多動性症候群など)
(障害児に対する指導方法の開発及び普通学級への導入は急務だと主張したい。)
感情をむき出しにする彼らに狼狽える大人(教師)の姿を見て、他の子達は気が付くはずだ。
「感情を抑えないでだだをこねた方がお得だ」
そこで、自己抑制力は年齢相当についていても抑制しないという場面が多くなる。
最終場面は、儀式の場でも衝動を抑えない「新成人」だと思うのだが、どうだろうか?
社会人になれば、感情むき出しのメリットはなくなり、彼らも急速に大人びてくるのだ。

この事件の被害者は小学生なのだから、「先生がキモイ」程度の暴言はごく普通に口にしていただろう。(勿論彼らに「暴言」という認識はない。)
対して、加害者は感情むき出しがデメリットにならない立場にいた。
実際、教師は感情をむき出しにしたほうがメリットがあるという特殊な職業なのだ。
叱る時は、女の先生ならヒステリックに、男の先生なら威嚇しながら、感情を爆発させて初めて
「あの先生、怒ってるみたい」と認識してもらえるのだ。
「静かに諭す」は1対1の場面で余程の信頼関係になければ、子どもの側は叱られているということに気が付かない。
理性に訴えようとする教師は「あの先生は甘くて絶対怒らないから何をやっても平気」という評価になる。
従って、加害者が大きな声を出して怒る場面があったのは、当然の指導だったのである。
ただ、教師たるもの、感情を爆発させて怒っても、深層の部分では冷めてなければならない。
そうでなければ、自己抑制力そのものが未熟な子ども達の、剥き出しの感情を受け止めきれないからだ。

ある意味二重人格的な演技を22、3の若者に単独で負わせる現代のシステムはどうなんだろう?

まだ若い時給の低い人にあの仕事もこの仕事もやらせるのが安上がりだろうが、
やはり教育の場面では多様性が大事だと訴えたい。
その際は多様性を活かすために「うちのクラスの子が俺じゃない教師を頼ったから、面子が潰された」と感じるようななわばり主義も解除されなければならない。

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12月14日

純粋な若者

いつでも若者は純粋である。
純粋さにかけては昔も今も変わりはない。
今の若者は一揆も自由民権運動も学生運動もやらないが、そんなことは現代の大半の日本人が経験していないことである。

現代端的に現れるのが、中学高校の保守勢力(教員)と抵抗勢力(生徒)の服装に関する争いだ。
他に争うことはないのか、と問うてはいけない。
靴下のワンポイントからつけまつげに至るまで、他のテーマで争われたことは滅多にないのだから。
目に見えない思想だの宗教だので争われたのは遠い昔のことである。

ルールは守るべきものである。
建築物を設計施工する時に耐震性基準を偽装したり、業者が食肉の産地を偽ったりしてはいけない。
しかし、重大なルール違反と軽微なものとがあることは、大人ならよく知っている。
違反そのものではなく、違反によって引き起こされる事態とその確率が軽重を決めているのだ。
もし免許証不携帯で運転してしまって、そのことに後で気が付いても、わざわざ警察署まで出かける人はいない。
人家密集地帯をクラクション鳴らしながら時速65kmで走ったりしなくても、人家が殆ど無い道を早朝時速70kmで走り抜けることはある。
しかも「無事故無違反」と誇っていたりするのだ。(どちらもスピード違反ではある。)
大人は常に狡猾である。

よく生徒と教員が争うのは、夏休み後にヘアダイしてきた場合だろう。
最初は「染めてません」と頑張っていた生徒も、追いつめられて告白し、保護者召還と相成って親子共々叱られるというのが、お定まりのパターンだろうか。
その後で友人に「少しくらい見逃してくれたって良いのに」とこぼしたりするのだ。

もしも、夏休み中は毛先にメッシュ的に色を入れ、夏休み最後の日にその部分をカットしてしまい、
夏のおしゃれと秋のおしゃれを使い分ける生徒がいたら、教員の方は易々と誤魔化されてしまうだろう。
(髪を守るキューティクルは根本で7枚、10cm伸びるごとに1枚ずつ失われるらしい。
毛先の方がより色を入れやすいのである。)
最近の保守勢力は腰砕けである、長期休暇中まで検査だと言って生徒の自宅に押し掛けるような「熱血先生」はまずいない。
だが、そうした「学校と巧くやりながら楽しむ」狡猾な生徒はほとんどいないようである。
若者はいつでも純粋だから。

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12月1日

日本人の平均身長の伸びは加速する

戦後、日本人の平均身長は伸び続けてきた。
ところが、1970年代生まれあたりから伸びが鈍ってきているので、このくらいで止まるのではないかとも予想されている。
そこで考慮されているのは、個人の睡眠時間や運動・栄養といった生活の在り方である。
すなわち、「遺伝要因は一定、環境要因は変化する」と見なして議論されているのだ。

だが、遺伝要因が今後も一定であるとは思えない。
昨今の非婚化傾向である。
かつては、何らかの事情がない限り(時期はともかく)とりあえず結婚し、子孫を残そうとしてきた。
だが、今や「結婚しない」「子孫を残さない」という選択肢も出てきたのだ。
更に付け加えるなら、戦後に名家が没落することよって、日本人はお見合いというシステムも手放してしまった。
そうなると、性淘汰の影響は恋愛だけではなく、結婚や出生にまでも及んでくることになる。

身長にだけ関して言えば、今後も高身長に向かう淘汰圧がかかるだろう。

男性は高身長を望むが、女性は平均より小さくふくよかな方がよい―――
とする美的感覚は長らく存在してきた。
子どもの頃読んだティーンズ向けの雑誌(我が家付近では読んだ雑誌を年少の子に回す風習があった)の「愛と性の相談」コーナーでは悲しい相談を目にした。
相談者は背が高すぎるから脚を切りたいというのだ。
回答者も「脚を切りたい」には驚いて、背が高くても人柄が良ければ必ず相手が見つかるものだと諭していた。
当時もクラスで一番長身だったのを厭わしく思っていたのに、将来は脚を切りたいと思うところまで追いつめられるものかと、暗い気持ちになったものである。

私と同年代、または年上の長身女性達の多くは猫背である。
少しでも小さく見せようと悲しい努力を重ねた結果、すっかり肩凝り腰痛姿勢が身に付いてしまったのだ。
私を猫背から救ったのはスポーツであるが、昔は女性にスポーツは推奨されていなかった。
東洋の魔女(東京オリンピック)の後ですら、娘にバレーボールをやらせたくない親が存在したのではないと思われる。
(アニメ「アタックナンバーワン」の中で、娘を退部させようと乗り込んできた母親が「女の子の部室なのに汗くさい」という当たり前のことを非難する場面がある。)

しかし、時代は変わった。
20代以下の長身女性達は背筋をピンと伸ばし、脚の長さを誇っている。
女性達が恐れるのは、高身長ではなく、高脂肪となった。
今や女性の身長は選択基準の上位から大きく後退した。
小さければ可愛いし、大きければスタイルが良い―――
それだけのことになり、身長を低くする方向の選択は消えてしまった。

そこで、男性の事情はますます厳しくなった。
人口で女性を上回るから必ず誰かはあぶれる。
非婚化傾向により、あぶれる確率は高まる一方である。
その上、「私よりも背の高い人が好いなあ」という美的感覚は健在である。

そこで、低身長男性はかつての高身長女性よりも厳しく、人柄の良さを求められるのだ。
(個人的な感想だが、男性は女性の容貌をうるさく言うわりには妥協点がすこぶる低い、
たいして女性は多くを言わないが妥協しない傾向があると思う。)

従って、非婚化傾向の影響が出てくる十数年後に、平均身長の伸び率は再び高まると思う。
今度の要因は、環境ではなく、性淘汰による遺伝的要因となるだろう。

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11月9日

甘党の危機

私は、自分ではごく標準的な甘党だと思っている。

外出先でコーヒーや紅茶を飲む時に、備え付けのスティックシュガーを使用する。
紅茶はポットで出してくれるところが増えているが、これがカップ2杯分ちょっとでちょうどスティック1本分くらいになる。
コーヒーの場合、お替わり自由ならちょうどいいし、そうでなくても疲れている時には甘めでちょうどよく感じることもある。
ランチにシャーベットなどのデザートをつけて頼むこともある。
セットになっているところが多いので、若干割安になって嬉しい。
世間で提供されているサービスが適当だと感じるのだから、標準的な甘党だろうと判断しているのだ。

だが、「甘党です」「甘いの好きです」とは初対面の人には言わない方が無難だとも思う。
甘党も幅が広い。
極端な方に合わされることがしばしばあるからだ。

最初は小学生の頃。
書道塾に通うお友達に付いていった時のことだ。(お稽古が終わったら遊ぼうと約束したのである。)
書道の先生はひたすら待っている子どもが気の毒だと思ったのだろう、私に甘いのは好きかと聞いた。
もちろん、大好き。
すると彼女はお水に砂糖を入れて差しだしてくれたのだ。
……これをいったい……どうしろ、と???
気が小さい私はそれを飲んだ。
気を遣ってくれた書道の先生に悪いと思ったからだ。
その後、普通の水を飲ませてもらったけれど。

考えてみれば、当時、コーヒーや紅茶には「角砂糖」を入れて飲む大人がけっこういたのだ。
1コ6g〜10g。それを2つも入れるのが女性として標準的だった!
昔はそのような暴力的な甘い物が存在した。

現代は当時とは違い、甘いものにも豊かなバリエーションがある。
うすい上品な甘さが市民権を得ているのだから、「甘党」を表明しても大丈夫―――
と甘い考えを抱いたのが昨日まで。

ところが、今日、とんでもない記事を発見した。
女性の過半数が毎週チョコレートを買う、男性でも36%
というのである。最初は「大袈裟な――」としか思わなかった。
私の知り合いの女性の過半数は「甘い物はあまり好きじゃない」と言っているのだ。
我が家で市販のお菓子を買うと言えば、娘の校外学習の機会に限られる。
(このところ黒ごまポッキーをリクエストされ続けている。)
この記事が本当なら、我が家のある地域が特殊なのか。
それとも、この記事の元になったサンプルの取り方が偏っているのか。

どうやら、まだまだ「甘党です」と表明するには時期尚早であるらしい。

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11月1日

専業主婦を動かす方法

※ 以前書きました「働く母親を巻き込む方法」の続編です。

せっぱつまって大変そうだね、と声を掛けたら、そのまま仕事を丸投げされてしまった―――
という経験はないだろうか?
すべてではないが、専業主婦の中には
子どもが学校からまっすぐ帰ってこないから、教員が補導すべきである(部活指導は?)と考えていたり、
PTAの仕事は 公平に 分担すべきだから、何か行事がある時は就労している母親は仕事を休むべきだと考えていたり、
炊事洗濯掃除と、自分ほど忙しい者はないと考えている人が存在する。
彼女達を動かすのは不可能であるから、そうではない普通の専業主婦をイメージして欲しい。
普通の専業主婦を動かす方法を考えてみた。

何より大切なのは、全体像を分かりやすく示してやることである。
彼女の役割が、全体の中でどういう意味を持ち、どのように進行していくのか―――
会社ではそれらを知らされなくても働いていかねばならないが、報酬のない彼女達に同じ要求をしてはならない。
あなた(働く母親)の意欲は自前で補うしかないので、頑張って欲しい。
しかし、言われても「何をやって良いのか分からない」と動かなかった彼女達の変化が、あなたに充足感を与えてくれるはずだ。

次にマニュアルを作ってあげよう。
マニュアルがなければ不安で行動できない人は多い。
小学校から高校まで、1度もリーダー的役割を経験したことのない人もいるのである。
特に、ある程度以上の年齢であって、学校は一貫して共学、文系か、理系であっても専門を活かした職業に就いていない……
となると、女性にリーダーを経験するチャンスはほとんどめぐってこない環境にいたと思って良い。
そんな彼女達に自己判断で行動するよう最初から求めてはいけない。
マニュアルは慣れるために必要なものなのだ。

スケジュールは細かく設定してあげよう。
また期限まで放っておいてはいけない。
あなたが徹夜すれば間に合わなくもない時間までには、「できそう?」と確認をとってあげて欲しい。
できないことが分かっても、彼女達は期限が来るまで何も言わないからだ。
後で大変な思いをするのはあなただということを忘れてはいけない、
タイトなスケジュールや、責任を伴う仕事の経験がないというのはそう言うことだ、
責任とは「社会人」の属性なのだから。

他にも工夫が必要だろうが、この3点だけは外してはならないというのが、私の実感である。
最初は大変だろうが、1〜2ヶ月もすれば彼女達もマニュアル通りに動けるようになる。
半年後には自分で考えて行動できるようになるのではないかという予感もある。
逆に言うと、適切なリードさえあれば短期間で鍛えられる彼女達の能力が、日常生活では使われることがないのである。
モッタイナイオバケが出そうだ。

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