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8月1日

「美しい国」

たまに通る道に「美しい国」と大きく書かれた看板がある。
年期の入り方から言って、安部内閣発足以前からそこにあったと思われる。

「美しい国」
製作者は何を思ったのだろう?
そこは交通量がかなり多い道路である。
周辺は田畑がかなり残っている。
「残っている」というのは、宅地部分が乱ぐい状態に拡大していて、田畑は縮小する一方だからだ。

こうした場所で想像するのは、交通量の増大とともに田畑にゴミが投げ込まれる被害が増大したのではないかということだ。
この看板の場合、「美しい」とは清潔感ではないかと思われるのだ。
「美しい国」なら「我が家の前(私の田畑)を避けてよその家の前(他人の田畑)に捨てろ、ということじゃなくて、どこに行ってもそこの美しさを大事にしてくださいね」ほどの意味合いになるかと思う。

それにしても。
その意味合いには賛同するが、看板に書かれた時点で景観が美しくない。
もっと美しく表現するアイディアはないだろうか。

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8月10日

景気の回復を実感

今日昼日中から売り込み電話がかかってきた。
ビジネス電話であるに拘わらず、3分経過しても用件に入らない。
この既視感。
そうだ、ゼロ金利政策前の電話勧誘だ。
商品も美容関連、さすがにマンションではないのか。
たまたま電話に出た既婚女性は専業主婦であり、これからハローワークに出かけようとする失業者かもしれない、という発想がないところは、やはり景気回復の反映だろう。

さて、その勧誘は美肌サービスを1回だけお試しで1000円で提供するというものだった。
通常価格は言わなかったが、それはまあいい。
1000円なら安いのでとびついてくる女性もいるだろうと見越しての価格設定だ。

ただ、1000円という価格を聞いて、私は別のことを考えた。
1000円あったら、ちょっと張り込んだランチを食べたい。
私の欲求は衣食住に留まり、美容までは遠く及ばないのである。
美肌という視点で見ても、表面だけ撫でさするよりも栄養状態を改善する方が効果的だろう。

栄養状態に問題がなく、過労状態でもなく、時間的経済的余裕のある女性…
そんな女性を電話で探せるほどには回復していると思おう。
まさか、栄養状態に問題があっても、過労で睡眠不足でも、美容業界の勧めに従えば劇的に美しくなるという
信仰を持つ女性が減っていないとは思いたくない。

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8月15日

終戦記念日に考えた

TVでは甲子園の試合が熱い。
去年は熱闘が続いたが、今年はどうだろうか。

さて、高校野球を見ていると思い出すことがある。
私が中学生だったころ、特に偏差値輪切りに違和感はなかった。
違和感どころか、未だ健在であった「女の子はむしろ勉強なんかできない方が良い」に大いに反発し、自分の努力以外のもの(家格や容姿)を問われない偏差値輪切りはなんとありがたいシステムかと感謝していたのだ。
現在でも当時の偏差値輪切りには感謝の気持ちを持っている。
しかし、私自身は輪切りで指定された高校(田舎のことなので旧制中学)には進学しなかった。

中3の春、当時の進路指導で言われた。
「テストで男子は210点以上、女子は220点以上(250点満点)がめやす」
その瞬間私はその高校の志望を取り下げた。
冗談ではない、そんな性差別をする高校に進学してしまったら、女子には「片隅でおとなしくしている」ことだけが要求され、まともな指導が受けられないだろう。
確認もせずにそう思ったのだ。
今考えれば、生徒(私)も教師も浅はかであった。
その後、その高校側の当時の担当であった先生と同じ学校に勤務し、私が受けた進路指導の話をしたところ、大変に驚かれたのである。
少なくとも高校側から「男子優先」を要求したことはないから、中学側で「気を利かせた」のであろうということになった。

さらにその後、近所の高校が甲子園に出場することになった時、卒業生から寄付金をかき集めるので大騒ぎになった。
ああ、そういうことであったか、とその時になって納得した。
私たちの年代なら、女が名士になることはまずない。
寄付金を募るのなら、やはり男の卒業生なのだ。
昔はその旧制中学であった高校もさかんに寄付金を集めたのだろう。
しかし、私が中学生になった頃は、その高校も何が何でもスポーツ強豪校になるという目標は持っていなかった。(しかもすでに同窓会の資金は潤沢であった)
「文武両道」は建前であり、進学実績が優先されるので、高校にとっては性別よりも成績優秀であることの方が重要になった。
しかし、中学の先生は自分自身の経験に照らし合わせ、男子優先の指導をしたのだろう。

年長者がどんなに現代を嘆き、昔を懐かしがっても、女にとっては時代は良くなる一方だ、
少し前まで私は無邪気に信じていた。
家格や性別に関係なく、学力だけを問われて進学できるようになったように、社会人も最終的には実力だけを評価されるようになるに違いない。
もちろん、今はまだ過渡期だし、いきつもどりつするだろう。
「いまどきの女は女性らしいたしなみがない」「若い男がだらしないのだ」
何とでも言ってなさい、私はにやにやしていた。

ところが、職業の方は学校ほど甘くはなかった。
女子が男子と肩を並べたように、女性が男性と肩を並べるわけじゃなかったのだ。
男性が女性並みの不安定雇用と低賃金を強いられるようになってしまった。
これでは専業主婦または専業主夫向きの人はどう生きていけばいいのか?
自分や家族の将来を考えると、主婦(主夫)業の適性などといってはいられない。

そして、終戦記念日。
恐ろしい事実に気が付いてしまった。
学校では男子だからといってほとんど優先されることがなく学力だけを問われ、就職氷河期あるいはそれ以後に女性並みの労働条件に甘んじ、恋愛からも遠かった若い男性が多くいるのだ。
ネットカフェ難民はまだ少数者かもしれないが、彼らの父親も年をとる。
年金で夫婦とワーキングプアを養うのは困難だ。
その境遇は、アフガンやイラクで犠牲になっているアメリカ人兵に似てやしないか。

私たちは女性の人権や平等を急いで求めすぎたのだろうか?

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8月16日

犯罪助長反対

イジメの場合は「いじめられる被害者にも問題はある、加害者にもいいところはある」と論点をすり替える。
性犯罪やセクハラの場合は「被害者が挑発している」と論点をすり替えた上で被害者に責任転嫁する。
暴行された「オヤジ」や「ホームレス」に対する非難はあまり聞かないが、あっても不思議はなさそうだ。
これら犯罪助長の主張は「他人の人権を侵害する自由も認めろ。強者が弱者を圧迫して何が悪い?(いいじゃないか)」に集約されるからだ。

したがって、
「イジメは加害者が周囲を脅迫して被害者を孤立させた上で行われる狡猾なもので、行為自体が犯罪」と指摘されようと、
「性犯罪やセクハラは腕力などを背景に行われるので、女性が喪服だろうとジーンズだろうとイスラム教の独特の衣装だろうとおこる」と指摘されようと、
まったく聞く耳持たないのだ。

なにかの事件がおこるたび、性懲りもなく繰り返される犯罪加害者擁護論。
案外これは人間の本性の一つではないかという気もする。
強い者に媚びへつらい、自分が少しでも利益を得ようとする。
けれど、この心根はいかにも卑劣である。

そこで私たち普通の人間は理性で卑しい欲求を黙らせるのだ。
ただ「自分に正直になれ、特権がほしいだろう、少なくとも正義なんかのために自分が損をすることはないじゃないか」の声が大きく聞こえてくるような気がする。(悪事はささやくものじゃないのか?)
テレビの報道番組から。

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