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[ 流行は気になるけど最後は個性だ!恋愛結婚 公平な数学 差別語が無邪気に話されていた頃 乱れが修正されつつある日本語もある! ]

4月26日

乱れが修正されつつある日本語もある!

「女って×××だから嫌」
この言い回しを久しぶりで聞いた。
正しく言い換えるなら「○○さんがとった×××な言動は嫌い」である。
勿論その場にいたメンバー全員が、話者の真意を汲み取って会話をしていた。
○○さんが自分と同じ女性だからと言う理由で、彼女の言動を我が身に引き付けて考え、責任を取ろうと思う人はいなかったのである。

こうした言い回しは、男女が同席している時の男性の間では、ほぼ消滅したのではないだろうか。
近くに女性がいるに関わらず、昔の男性のように「女は×××」とやっている男性には理性的になれない何らかの事情があるのだろう。
ひどく酔って理性が働かないとか、大変あくどい女性と知り合い人間不信に陥ったとか。

女性全体を見下す言い方が、まずは男性の公式の場で消滅したことは大いに納得できる。
日本人の多くが中流意識を持つ以前を考えてみよう。

上流階級・下層階級共に違う扱いを当然のこと、少なくとも社会の秩序を保つための必要条件と考えていた。
上流階級は堂々と下層階級を「虫けら」と考え、下層階級は上流階級の生活全般が自分たちのそれとかけ離れていることに何らの疑問も抱かなかった。

やがて、上流階級の側が下層階級ともうまくやっていきたいと考えるようになる。
「虫けらめ」という態度を公式にはとらなくなる。
下層階級を見下した傲慢な本心は、建前としてないことにすべきものという認識から、恥ずかしいものだという意識へ変わる。
そして、本気で「私はみなさんと仲良くやっていきたいのです」という人が増える。

下層階級の側はその後に変化していく。
最初は、上流階級の傲慢さよりも仲間の上昇志向の方が許せないものだ。
「出る杭は打たれる」あるいは「女の敵は女」という状態がそれに当たる。
やがて、仲間の上昇志向を受け入れ、自分自身も上昇志向をもつ人が増える。
以前は「あの人は変わっていて特別だから」と言われる人物でなければできなかったことに、一般の人間が挑戦するようになる。

こうして「社会の秩序を保つために必要なこと」から「社会の発展を阻害するもの」へ変わっていく。
男子には虚勢と背伸び、女子には一歩控えてベストを尽くさぬよう奨励するあらゆる試みが、
かつては「男は男らしく、女は女らしく」と賞賛されていたのに、
現代では差別として認定されるのである。
「性別に関わりなくベストを尽くせ」「自滅を招くほどの虚勢を張るな」というのは時代の要請であり、その潮流は「障害者もベストを尽くせ」にまで及ぼうとしている。
(パラリンピックの報道が回を追うごとに大がかりになっている。)

「女って×××だから嫌」
女性の側でもやがては消滅していくに違いない。
それは数世代かかるかも知れないし、案外数年先になしとげられてしまうかも知れない。

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4月8日

差別語が無邪気に話されていた頃

今日、主人が買ったCD笠置シヅ子全集が届いた。
やっぱり「買い物ブギ」は面白い、魚屋のおっさんとのやりとりが特に好きだ。
歌詞カードを見せてもらうと、一部不適切な表現があるので削除したとある。
いわゆる差別語だった。

現代に生きる人間が聴覚障害者を意識して「つんぼ」と歌うなら差別であり、問題にすべきであるが、笠置シヅ子氏の歌は完成された芸術ではないか。
切って繋いで、何もなかったことにしてしまうよりも、当時それは差別語として意識されることなく無邪気に使われていたのだと注釈を付けておけばいい。

何もなかったことにしてしまうというので、よく引き合いに出されるのは『ちびくろサンボ』だろう。
夫についてインドに赴任していた婦人が子ども達のために製作した本が後に出版され、各国で変節した物語である。
物語としてはとても面白かったが、挿絵の少年がコンゴ盆地の密林に住んでいる雰囲気なのに、なぜか虎が登場する。
幼児期に読んだため、虎やライオンは熱帯地方ならどこにでもいると思ってしまったことは内緒だ。
(作者は当然インドに住んでインドの人々や風景を見て描いたらしい。それがいつの間にか妙なことになったという。)

「ちびくろサンボ」は差別的とされ、やり玉に挙げられた。
しかし、差別的であるというなら、私がもっと衝撃を受けたのは『秘密の花園』である。
インドから帰国した主人公メアリは小間使い(ディッコンの姉)に「インドから来ると聞いたので色の黒いお嬢さんかと思っていました」と言われ、あまりの怒りに激しく泣くのだ。
「おまえは本当にものを知らないのね。くろんぼっていうのは人間じゃないのよ」と。
小間使いは恐縮し、平謝りである。
この件に関して、作者バーネットが我が儘娘メアリに批判的であったとは思えない。

私自身は『秘密の花園』を読んだ時は既に小学4年生だったから、「有色人種は人間ではない」という当時の上流階層の常識をありがたく頂戴したりはしなかった。
心の気高さを強調した「小公子」や「小公女」の作者にとって、有色人種が人間として認められないことはあまりにも当たり前だったのだ……という事実に愕然とした。
しかしながら、『秘密の花園』で語られる自然の中で主人公が成長していく過程は魅力的だ。
文学の価値が下がるものではないが、芸術家や文学者とはいえ万能ではなく、時代の制約を受けるものなのだ。

差別を差別だと思わず、無邪気に差別語を口にしていた時代はたしかについそこまであったのだ。
なかったことにするために、芸術を傷つけたり、歴史を歪曲して語るのはいかがなものか。
大人たるものきちんと過去に向き合おう。
時代と共に常識が移り変わるのは当然なのだと認めようではないか。
現代と合わないことが堂々と出されていても、それがその時代を規定していたものなのだ。
差別を差別と訴えることが社会の秩序を乱すものとされた被差別者の過去を取り戻してあげることはできない。
私達にできるのは、より良い現在と未来を作ろうと決意することなのだから。

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4月3日

公平な数学

中学3年の時にお世話になった数学の先生がよく言っていた。
――― どこの中学でもテストを行うと、英語と国語は女子の方が、社会と理科は男子の方が平均点が高い。
しかし、数学だけはどちらともいえない、真に公平な教科である ―――

先生は公平だと主張するのだが、私達の実感は違っていた。
数学と体育が得意な女子生徒はなぜか肩身が狭かったのだ。
当時は学級の中の小集団(班と称していた)においてすら班長は全員男子で副班長が全員女子だという時代だった。(都会では事情が違うかも知れない)
封建時代におけるスポーツ(の先祖)が全力でプレイするものではなく、目上の者を気持ちよく勝たせるための接待の一種であったのと似ている。

しかしながら、当時はまた詰め込み教育のピークであり、偏差値という新しい概念が力を持ち始めていた。
したがって、リーダーシップをとる能力のある女子がメンバーにいる班長は相当に苦労した。
(高齢世代と違い、中年層はやり手の女子社員をもてあまさずに使えるかも知れない。なにせ中学生の頃からそのテーマには慣れ親しんでいるのだ。)
こうした過渡期、女子達は闘士のように意欲的な子と卑怯な子とに二分された。
さんざん男子に圧力を掛けておいて、少々責任が重い仕事となると逃げ出してしまう子がいて、
一方では「私に生徒会長をやらせろ」とニュートラルにではなく攻撃的な調子で言い出す子がいたのだ。
先生方の世代では、女子が男子に圧力を掛けることなどできなかった。
今の若い世代の女子なら、能力に応じた責任を引き受けるのに不平を言いもしないし、昂奮することもないだろう。

先生の観察の正確さはともかく、先生にとって当時の女子生徒の怠慢ぶりには我慢ならなかったのだと思う。
数学と体育は責任逃れをするための象徴的存在だったのかも知れない。
(現実に体力は差があるからか、体育の先生は何も言わなかった。)
女子スポーツの発展と共に、体育は「女子が苦手とする」役割を終えつつある。
やがては数学も同じ道を辿るだろう。
数学は公平だ ―――
恩師の予言は30年以上の歳月を経て実現するに違いない。

私が高校教員だった頃、文系理系で迷っている女子は文系へ指導するという風潮がありました。(私は反発して白い目で見られてました。)
女子は迷ったら理系がいいよ!
せっかく理系の学問を修めたら、教員という職業は選ばない方がいいです。
理系なら競争に参加して成果が数字で見える可能性が少しありますが、文系はそもそも競争に参加させてもらう可能性もないですよ。
ウソだと思ったら、学生・院生と研究者の男女比を比べてみるといいのです。さらに研究者の私生活を聞いてみると良いのです。理系の方は結婚して子どもがいたりしますが、文系の方は独身ですべてを研究に捧げないと研究者の仲間に入れてもらえません。

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4月1日

流行は気になるけど最後は個性だ!恋愛結婚

少々変わった部類に入るかも知れないが、私が歴史で興味を引かれるのは20世紀初頭前後(明治後期〜昭和初期)である。
中でも心引かれるのは中流に準じる(中の下くらい)階層の人々だ。
幸いこの人たちはご存命であるか、生前の話が伝わっていることが多く、彼ら彼女達の生き方を聞くに付け感心することが多い。
特に恋愛や結婚に関しては、高度経済成長期よりも現代の庶民達とよく似ているように思う。

人の紹介で初めて会って、次に会ったのは結婚式…ということがよくあった時代だが、男性が女性を「見初めて」というケースだって決して少なくはない。
そうした場合でも自撰結婚(当時は恋愛結婚とは言わなかった)の形を取らず、必ず仲人を立てたので、現代人の目から見ると実態以上に「本人不在」に見えているのではないだろうか。

実質的に恋愛結婚の場合、中の下男性達の基準は合理的だった。
「手に職がある女性だから」「健康で賢いから」
三従の教えを生真面目に実行しているような母親の息子が、しばしば母とは正反対の女性を望んだ。
不幸にして父親が早くになくなると、経済的に無能力な母親は子どもを抱えて右往左往するよりなかったからだ。
子ども時代に苦労した男性の目には、いざという時も経済的に立ちゆける女性は大変に好ましかっただろう。
まして、新規事業を開拓したい男性には、気の強い女性こそ望ましかった。
彼らは交渉や会議のために留守がちであったので、留守は妻が守ったのだ。
留守を守るとは、下層階級においては子どもを抱えて働きに出ることを意味するが、中流・中の下においては夫に代わって店を切り盛りすることを意味する。
こうした時に、家事は女中が、育児は子守が担当する。(普段でも女中や子守はいるので、妻は使用人達に采配を振るうのが勤めとなる。農村でも同様であり、妻は畑に出るものだ。)

中の下男性の新しさはそれだけに留まらない。
当時、姦通罪は妻の浮気にのみ適用され、夫の側は何人妾を囲おうがおとがめなしだったことはよく知られている。
実際、会社では従業員がストライキを決行中なのに、芸者を上げて遊んでいたという旦那衆の話も聞く。
ところが、中の下男性達は「妻の悋気は夫の恥」と心得ていたようだ。
稼業を順調に発展させるためには、家内安全(家族の全面協力を取り付ける)が肝要だったのである。
そのためか、酒に溺れて妻子を威嚇する父親像は下層階級にはよく見られ、中流以上では(私が聞いた話の中では)見られない。
「よそ(おそらく尋常小学校の同級生)のお父さんより優しい」「教育熱心な」という評価の父親が目立つ。
家族には従順さよりもむしろ向上心を要求していたようだ。

こうしてみると、明治〜昭和初期の中流・中の下男性達の結婚観・家族観は、高度成長期のモーレツ社員や星一徹よりも、現代のお父さん達に近いと思う。
かの時代に魅力を感じ、親しみを感じる由縁である。(あくまでも中流・中の下限定。)

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