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10月1日

雨の日のドライバー

夜が長くなってきた。
おかげで私と娘はバスに乗って駅まで行けるようになった。
やはりバスで移動できるのは楽だ。
明るい環境だと人間も活動が早くなるようで、今まで朝一番のバスに乗っても道路渋滞の影響で電車の時間に間に合わなかったのだ。
ようやく混雑の時間帯が後ろへとずれこんできたのだ、やれやれ。

私たちが利用するバス停は一方通行の道路上にある。
雨の日はバスを待ちながら、こちらに向かってくる車の様子を観察する必要がある。

過半のドライバーは、信号で左折(右折)して一通の道路に入っても左側通行を続ける。
スピードはそのまま。
私たちは水たまりからなるべく離れてやり過ごす。

2割ほどのドライバーは、一通に入ると道路の真ん中を走行してくれる。
彼らの場合、ほぼ例外なくバス停付近ではスピードを落としてくれる。
私たちは彼(彼女)に感謝してバス停に留まる。

2割弱のドライバーは、一通に入るとスピードを上げる。
もちろん左側通行のままである。
逃げ遅れると全身ずぶ濡れにされる。
バスがこの車の後から来るようなことがありませんように、祈りつつ路地に逃げるしかない。

左側通行のままスピードを上げるドライバーはどんな人か確認している暇はないが、過半のドライバーや真ん中通行のドライバーは年代や性別に関係ないように見える。
個人的資質だけで行動が決まるのだろう。
昔からこの比率にはさほどの差がないのではないかと思っているが、どうだろう?

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10月7日

密室は不吉

現在ブログでは「私が出会ったモラハラ」シリーズを書いている。
今から10年ほど過去のことなので、苦々しい思いではあるもののなんとか書けている。
当時の自分を思い起こすと、あまりのバカさ加減に唖然とする。
当時は「ああ言い返せば良かった」「こうすれば良かった」と考えて眠れなくなっていたものだが、今はこれだけだ。
「早く逃げろ」
振り返ってはいけない、
自分の何が悪かったのだろうかなどと考えてはいけない、
“もしかして自分はこういう目に遭いやすい性格なのか”などとゆめゆめ反省してはならない。
相手はあなたの想像を遙かに超えた人間なのだ。

2人のモラル・ハラスメントに遭い(現在は3人目)、私はこうしたことを引き起こす人間の共通点をいくつか挙げられるようになった。
私では絶対にありえない信念を持っている。
私がごく普通につきあえている人々にも見られない特徴だから、こうした面が見られる人間からは全速力で逃げようと思う。

はっきり言わないで、何かをほのめかすような言い方を好む。
それでいて自分の意図は100%伝わったものと本気で信じている。
だから、あなたがその通りに行動するのが当然で、自分の意図を汲んで行動してくれないのが悪意だと言い張れる。
間違えてはいけない、職場で最初からあうんの呼吸を要求する方がむちゃなのだ。

諍いの原因はすべてあなたにあると本気で信じている。
“私を怒らせる方が悪い”というむちゃくちゃな言い分が通ると本気で信じているのだ。
交通事故だって、過失割合が「0-100」ということは滅多にないではないか、
まして被害者が100%悪いなどということはありえない。

あなたのなんでもない言動(右を見たとか、誰かに明るい声で挨拶したとか)を悪意ととらえる僻みっぽさを持つ。
この無限大の僻み根性は特殊能力かと思うほどだ。
あなたに言いがかりをつけるためのネタは毎日どころか毎秒発生するのだ。

人を侮辱する言葉なら誰よりもバリエーション豊富である。
国語能力に関係なく、罵詈雑言でなら人後に落ちない。
それを密室でやる。
証拠を作らないという知恵もあるのだ。
密室でなければ、あなたにしか聞こえないひそひそ声で。
そして大まじめで言ってのける。
「他の人に聞かれたらあなたが恥をかくでしょう、私の思いやりに感謝しなさい」

こんな相手に一泡吹かせる方法などない。
思い知るわけがないし、反省する日は永久に来ない。
密室だけは避けて、早く逃げ道を見つけることだ。

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10月14日

五十歩百歩

昔からそういう輩は多かった。
肩がぶつかった、などの理由で通りすがりの他人に暴行を加えるならず者。
ぶつかったのなら両者に同じ力が働いているのだから、片方が鎧でも着ていなければ受ける衝撃はほぼ同等だろう。
あるいは、些細な失敗によって迷惑を被ったことがあるからという理由で、陰険なイジメを執拗に繰り返す子ども。
あるいは、子どもがその時にやっていることを直ちに中止して親の言うことに従わなかったという理由で、その子が衰弱するまで暴行を加え続ける親。
受けたダメージに対して明らかに過剰な復讐をし、それが正当だと信じている異常な人間達だ。
これら異常者達が、現実に犯罪を犯すまで(子どもの場合は犯罪を犯してもなお)野放しにされているのに、憤りを感じる。

もっとも、こういう異常者に対処しきれないだろうとも思う。
なにせ数が多い。
その上、マスメディアによって日々正常なバランス感覚が破壊され、いつの間にか過剰な復讐を当然と考えてしまう異常な感性を吹き込まれている。
たとえば、横綱という地位にありながら地方巡業をさぼった朝青龍。
テレビには、朝青龍の「仮病を使って仕事をさぼった」と、時津川部屋で起きたリンチ殺人事件や亀田一家によるボクシングを隠れ蓑にした傷害事件を、同列にコメントする人が出ているのだ。
就業規則違反と犯罪がなぜ同列なのか、理解に苦しむ。

そこで、本来的な意味とはかけ離れてしまうが、「五十歩百歩」を目安にしようと提案してみる。
2〜3歩下がったのと百歩逃げたのでは違う。前者は必死に勇気を奮い起こしているが、後者はあきらかに逃げている。
五十歩逃げたのと百歩逃げたのでは、本質は同じだ。量の違いに過ぎない。
「量の違いに過ぎない」のはせいぜい2倍くらい。
量の違いはある限界値を過ぎると質的な変化を伴うのだ。
そうすると、前2段落の例は量の違いに留まらない、とたいていは賛成してもらえるのではないか。

例外かと考えてしまうケースもある。
「ダーティハリー4」や「リップスティック」のように、性犯罪被害者が過剰な復讐をした場合だ。
性犯罪を明らかにすることによって加害者が社会的制裁を受けるのなら、その方が復讐としては適正だと思う。
しかし、アメリカも日本も、男性の性犯罪加害者よりも女性の不倫などをおもしろおかしく執拗に取り上げる。
これでは犯罪を明らかにしたところで復讐にはならず、かえって被害者の被る二次被害の方が深刻だ。
被害と二次被害が深刻な分、復讐が2倍以内…にぎりぎり入るケースと考えようか?

あるいはこうした微妙なケースは保留しておいても良いかもしれない。
まずは原則を自分の中で作ってしまうつもりだ。
なんのために?
被害者までもが加害者やマスメディアなどに影響されて、過剰な復讐を当然と考えてしまい、正当な抗議を自ら封じてしまう…
という害悪を少しでも予防できるようにである。

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