「はじめてのお友達」


東京に転勤になって、あっという間の4年だったように思う。
中野は九州に就職が決まり、一人息子の裕太を連れて行った。
凄い人だと思う。深谷にはとても追いかけられなかった。

「良い職場」だと言ってきたが、4年間、良いことずくめではなかった。
男子社員は苗字に「クン」付け、女子社員は名前に「チャン」付けで徹底している上司とはしばしば言い争った。
彼は
「女の子は結婚して苗字が変わるんだから、名前で呼ぶのが合理的だ」
と言い張る。
深谷は言い返していた。
「私は結婚することはないので、苗字で呼んでください」
だが、彼の流儀は何と言おうと改まることはなかった。

その間に深谷には仲の良い男友達ができた。
「この人が女だったら良かったのに」
初めてそう思った。

松川伸一は自称160cm、実際は159cmの好青年だ。
大学院の修士課程を終了して就職した。
深谷よりも3歳年下である。
職場環境が良かったからだろうが、小柄で年下の松川とはどんなに仲良くしていても「噂」にはならなかった。

何人か男友達はできたものの、軽口を叩き合っただけ、食事に行っただけ、宴会の後少々付き合っただけのことで、すぐに「噂」がでた。
出所は知らない。
善意かも知れないし、悪意かも知れない。
ただ、どちらの思惑であったとしても、特に恋愛を意識していない男性と、恋愛の噂を立てられるたびに、深谷は2度とこの人に深入りはすまいと決心してしまう。
事務以上の口を利くのも嫌になってしまうのだった。

相手が思いも寄らない人物であっても、「いい人だ」と思った人物であっても。
噂を立てられた何人かが結婚した。
彼らが結婚指輪を付けて始めて、深谷は以前のように話ができるようになった。

週末は恋人同士であふれかえる。
だから、松川と一緒に「ご飯食べようよ」と誘うのは大抵月曜日だった。
「恋愛」的なものは悉く遠ざけた。
今や無意識にそれができるようになっている。

快適だった。

楽しかった。

将来の不安を言われるたび笑い飛ばして、ただ満足だった。
手応えのある仕事があって、気の合う男女の友達がいて、遠く離れてはいるが中野は元気だ。
年金型保険も手抜かりないし、預金も日本の銀行と中期国債、それにドル建てでの預金もある。
帰京した時に会う元同級生達、「できちゃった」結婚をして、何の計画も覚悟もないまま生活に追われて、まだ30目前の若さなのに深谷より10は年上に見えるほど老け込んだ彼らに、深谷よりも安定した老後がやってくるとどうして保証できるのだろうか?

まだ「結婚する自分」を考えているに違いない松川に話すことではないと思うが、深谷は一人の老後についてぽつぽつと話すようになっていた。
「不安なんか無いわよ。実家に帰って元友達を見かけるたびにそう思う。楽しいよー。男の人の前でブリッコしなくても良くなったんだもん」
「俺、別にブリッコって好きじゃないけど」
「変わり者! もーう、松川クン、大好きっ。モテる? モテモテでしょう?」
「全然。松川クンっていい人ね、で、おしまい」
「見る目のないオンナと付き合ってるなあ」
「つきあってないんだって」
「あ、そーか。でも、キミはこれからが有るじゃない」

若い頃は、自分では自由なつもりだったが、後になって振り返れば、やはり男性の前では少しでも「小さく」見せようと努力していたように思う。
30を目前にして漸く「スミマセンが、大きいんです」と言えるようになったと思う。

身長だけの問題ではない。
学歴も、職場でのポジションも。

深谷の「恋愛お断り」「結婚お断り」もどちらか片方は認められるようになったとも思う。
「他人」は結婚お断りについては問題ないが恋愛は義務だと言う。
逆に親戚連中は、恋愛しなくても差し支えないが、結婚は義務だと言うのだった。


いつだったか、酔っぱらって、相性を見てもらったことがある。
占い師は
「良い相性です。彼はあなたをしっかり守ってくれますよ」
と励ましてくれた。
耳障りは悪くない。
ただ「守ってくれる」は、あまりにも珍妙な感じがして、酔いが一気に醒めてしまった。

「ネタ」として松川に教えてやろうかと、3〜4日も悩んでしまった。
結局、そんな「ネタ」で笑い合って何らかの意味があるとも思えず、話すのはやめておいた。

唯一本当に「友達」だと言える男なのだ。
しかも、深谷以外の人間までそれを認めてくれるという。
(異性は「恋人」たるべし、「友情、赦すまじ」という信念の人は男女を問わず多かった。)
その貴重な友人を、奇妙な疑似恋愛で失いたくなかった。


松川に「噂の女性」ができた。
事務職の、短大卒の女性である。
深谷の義妹の絵里香とどちらが小さいだろうという程の小柄な女性だから、松川と「お似合い」だった。

松川と彼女が一緒にいたところを通りかかった。
「頑張れー」
というつもりで会釈して通り過ぎた。

こういうことは悩んでしまう。
今まで通り松川を食事や飲酒に誘って良いのだろうか?
深谷は戸籍上は「女」だが、少なくとも松川と遊ぶ時は性別がない。
松川もそれは承知している。
だから、彼も「男」を取っ払って遊んでくれる。
問題は松川の恋人だ。
松川に中性の友人を許してくれるだろうか?
わからないうちは安全な方、すなわち松川にことさらよそよそしくする方を取ることになる。
松川も歩調を合わせるように、深谷と距離を取るようになった。
「恋愛の邪魔をせずに済んだ。よかった……」


松川と伊藤友佳子がデートをしていると噂されるようになった。

事業所全体の新年会の後、なぜか深谷と伊藤が同じ喫茶店で鉢合わせた。
2人とも、酔い覚ましにコーヒーを飲んで帰宅しようと思い立ったのである。
顔見知りだ。
無視するのも奇妙だ。
深谷は会釈し、伊藤が相席に座った。
「伊藤さん、この近くなんですか?」
「はい。深谷さんも?」
「電車に乗って帰るんですけど、車内で寝ると困るから……」
「お一人でしたものね」
「気楽でいいですよ」
「私は家族と一緒です。早く独立したいんですけど、なかなか外に出して貰えなくて」
「結婚…して出るのが、一番角が立たないと思います」
「あはは……。相手がいません」
「………」
「それにまだ実感湧かなくて」
「23?でしたっけ」
「先月24になりました。でも、まだ遊んでいたい。友達もまだ誰も結婚してないんです。みんな、30までには結婚したいから、29歳が結婚ラッシュになるんじゃないか、って言ってます」
「今、そんなものなんだ? 私の同級生は25までって言ってたよ」
「わぁ! 早すぎます。それじゃ全然遊べないし、お金だって無いじゃないですか」
「若い人はいいなあ」
「深谷さんだってまだ20代でしょう?」
「最後のトシです」
「私だったら、まだ頑張ってるな、きっと」
「は?」
「だって、見苦しいじゃないですか? それまでいっぱい遊んで、相手の男の人にもいろいろ条件付けておいて。30になるから焦って結婚だなんて、ばっかみたい。そんなマネするくらいだったら、最初から男なら何でもいいって漁ってればいいんです。その方がまだ筋が通ってるってものでしょう? 私、そんな風に見られるのは癪に障るから、29歳でだけは結婚しない。30になってからゆっくりって思ってます」
「29で結婚する気になったらどうするの?」
「待って貰います」
「徹底してるなあ」
「深谷さんは?」
「私は結婚できないから、考える必要なし」
「どうして?」
「相手がいない」
「男の人なんかいくらでもいますよ。現に、松川さんなんか深谷さんの親衛隊みたいなものですよ?」
「ははは……ばからしい」
「えー? どうして? 松川さんが小さいから?」
「………」
「だったら、取引先のブレイクモアさんは?」
「男嫌いだしねえ、あんまり考えたくないよ」
「女の人が良いんですか?」
「女子校出身だし」
「私もです」

伊藤が家族に電話をしているのを、不思議な感触で聞いていた。
本気で飲みに来るらしい。
確かに「面白い子だ」と思った。女の子だから、家に上げても構わないだろう。


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