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スタンドプレイと… 「頑張る権利」… 企業減税? 潮流に逆らえない

10月22日

潮流に逆らえない

気の滅入るようなニュースが続いた。
中でも、中学生がいじめに追い込まれて自殺した事件と、イーホームズの藤田東吾社長の違法建築告発は、ことの重大さ故に目を覆いたくなる。

違法建築告発については、疑うと際限もなく疑わしく思える。
が、何を信じて良いのか、本当に何があったのか、実際にメディアに情報が握りつぶされているのか、本当ならそれは何故か、最も利益を得るのは誰なのか。
真相は藪の中だ。

いじめの被害者が自殺した事件のうち、福岡県筑前町では担任教師がいじめを誘導した。
学校の教員にも、他の職業同様いろいろな人がいる。
ただ、いじめを誘導したこの教諭は、教師集団の中で特別に問題視されていた感じでもない。
むしろ、この先生は「指導力がある」と見られていたのではないかとすら感じる。
加害生徒達が「先生がやっているから良いと思った、悪いことをした」と被害者の遺族に謝罪に来たそうだ。
逆の見方をすれば、加害生徒とは先生に逆らわない従順ないい子ではないか。

教諭は罪の意識もなくいじめの潮流を作りだした。
教諭が率先していじめ、生徒達はまるで忠誠を誓うかのようにそれに倣った。
次の被害者になりたくなかったからだろう。
教諭は「からかいやすい」という言葉を使っていたが、本当に陰険な考えもなくいじめに誘導したのではないかという印象だ。

権力者が何の考えもなく、弱者の痛みに思いを馳せない、その想像力もない。
そうした環境で、いじめの潮流が作り出される。
はたしてそれはこの中学だけの、いや教育の中だけの現象と言えるのだろうか。

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10月14日

企業減税?

20世紀末、日本では国際競争力強化のため、法人税率が引き下げられてきた。
勿論、日本製品が支持されてきた理由は、性能の良さや使い勝手の良さであり、高価でも受け入れられていた。
が、近年のアジア製品は価格性能比が良い。
この価格でこの品質なら魅力的だ、と支持されるようになった。

日本の法人所得課税の実効税率は39.54%(2006.1)で、アメリカやドイツ、イタリアなどと同じくらいだそうだ。
イギリス・フランス・中国は事業税などがかからないのだろうか、30%ちょっとになっている。
とすると、経済界が求める企業減税は、事業税や法人の住民税の引き下げ要求だろうか?

企業減税がなされるとなると、代わって何が増税対象になるのだろうか?
景気が回復してきたと言っても、庶民はまだその恩恵に与っていない、
消費税や課税控除額引き下げで増税を図られたら、庶民はひとたまりもないだろう。
物品税の再導入や高額所得者の税率引き上げ、相続税の引き上げなどで対応してもらいたいものだ。
特に個人の相続税については、配偶者や障害を持つ子以外の税率はもっと上げればいいじゃないかと思っている。

基本的には高所得者層に応分の負担を求めたいが、低所得者層にも協力できる部分はあるだろう。
生活保護世帯の可処分所得が、働いている人がいる世帯や年休生活者の可処分所得を上回らないようにする価値はある。
配偶者控除は、12歳以下の子どもか介護を必要とする家族が同居している世帯だけに適用すれば十分だと思う。
低所得でありながら、生産年齢にある成人がなぜ働かないのか?
(失業対策は十分にするのが大前提。)

経済格差が拡大してくると、諦めていた不公平感が怨念に変わるものだ。
もし、企業減税を実施するなら、不公平感を是正するチャンスにして欲しい。

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10月12日

「頑張る権利」を勝ちとろう

障害者自立支援法が施行された。
世間で問題にされるのは、障害者がサービスを受ける時の自己負担額のことだ。
ついで語られるのが、サービスを利用しにくくなったことだが、こちらの方がむしろ問題が大きい。

私と娘が利用しているローカル線には、障害者授産施設に通う人が乗ってくる。
とてもしっかりした人で、施設の最寄り駅まで電車を利用し、そこから施設のバスに乗っていった。
施設のバスはもっと広範囲に回っていたので、彼女以外の人は自宅近くのバス停まで行けば、そのバスに乗って施設に通っていた。
ところが、障害者自立支援法下では、施設のバスは最寄り駅までしか行けない。

障害者の家族は追いつめられた。
多くの障害児達は、電車やバスで移動する力はある。
しかし、最初は奇声を発したり、パニックを起こしたりする子もいる。
そうでないまでも、年齢の割に落ち着きがなかったり、話しかけられて答えられなかったりというトラブルが起きる。
そうしたトラブル時、たまたま居合わせた人々の白い目に耐えられず、多くの親が公共交通機関よりも自家用車を選ぶ。
したがって、障害者の多くは公共の場に出る経験が極端に少ないまま成長する。
突然、施設バスが自宅近くまで来てくれなくなるという事態に遭遇した障害者達は、まさにそのように育ってきてしまったのだ。

今年の4月からバスの運行が縮小されるはずであったが、施設側の働きかけにより、9月いっぱいまで延命された。
ある男性は意を決して4月から電車通勤をはじめた。
彼はすぐに通勤に慣れた。

そして、ついに10月がやってきた。
ある家族は、その施設を諦めざるを得なかった。
家族の誰かが障害者の送迎のために仕事を放棄しなければならないのなら、家計か障害者の訓練かどちらかを選ばなければならない。
他の家族は、障害者を電車に乗せることにした。
障害者達は首からカード(その人の名前と施設名が書かれている)を下げて、電車に乗り込んできた。
戸惑っている人たちがどういう人たちなのか、カードをみれば分かるだろう。
しかしながら、たいていの人は彼らを無視していた。
彼らに落ち着くように言い、空席を見つけ、彼らに座るように指示をしたのは、最初から電車で施設に通っている彼女だった。
私は彼女の荷物を見ていてやること、その座席を必要とする人が来たら彼女ではなく私と娘が席を譲ることくらいしかできなかった。

2日3日と経つと、電車初挑戦組もどうすればいいのか理解した。
翌週、彼女はこの電車に乗らなくなった。
1本遅い電車に、もっと支援を必要とする人が乗ってくるからだ。(混雑を避けている)
初挑戦組には私が空席を示したら、戸惑うことなく従ってくれた。
そして、昨日、彼らは私に挨拶をして、自分で空席を見つけに行ったのだった。
1週間半かけて、彼らは自立を勝ち得た。

もっと正確に言うならば、彼らは1週間半という努力する期間を勝ち得た故に自立できたのだ。
何か悪いものを見るようにチラチラと送られる視線は無視できるほどの程度であったこと、私を含めて何人かの支援者を見つけられたこと、
何にも増して自立した障害者がついていてくれたことが大きい。

彼らは努力する期間を妨害されなかった、こうして従来通り施設を利用できている。
しかし、支援を外され、代替するものが何もないまま、サービス利用が遠くなってしまった障害者達はどうしているのだろう。
せめて、頑張っても良い、努力を妨害されない環境にあれば、と思う。

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10月1日

スタンドプレイとチームプレイ

自分が競技者になるなら、個人競技はそこそこ人気がある。
特に陸上競技や水泳は自分のペースで楽しめる余地が十分にあり、自己ベストという目標もある。
ところが、観戦となると、圧倒的に球技、それも団体競技に人気が集まる。
チームプレイ好きが多いのである。

これが仕事となれば、ますますチームプレイ派の比率が高まる。
人間関係で悩むのは、円滑な人間関係を求めているのであって、人間関係そのものが煩わしいというのは稀だ。
仕事そのものは好きだが、終日の孤独に耐えられないという話も聞く。
凡人の理想としては、起きている時間のうち、集団といるのが半分ほど、2人きりが2割程度、孤独が3割程度といったところだろうか?

そこで、近年後継者不足に悩む職業を考えてみる。
伝統工業は「職人気質」を持つスタンドプレイヤー達のものだし、農林水産業は機械化の結果チームプレイが必要なくなってしまった。
「業」がつきながら職業として認識されていない専業主婦も、かつては大家族のメンバーや使用人達とのチームプレイであったものが、近年は孤独な作業が中心となっている。

粋を集めたような伝統技術の継承となると、卓越したスタンドプレイヤーが必要だろう。
とりあえず後継者不足に悩むのなら、チームプレイの要素を入れてみてはどうだろう?

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