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6月2日

正しい逃亡

昨年、『モラル・ハラスメントが人も会社もダメにする』(マリー=フランス イルゴイエンヌ)を読んで感銘を受けた。
モラル・ハラスメントとは日本語で言うところのイジメである。
イジメの中でも証拠を残さない(言葉や態度による威圧を手段とする)最も陰湿な類だ。
この著作の中でイルゴイエンヌは加害者に共通点があることを断言している。

イジメ問題について。
昭和の時代は「いじめられる方に問題がある」とされた。
学校でのイジメが問題視され始めた頃、現役の女性教諭がTVに出演して「いじめられるのは成績が良くても生活がだらしない子だ」と力説していた。
とはいえ昭和の末期にもなるとさすがに、被害者に短所があるから虐待されても良い・加害者にも長所があるから嫌がらせをしても良い…では説明になっていないことに気が付いたのだろう。
今度は「どのような子がイジメに遭うのか」が検証された。
すると、成績のよい子と悪い子・運動能力の高い子と低い子・芸術センスのある子とない子・身長の高い子と低い子・肥満気味の子と痩身の子・目立った特徴のある子と目立たない子…まったく一貫性がなかったのだ。
そして、我らが日本の評論家の出した結論は「最近のイジメは(昔と違って)陰湿である」だった。

被害者に共通項が見つからないなら、加害者の共通項が検証されても良かったはずだが、ほとんどそれはなかった。
わずかに「元被害者が進学先で(イジメの技術導入をして?)加害者になった」例や、家庭環境などに問題のある分かりやすい加害者の例を聞いただけである。

ジコセキニン流行りの現代ならともかく、なぜ被害者の自助努力でのみ解決を図ろうとしたのか。
被害に遭わないための処方箋を書くことが不可能だと分かったとき、なぜ他のアプローチを試みようとせず若年者批判だけで終わらせてしまったのか。
が、当時は私自身も含めて、どのような言動をしてもイジメは唐突に出現する事実に愕然としただけだった。

イルゴイエンヌは「モラル・ハラスメント」という言葉を作り、誰もが思い当たるが曖昧させておいた問題を顕在化させた。
被害者はもう「私の何がいけないのか」悩む必要はない。
加害者はイジメをせずには生きていけない人間なのだ、ターゲットを定めたら何が何でもイジメの関係に持ち込むのである。
イジメに遭わずに済む方法はない、しかし深刻化させない方法ならある。
加害者から逃げることである。
戦う必要はない、勝ち目はなく勝っても意味がない、愚かな勇気は不毛だと理解することだ。

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6月22日

ポジティブはやっぱりいいね

毎日公共交通機関を利用しているので、電車やバスの中吊り広告などを目にする。
最近マナー広告のレベルが上がったと思う。
かつてマナー広告と言えば、「○○するな」と禁止をうたった文言があり、図やイラストもやめてほしい(避けてほしい)行為を表現していた。

数年前から見る日本バス協会のマナー広告の場合、一番大きな文言は推奨される行為についてだ。
イラストの人物は笑顔であり、彼らがマナーを守って乗降していることが分かる。
禁止の文言は人物の台詞として、ふきだしの中に封じ込められているが、むしろその理由の方が強調される。
「○○するな」という禁止より「お互いのために××にしましょう」という呼びかけの姿勢だ。

JRのマナー広告も(公募した川柳などは別にして)、禁止事項や一般乗客の不快感を表現したものから、推奨される行為を表現したものに変わってきているように思える。
朝から不快な(苦笑しかできないような)図を見せられるよりずっと良い。

最近マナー広告がネガティブ路線からポジティブ路線に変化したのはなぜだろう。
ネガティブな広告はその時のインパクトこそ強いものの人に行動を促す力は弱いのかもしれない。
それに対してポジティブな広告は持続力があるのかも。

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