[ 賢者   正直な反発   人質事件の報道に接して   日本人男性へのエール PartU   Yes か No か?   長生きしましょう! ]


4月30日

自己責任

国民年金はアメリカ並みの「自己責任」を求められる制度です。
テレビ番組でQ&Aをやっているように、ぼんやり人任せにするわけにはいかないのです。
よく出てくる事例が、いわゆる専業主婦が失効を知らずに過ごしてしまうケース。
年金額が大幅に目減りをする、場合によっては年金を受け取れないこともあります。
「自分自身で」申請することが必要になります。
そうした事態に陥った個人は大変なのですが、必要な申請が為されていなくても教えてもらえるわけではありません。

障害者福祉もよく似た考え方で成り立っています。
何らかの病気や事故で、突然障害を負ってしまったとしましょう。
行政サイドからの通知はありません。
障害者福祉に関する最初の情報は、十分親切な医療関係者からもたらされることでしょう。
そして、役所に出かけていき、
「××とかいうものがあるって○○病院の先生から聞いたんですけど……」
と、よくわからないままに申し出ます。
そこで初めて障害者福祉に関するリーフレットを目にするのです。
その後は担当職員のボランティア精神に期待するしかありません。
彼(彼女)の職務リストの中に「障碍者に情報を提示する」というものは入っていないのですが、窓口で、あるいはわざわざ電話で
「△△という制度がある(できた)のだけれど、申請してみたら? 用紙は□□にあって……」
全くの親切から教えてくれることもありえます。
親切な人に当たればラッキーですが、同時に彼(彼女)の親切が職場での正当な評価につながればいいのだけど……と、つい余分なことまで考えてしまいます。

ところで、このほど複数の大物政治家の年金未払いが報道されました。
これこそ純粋に「自己責任」の問題です。
また「自己責任」論争が巻き起こるのかなと思っていました。
ところが、案に相違して、「制度に問題がある」という話になってきました。
一般国民なら、事情に拘わらず未払いは未払いです。
私も思考回路が止まりかけました。

しかし、考えようによっては、(どういう動機であれ)議論するのは良いことです。
日本の社会保障制度は、実情以下にしか評価されていないのではないかと思うことしばしばです。
いつも「立ち後れている」と言われています。
ヨーロッパに比べて立ち後れていることは確かですが、それにしても評価が低い。
分かりにくく、利用しにくいことが、それでなくても高くない評価をさらに引き下げているのではないでしょうか。
年金ばかりでなく、このさい「社会保障制度全体をわかりやすい制度にする」という方向へ、議論が転がっていけばいいと考えています。


4月20日

賢者

4月15日、イラクで拘束されていた日本人のうち、3人が解放されました。
アルジャジーラのニュース映像が日本中を駆けめぐりました。
その映像の中で、高遠氏はボランティア継続の意思を問われ、はっきりと Yes の意思表示をしていました。
「日本人として」拘束され、命の危険にさらされても、彼女の視座は「個人」対「個人」のまま、揺らぐことはありませんでした。

これが報じられると、「首相」はコメントを求められました。
首相は不快感を表明しました。
「日本人として」拘束され、命の危険にさらされている人を、国家の責任に於いて救出するのは当然のことです。
たとえば、強盗の手にかかったなら国家に責任はありませんが、今回はあきらかに国家責任の範囲です。
あの不快感の表明は、「小泉純一郎氏」というよりは「国家の最高責任者」の本音であったでしょう。

高遠氏の発言は個人の意志に関わるものであり、首相の発言は国家責任に関することです。
両者の発言は全く異質ですから、これを応答の如く報じる方がおかしい。

しかし、帰国した3人を待っていたものは激烈なバッシングでした。
政治家達の発言は流用され、コメンテーターの口にのるときはもっと攻撃的な言い方になりました。
応じるように、救出にかかった費用の話へと進みました。
もしも、「日本の企業だから」という理由で海外で日本企業が経済的不利益を被ったなら、それでも「自己責任」「そんな国に進出する会社が悪い」と言いますか?
今や、彼らは「逆賊」「非国民」といわんばかりの犯罪者扱いです。
犯罪者にも犯罪被害者にも人権は認めないのが、日本の保守系メディア流です。(良心的な取材をしている方には申し訳ありません。こちらが不愉快になる下品な報道の多さに辟易しています。)
報道の焦点はますますずれていきました。
医師や弁護士らが、自らの判断ということにして、本人達を会見に出させなかったのは当然でしょう。
お陰様で凄惨な私刑を見せられずに済みました。(でも、家族が代理で虐待されていました。)
やっている方とて、体系だった軍国主義教育は受けていないはずですが、家庭や地域で(それと意識されることもないまま)脈々と受け継がれてきたものが噴出しているのです。

私刑に対して、ストップをかけられる位置にある者が、煽っているのが現状です。
やはり、ネオコン政権はお上に逆らうもの、軍隊が出動しているところでウロチョロしている民間人は許さないのでしょうか。

やりきれない気分をいくぶん和らげてくれたのが、パウエル氏です。
今朝主人に教えられて、“Interview on Tokyo Broadcasting System International with Shigenori Kanehira” を読んできました。
さすがにブッシュ政権唯一の中道派です。
「テロリストに屈してはならない」が、「リスクを承知で飛び込む者がいなければ、我々は進んでいけない」。従って、「日本国民は彼らを誇りに思いこそすれ、咎めてはならない」。
イラクをベトナム戦争と比較された時は焦点をぼかしていましたが、未来を見据える目は確かでした。

仮に目的を「イラク支配」としてみましょう。
まず、第一のやり方。
軍隊を出動させて、抵抗する者とその周囲にいる者は皆殺しにする。
降伏したものにはライフラインを復旧してやる。
勿論、それをやるのも軍隊です。軍隊しか来ていないんだから。
イラクの人々が完全に無気力になるまで、恐怖統治を続ける。
それから、第二のやり方。
軍隊は突き進んでいくし、抵抗する者とその周囲は殺す。
しかし、民間人もチョロチョロして、ボランティア活動や取材をしている。
イラクの人々には、国家の顔も見えるけれど、等身大の人間の顔も見えるわけです。
第一のやり方は効率よく見えるでしょうが、憎悪とテロを増大させるおまけ付きです。
どちらが賢いか、お分かりでしょう。

国家責任を負う中心的な立場は大変です。
時々刻々と変化する状況に、適切な判断を下さなければならない。
臨機応変で、しかもある程度遠くまでの未来を見越した判断でなければなりません。
脊髄反射で済ませるわけにはいかないのです。

××××氏じゃなくて××××氏が〇〇〇だったら良かったのに、と思うのは私だけ?


4月18日

正直な反発

今朝もまた物騒なニュースで目覚めました。
イスラエル軍がハマスの新しいリーダーを車ごと爆殺したということです。
イラクで理不尽な状況が続いている間にも、イスラエルも休むことなく侵略を進めるつもりなのでしょうか。
それにしても、ネオコンはどうしてわざわざ反発を買うようなことをするのでしょう?
私にはわけがわかりません。

ブッシュ政権が倒れ、ケリーが大統領になってもアメリカの戦略は変わらないだろうと言われます。
共和党も民主党も目指すところは変わらないというわけです。
ただ、その手法はあまりにも違う。
共和党が「かかってこい!」と露わに意思表示して敵を作っていくのに対し、民主党は搦め手で攻めます。
ある意味、共和党政権は正直ですね。

そこで、戦後「天皇制」に手を付けなかったトルーマンはどっちだったのか、気になりました。
主人に聞いてみると、民主党だということでした。
今まで、私は全然違った理解をしていたようです。
真っ正直に野心を表明して、反発されることを厭わないのが、共和党・ネオコン。
野心はとりあえず隠しておき、自分の望む方向に誘導するのが、民主党・中道派。

ということは、日本の民主党が「自民党とあまり変わらない政策」と正直に告白して失敗したのは当然でしたね。(らしくないから。)
同様に「自衛隊は戦闘地域に行かない」と派兵を決めた自民党のやり方も「らしくない」と思いました。


4月15日

人質事件の報道に接して

北朝鮮の拉致事件でも感じることですが、犯罪被害者の肉親はどうしても矢面に立たなければいけないのでしょうか?

やむにやまれぬ気持ちはあるでしょう。何か行動したいかも知れないし、目の前のインタビュアーの要求を断るのがいけないことのような気がするかも知れません。
勿論、人間に訴える時に、感情のほとばしりは大事な要素でしょう。

ですが、そのほとばしる感情を論理に組み上げなければ、人は説得されません。
感情に流されてはならないのです。
まずは肉親を取材するのは「絵になるから」でしょう。
まさか、感情を抑えて論理的に訴えることを期待しているとは思えません。

自分の子が営利誘拐されたと考えてみましょう。
犯人側の要求である金の算段は一切せずに、真っ先に警察に通知できる親がどのくらいいますか?
ドラマですら、そのような親は描かれません。
私もダメです。考えただけで半狂乱になりそう。

事件の発生直後に関係省庁の誰かが「全力を尽くします」と言ってやる(少なくともこれはウソじゃない)。
肉親はとにかくそっとしておく。それでなくても憔悴しているのに、追い打ちをかけない。
肉親は、本人がどのような覚悟で彼の地へ渡ったか、ある程度聞いているはずです。
その上で、第三者(民間人)が請願なり運動なりの団体を起こしていく。
それなら、論点がずれていったりぼやけたりする確率はぐっと低くなります。


「ぼやけて」に関してもう1点。
自衛隊は、無条件降伏を呼びかけるビラよりもずっと有効です。
ビラに書いてあるだけでは真偽のほどは分かりませんが、現にアメリカ軍の協力で日本軍が来ているのです。
おとなしく降伏すれば、お金持ちの日本軍が助けてくれるはずなのです。
それなのに支援が止まるのは何故?
相変わらずアメリカ軍に降伏しているのに、支援は最初だけだなんてあんまりです。
……とサマワ市民に問われたら、どう答えましょう?
彼らにとって、私達は戦争当事国(第2当事者くらいでしょうが、当事者には変わりあるまい)の国民ですから、答えねばならないでしょう。

解放? よかった! おめでとう!

4月11日

日本人男性へのエール PartU

テレビ画面の中で、ラムズフェルド氏が答弁の最後を“appreciate”で結びました。
私は聞き流してしまいましたが、主人が聞き留めました。
「日本の英語教育では習わないね」とコメントされて、ハッとしました。
そういえば、英語の教科書に出てきたスピーチ文の締めくくりは“thank you”でした。

欧米が、案外厳しい階級社会で、性差別や民族差別が著しいことは知られています。
知識としてはありますが、「民主主義発祥の地」であるためにリベラルなイメージが強いのです。
欧米を引き合いに出して、自分(日本人)の主張の裏付けとする手法は、未だに散見します。
効力があるかどうかは別にして。

アメリカ社会の場合、「サクセス」に至上の価値を置いています。
ある人が、才能や幸運、人脈や機会など、ありとあらゆるものに恵まれて、階級を上昇させていったとします。
そうすると、彼は上昇した階級に合わせて、身につけるものや持ち物、立ち居振る舞い、話し方までも変えていくのです。
下層にいた頃のことなど、なかったがごとしです。
日本人でそれがみごとにできる人物と言えば、……豊臣秀吉!

豊臣秀吉が偉大な人物であることに、異論を挟む人はいないでしょう。
しかし、彼が好きか、嫌いかということになると、話は別です。意見はかなり分かれてしまうのです。
一方、彼の北の方おねなら「嫌い」という人にはまずお目にかかりません。
彼女の政治力もさることながら、やはり魅力はその人柄。夫が天下人になっても、三河弁丸出しだったと言います。
ファーストレディが足軽の妻と同じ調子で話す……
日本人には大変好ましく映りますが、(ワシントン大統領の時代ならともかく)現代のアメリカ人の目には「ファーストレディのくせに軽々しい」と映りそうです。

ヨーロッパに行って、信じられない体験をした人もいるかも知れません。
格式の高い店の店員が、東洋人の入店を断る場面です。
どうやら彼らの常識では「有色人種=召使い」であるらしいのです。
大変親切な様子で「あなたが入れる店じゃないから」なんて言うかもしれません。
気の強い現代日本人女性なら「私は日本のマダムですよ」と威厳たっぷりに言い渡すことでしょう。

同じことを日本のデパートやレストランがやることはありません。
高級料亭で「一見さん、お断り」ということはありますが、「紹介者がいること」というルールの前には誰もが平等です。
もし、見るからに外国人だからという理由でデパートからつまみ出される場面などあったら、周囲の日本人もそのデパートを不快に思うでしょう。

欧米文化のベースにあるものは、決してアジア文化のベースよりリベラルだというわけではありません。
欧米だから「いい」、欧米だから「正しい」、欧米だから「日本より進んでいる」、欧米でもやっていることは「差別ではない」という論調に出会うたびに、呆気にとられます。
まだ、あったんですか?

以前、日本人男性の「レディファースト」の心地よさを語りました。
未成年の頃、私は欧米の男性の「レディファースト」に憧れ、欧米の女性が羨ましいと思いました。
20代では、それは「こそばゆい」と感じました。自分でできることは自分でやるから、と。
30近くなってきて、自信が出てきたあたりから、欧米流「レディファースト」は薄気味悪くなりました。
やはり、ロードレースの時だけ さりげなく 風よけになってくれる男性にグッときますね。
……歩く時まで手を引いてくれなくてもいいよ。というか、やめて。
一人で歩けないほど「か弱い保護すべき対象」ではないのだから。

大好きだ、日本人男性! (でも、見ず知らずの女性の身長を云々するのはやめてね。←しつこい)


4月9日


Yes か No か?

昨日の朝、アメリカ軍によるファルージャのモスク爆撃が報じられました。
カザフスタン政府は軍を撤退させ、日本は残しました。(日本国内では「自衛隊」と言いますが、ややこしいので「軍隊」で統一します。)
今朝、3人の日本人が過激派と見られる組織に拘束され、人質となっていると報じられました。

彼らは「日本政府が撤兵させなければ、人質を焼く」というのです。
報道では「焼く」ではなく「殺す」と表現していますが、やはり「殺す」ではなく、「焼く」のです。
イスラム教徒でなくても、「アメリカ軍と共に在る者には神罰を下す」というメッセージを読みとれます。

しかし、人質とされた方々は日本政府の関係者ではありません。
日本の財産と言っても良い、民間の方々なのです。
この時期にイラクに渡って行かれたのだから、素晴らしく勇敢な方々です。
ということは、拉致した側が問題にしているのは、「どのような目的で来た、誰か」ではありません。
あくまでも「敵国の人間なのか、味方の国の人間なのか、無関係な国の人間なのか」だけです。
日本政府への要求も「敵(アメリカに盲従)か、それ以外か」を問うているのと同じ事です。

ところが、日本政府の答弁はそこからいちじるしくずれています。
「善意なのだ」と強調するのです。
彼らは日本軍が来た目的など聞いていません。彼らからすれば、「はぐらかされた」「不誠実だ」となりませんか?
以前のブッシュ大統領の「かかってこい!」なら文脈として正しい。
「Yes か No か?」と聞かれたら、どちらかを答えなければならないのです。
Because で答えたら、中学生なら答案に×をもらいます。

その答弁を聞いている日本国民としてもとてもつらかったのですが、質問にまともに答えないやり方が理解されることは少ないのです。
現にオーストラリア政府は「アメリカにどこまでも従う=敵だ。かかってこい!」と翻訳しました。
「お上のやることだから仕方がない」と諦め、絶望してきた国民ですから、日本政府は国民に叱られ慣れていない……
そのことも、国際的に理解されることのない七色答弁をさせた土壌だったと思います。

最後に、人質にされた方々のご無事をお祈り申し上げます。


4月5日

長生きしましょう!

平凡ですが、金さん銀さんの大ファンでした。(勿論、今でも好きです。)
年齢を重ねても、満ちあふれていた生命力が何ともキュートで魅力的でした。
でも、それ以上に「辛いこと、苦しいこともたくさんあったけど、長生きしたお陰で良いことに巡り会えた。長生きして良かった」という趣旨の発言をなさった時に、金さん銀さんが私の「憧れの人」になりました。
是非、100歳まで生きて、同じ事を言ってみたいです。
「大人の方は『ハラスメント』という外来語を使っていたけれど、要は大人も子どももイジメに励む嫌な時代が長かった。長生きしたお陰で、『個人を恣意的に押しつぶそうとする行いは卑劣だ』という社会認識ができた時代を生きられた。長生きして良かった」

過ぎ去ってしまった時代を美化する傾向のある人がいます。
「古き佳き時代」という言い方が時々なされますね。
ジョン・ウェインが女性と話をしなかったり(ベッドには行きましたが)、マリリン・モンローがスカートを捲り上げられてきゃあきゃあ言ってた頃でしょうか。
それとも、もっと昔、日本では東京のど真ん中でしんとした大邸宅があり、寒村に縦穴住居に住む人がいた頃でしょうか。

懐かしそうに、子どもの頃の「やんちゃ」を語る人がいます。
中には「それは犯罪だろう」というものもあります。
彼らの話は「若い頃はさんざん悪さをしたが、今はこんなに立派になった」というところに落ちるのです。
私も、声が大きく乱暴そうなおじさんが怖いので言えませんが、おじさんの気まぐれの犠牲になった被害者達が被害に遭わなければ、おじさんよりもずっと社会貢献したかもしれないのに、そんな可能性は論じられません。
「女」や「腕力の弱い男」が、腕力任せの男以上の功績をあげうるとは考えられないのです。

「古き佳き時代」とは、「佳き時代だったからおさまっていた」のではなく、「強者が二重にも三重にも護られていて、弱者の反撃を許さなかったから、社会の暗部が知らされなかった」だけと心得るべきです。

21世紀にもなって、強者は特権に縋りつきます。
ハラスメントもイジメも、被害者が廃人になるまで、もしくは被害者がその危険を感じて自らドロップアウトするまで、執拗に繰り返される攻撃をいいます。
中には「痴漢行為」「恐喝」「恫喝」といった類の、立派な犯罪行為があります。
それらは「ハラスメント」ではなく、はっきり「犯罪」と表現すべきだと思いますが、どうでしょう?
さらに「ハラスメント」すら「いやがらせ」と訳したのは誰でしょう?

被害者の泣き寝入りを確信した上での犯罪、ハラスメント、イジメ。
こうした、弱者が反撃できないように、弱者を弱者の枠に閉じこめておこうとする策略はいずれ滅びます。
少なくとも、「イジメ」を積極的に推奨する親は激減しているはずです。(昔は「イジメ返してこい」という親がいましたねえ。)(今でも「イジメられるよりはイジメる方が安全」という消極的推奨派はいますが。)
滅びますとも。滅びるともさ。滅びろー!

100歳になるまでに、「滅んで良かった」と言いたいな。


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