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お行儀が良い現代人 先回りして大人のご機嫌を取る子ども 「いきすぎたジェンダーフリー」って何? セカンドオピニオンは大事

4月1日

お行儀が良い現代人

今年の桜は早かった。
しかし、私が住んでいるこの地域では満開がちょうど週末と重なり、多くの人々がお花見を楽しめた。
ほとんど白からチェリーピンクまで、そろそろ散り始めからつぼみばかりまで、同じ神社の境内にある同じ種類の桜の木でもこんなにも多様なのものかと感心する。
ずらりと並ぶ露店が扱うのは食べ物ばかりだ。
亀やひよこや金魚はお祭り限定のアイテムだったのだろうか。

こうした風物詩にはかつては酔っぱらいがつきものだったように思う。
ご機嫌な酔っぱらい達は内輪で盛り上がり、関係のない人々は肩をすくめて足早に立ち去ってしまう。
「関係のない人に迷惑を掛けるな」などと無粋な注意をする人はいなかった。

お酒といえば、私の同年代や年上の女性達はお酌が上手だ。
水商売の女性でなくても絶妙のタイミングでお酌ができる。
お酌が上手にできない私は、若い頃とても肩身が狭かった。
今気にしないでいられるのは、若い女性達が私に負けず劣らずお酌下手だからだ。
それに呼応しているのだろうか、男性も若くなるに従ってお酒に飲まれる人の割合が激減する。

現代人は本当にお行儀が良くなった。
お酒を飲んでいさえすれば、たいていの傍若無人な振る舞いは許される…世の中ではなくなった。
もちろん肩身の狭い思いをしなければならない昔に戻りたいとは絶対思わない、
もっと後から生まれたかったとは思う、少なくとも古き佳き時代を子どもでやり過ごせて良かった。
けれど、時々、現代人は他人に厳格すぎる、ちょっとは大目に見てやってもいいんじゃないか、
などと思ってしまうのは贅沢すぎるだろうか。

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4月11日

先回りして大人のご機嫌を取る子ども

中学に入学したばかりの頃だ。
クラスの生徒2人がなんらかの校則違反をした。
担任が生徒達に彼らの処遇をどうすべきか投げかけた。
生徒達は、少年の1人A君を無罪放免、もう1人B君を厳罰に処すべきだと答えた。
A君は普段の素行に問題がない子、B君は問題行動の多い教師に嫌われるタイプの子だった。

生徒達の間でA君とB君の人気の差はほとんどなかった。
もし「班」で対抗戦をするならB君よりA君を歓迎するけれど、普通に遊ぶ分にはなんら問題はなかったのだ。
「生徒達が自主的に差を付けた処遇を申し出ることは先生を悦ばせるはずだ」と確信していたからこその返答であり、B君に恨みなどがあったわけではないのである。
当事者のB君ですらその決定を当然のことと受け止めていた。

が、私たちの担任は私たちの見込みよりもずっと高潔な人物であった。
彼女は子ども達のこすからいご機嫌取りに怒りを以て対したのだ。
すなわち、同じ行為に対して差を付けた処遇を望む卑しさをこっぴどく叱られた。
小手先のご機嫌取りが通用しない大人がいるということを思い知らされた日だった。

このときはすっかりアテが外れたのだが、それまでの12年間の人生で私たちは十分学習していた。
大人達が何を望んでいるのか、子どもがどう振る舞えば悦ぶのか。
そして、子どもが大人の隠された要求を熟知してることは表に出さず、無邪気っぽく正直風を装うことの大切さも心得ていた。

現代の子どもがどうなのかは分からない。
が、自分の経験から考えて、子どもの本質がそうそう変わるとは思っていない。
私自身は子どものアテを外させる大人でありたいと思っている。

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4月18日

「いきすぎたジェンダーフリー」って何?

文才のある人のブログは面白い。
いくつかのブログのファンになり、毎日チェックをしている。
それらを回るうち、私は「左翼」だの「右翼」だのという言い方がすっかり嫌いになった。

「右翼」いうところの「左翼」とは自らを中国政府と同化させてしまっている精神異常者のことだし、「人権派」とは犯罪加害者を擁護するために犯罪被害者に二次被害を与える人を指すらしい???
一方で、「左翼」は権力に阿りカネに汚い者までも「右翼」認定してしまっているようだ。
二二六事件にて決起した青年達が「右翼」ではないのだろうか。
それぞれの定義がかけ離れているので、対話は成立しない。
決して理解されない罵詈雑言をぶつけ合うのみである。

定義がかけ離れていると思われるもののうち、絶望的なものの一つが「ジェンダーフリー」だと思う。
「旧来の性別役割に拘らず、自分の個性や才能・能力に従って職業選択をしましょう」という趣旨だと理解しているのだが…。
私の理解ではこうなる。

図
男性の集団をブルー、女性の集団を赤の正規分布で表してみた。
旧来は水色のゾーンに属する男性とピンクのゾーンに属する女性のみが認められてきた。(男性が男性役割に比較的肯定的であるのに対して、女性は息苦しさを感じる割合が高い様子なのでピンクのゾーンを狭くしてみた。)
ジェンダーフリーの考え方はこの領域全部まとめて認めるようにしましょう、ということだろう。

実際に生きている人間にとっては「何を今更」な話じゃなかろうか。
どうせ働くなら(そして選べる状況にあるなら)自分にあった職業が良い。
適性のある人が一緒に働くならば、男の職場にやってきた女性や女の職場に飛び込んだ男性は職場に活気をもたらす存在になりうる。
職業でなく恋愛ならば、蓼食う虫も好き好き、
最近ならば意思表明一つできないピンクゾーンの女性や相手の言うことに聞く耳をもてない水色ゾーンの男性よりも、共に楽しむのが得意な白ゾーンの男女の方が人気が高いのではなかろうか。

私に言わせれば、現代で職業を選べる状況にある人の職業選択基準を追認しているだけのシロモノだが、「行き過ぎたジェンダーフリー」というものが存在するらしい。
たとえば、旧来の男(女)職業にすばらしい適性を持つ女(男)性を社会的に抹殺すべきだ、という信念をお持ちの論者かと思いきや、全然関係のない学校教育の話をしていたりする。
これはだめだ、定義が違う。
「ジェンダーフリー」といいながら全く別の話をしているのだ。
「左翼」「右翼」に続いて「ジェンダーフリー」も嫌いな言い方になってしまうかもしれない。

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4月26日

セカンドオピニオンは大事

ある経済誌で保険についての特集を組んでいた。
年齢・性別はもちろん、就業状態や既婚未婚の別、資産状況なども提示して、それぞれのケースについて各保険会社にモデルプランを組ませるという丁寧な特集だった。
資産運用や保障について複数の専門家(FP)がそれぞれのケースについて解説していて興味深かった。
専門家といっても意見はかなり食い違うものである。
私も反対の意見を持つ箇所があった。

「若い人には将来の保険料が上がることのない終身タイプの医療保障を勧める」という意見である。
私は逆に、若い人は更新できる有期タイプ、年配の人には「更新できない!」心配をしなくて済む終身タイプを勧めたい。
というのも、我が家で一番最近の入院といったら、10年前当時1歳だった娘のインフルエンザである。
1ヶ月ほどの入院になり、入院給付金をもらった。
その契約内容は「20日以上の所定の入院について8日目から給付」となっている。
現在は入院日数がたいへん短くなっていて、今後もさらに短期化していくだろう。(小児科の場合そもそも入院できないかもしれない。)
こうした状況に合わせるように、現在の医療保険(医療特約)は「日帰り入院にも対応」か「1泊2日から対応」となっている。
幸い手術給付はもらったことがないのだが、これも「所定の」手術である。
「内視鏡手術には給付、カテーテルでは給付しない」や「入院を伴う場合のみ給付」や「保険診療に限る」などの条件だろうか。
これもその時の医療技術や公的保険制度に合わせた内容になっているはずだ。
保険商品はあくまでも契約だから、医療技術の進歩や公的保険制度の変更によって内容を変更してくれるわけではない。
(内容は適宜変更し、変更しても保険料は不変、という契約なら話は別だが。)
若い人が保険を必要とする期間、医療技術に目立った進歩がなく、公的保険制度が不変であるとは考えにくい。
加入時には適切な内容だった保険が「保険料は安いけれど内容が古い」ものになってしまったら、(健康なうちに)その保険は解約して新しい内容の保険に加入し直すことになるのではないだろうか。
年配の人にとっても同じく「内容が古くなってしまう」危険はある。
しかし、それ以上に「健康を損なってしまったので、保険会社の方で新しい内容の保険に加入させてくれない」可能性がある。
加入できないよりはだんだん古くなっていく方がマシだと思う。

ひとくちで「FP」といってもその守備範囲は広い。
「金融資産運用設計」「住宅資金設計」「教育資金設計」「不動産運用設計」「保障・補償設計」「タックスプランニング」「リタイアメントプランニング」「相続・事業承継設計」の8分野を手がけるのだ。
だが、実際には各人の得意分野不得意分野が存在するだろう。
金融保険分野のセカンドオピニオンは大事だと思う。

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