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私の少子化対策案
命の値段?
無条件降伏以外は…

4月1日

私の少子化対策案

一部保守系政治家がどんなに旗を振ろうと、振られるのは旗ばかりで、現実には専業主婦という生き方は危険だ。
危険だと分かっていても、子供を産むと専業主婦になってしまう女性は多い。
ワーキングマザーも増えてはいるが、やはりきついのだ。
子どもが保育園にいる間はまだ良い、小学生になってからが大変だ。
学校からのお呼び出しは多く、PTA活動はなぜか平日の昼間に設定されていて、1回も顔を出さないというわけにはいかない。
学校組織というのは、各家庭に必ず失業者か専業主婦がいて、しかも各人専用の車を持っていることを前提としているのではないかと思えてくる。
それらの行事に年休が消えていく。
それら行事に加えて、子どもが突然熱を出したりするのだが、
欠勤・遅刻・早退数が同じだとして、その理由が「二日酔い」の人と「子どもの病気」の人がいたら、間違いなく後者への風当たりが強い。
学校という職場でもそうだったのだから、まして一般企業では子どもの病気なんぞで休む母親はイジメにあっても「いじめられる方が悪い」ということになってるのではないかと想像してしまう。
そして、うつ病を患い、あるいはうつ病の危険を避けて、彼女は退職する。

退職ということになると、どんなに不利な第2の人生になるか、テレビや週刊誌さえ情報提供してくれる。
だんだん約束時間を守れなくなってくる専業主婦の友人知人を見るDINK妻やシングル女性は、専業主婦の経歴が長引くほど社会人としては減価償却されてしまうことを知る。
しかも、本人は無自覚だ。
児童手当が充実しても、子どもの医療費を助成してもらっても、「仕事=自分の老後の安定」か「子ども」かと日々迫られているようなものだ。
子どもはできれば可愛いだろうけどまだいる訳じゃない、やっぱり自分の生活をとってしまっても仕方ないのではないか。

そこで、学校にはきちんと予算をつけてほしい。
清掃作業をPTA活動に頼らなくてもいいようにしてほしい。
校庭の草取り作業の場合、素人には見た目を綺麗にすることはできても、棘植物を除去して危険を取り除くことはできない。
子ども達の安全を確保するためなら、お金を気にせず業者を頼めるようにしてほしい。
ベルマーク分類作業のため、その数倍以上の経費を保護者に強いるより、きちんとした予算が望ましい。
ベルマークによって得られたお金の範囲内という金額よりも、子どもへの教育効果の方を優先して教材を選んでほしい。
拘束時間や労力を使う事項を減らせば、PTA役員の重荷はずいぶん軽減されるはずだ。

また、教職員の労働時間に支障を来すおそれがあるのだから、教職員をPTA活動から外しても良いのではないか。
教職員は児童生徒と教材研究にもっと時間を割いてほしい。
そうすれば、PTA組織は都合のつく曜日や時間帯が同じ保護者だけで構成される委員会を組めば良い。
会議などのために年休を取る人もいないし、昼間の時間が空いているのにわざわざ夜間に出て行かなければならない人もいなくなる。

欠勤・遅刻・早退の理由が突発的な子どもの病気だけになれば、「だから母親はダメなんだよ」と言われる確率も下がるかもしれない。
無念の退職をする人が減れば、頑張ることができるキャリアマザーを今より多く目にするだろう。
特別なスーパーウーマンでなくても、自分の老後保障を犠牲にせずに子どもをもてるかもしれない…という実例があちこちでみられるようになるだろう。
やがては、子育ては自己管理の悪さより小さなペナルティで済むようになっていくに違いない。

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4月15日

命の値段?

一昨日生保各社の保険金・給付金の不払い額と件数が発表された。
保険にそれぞれの考え方はあるだろうが、先日定年退職前の男性と話したことを思い出した。
彼は保険金額を「命の値段」と表現し、私は違和感を感じた。
命の値段ならもっと高くていい。

私の発想だと、それは「やり残してしまったかもしれない責任」をお金に換算したものなのだ。
子ども達が独立する(就職や結婚)、家族の帰れる場所を確保する(住宅購入)…
彼はなんと大きなことをやり遂げてきたことか。
残るは、彼の選び選ばれた配偶者とともに心豊かに晩年を過ごすだけだ。
この段階にくると、男も女もその責任の大きさに違いはないだろう。 

残った責任がごく小さいならば、彼の手持ちを無理せず運用すればいい。
金融業者(銀行も保険会社も)はローリスクの分散投資について彼に情報提供すればいい。

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4月22日

無条件降伏以外は許さない女性達

性別や人種などをステロタイプで語ることは嫌いだ。
そのような思いこみは社会の要請が変わればいくらでも変わってしまうと思っている。
端境期にやってきてしまえば、どんなに保守派が泣こうが喚こうが猛り狂おうが、その流れを止めることはできない。

日本では人種問題が大きく取り上げられることはないので性差別に関する論調だけを見てみよう。
30年前は、女性の権利拡大を唱える側の方がヒステリックであった。
しばしば罪のない男性までも糾弾することもあった。
保守派の方はにやにやしながら話をはぐらかしていたのである。
今や激しく攻撃的なのは保守派の方だ。
鉄道会社の痴漢対策にかみつき、医学的事実にも拒否反応を見せる。

しかし、いくつかの傾向については同性の一部にうんざりすることもある。
彼女たちはかつて家庭や地域から、あるいは学校生活の授業以外の場面でそのような教育を受けてきてしまったのだろうか。
そのうちの一つがたかがゲームや競争に強く感情を込めすぎてしまうことだ。

男性はおおむね「勝ったり負けたり」という状況を受け入れることができる。
もちろん一部の男性は「女やアジア系外国人に負ける」ことを許せない。
それは目の前の相手を人間として見なしていないからであり、彼が人間として認める相手に対しては「勝ったり負けたり」があってもそれを受け入れることができる。
必要以上に競争したくないと考える女性も「勝ったり負けたり」に抵抗感はない。
闘争心が強くても、あざやかに「肉を切らせて骨を切る」芸当をやってのける女性も存在する。

「わずかでも負けることは許せない」
「1点でも取らせてなるものか」
「無条件降伏するまで戦う」
こうした信念を持ちしかも貫き通してしまう人物…
私の脳裏に浮かぶのは闘争心の強い女性ばかりなのだ。

このような女性に「私はそういう戦いをしたくない」と訴えても無駄だ。
「無条件降伏をした」と表明してライバル認定を取り下げてもらうしかない。

日本人女性の良さは「ものごとにこだわらないおおらかさ」とか「平和主義」だと思ってきたのだが。
「とことんまでこだわる」競争好きの女性を避けて生きていきたいと願う。


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