河原では子どもらが二手に分かれて礫を投げ合った。
子どもらはいつでも戦の真似事が好きだ。
あくまでも真似事、長くても日が沈むまでなのだ。

その日も戦は夕刻まで続いていた。
最後の飛礫が下級役人の子に当たった。
しかし、彼が倒れたことは、敵方も味方もなぜか気付かず、散会になった。

少年は取り残された。
傷口にひんやりとした感触を覚え、跳び起きた。
一匹の小さな蛇が這い出し止まった。
少年と蛇は一瞬見つめ合った。
「うわぁ!長虫、長虫だっ!」
少年が我に返って騒ぐと、蛇はあっという間にどこかに姿を消してしまった。


「1・夢の男」


陰陽生になった頃から、しばしば夢に同じ男が現れるようになった。
見覚えのない男である。
枯色の髪は肩の上までしかなく、従って散髪にしている。
そのような人間を見たことはない。

夢の中でも、風綬は夜具を引き被って寝ているのだが、夢の男は傍らに座している。
どうしたわけか、この男がいる空間は心地よい。
先年亡くなった父を思い出すのかも知れない。

いつの頃からか、父のことを話し、婿を取ったばかりの姉のことを話し、陰陽寮であったことを話した。
男は、人懐こい笑顔を向けたり、心配そうに頷いたりしながら、いつでも熱心に風綬の愚痴を聞いていた。

風綬は時に涙を流した。
夢の男は驚いた様子もなく、先を促した。

10人の陰陽生の中で、風綬は特別に「出来が悪い」。
「なぜ、おまえがここにいるのか?」と、陰陽師からも仲間からも蔑まれることがしばしばである。
夢に男が現れると、風綬はそれをまず訴えた。
男が、風綬の頭か背中を撫でながら、優しく言ってくれることを知っている。
「おまえには神霊に通じる気が宿っている。誰もが持つものじゃないんだ。必ず才能が開花する日が来るよ、諦めずに待て」

本当にそんなものがあるのかどうかわからないが、夢の男はいつでも真顔だった。
風綬はだんだん本気にするようになった。

その頃から、夢の男は、風綬が泣いていなくても頬に触れるようになった。
警戒心は起きない。
何年経ってもこの男に夢の外で会うことはないのだから、自分に縁のある何者かなのだろうと思っていた。

夢の外ならば、身体に触れられるのも無駄口も嫌いだが、不思議と男の指の温かさが気持ちが良い。
見上げると、男の髪の色が少し濃くなったように思う。
その髪に触ると、男は嬉しそうに微笑んだ。
「この髪は通力でできているんだ。おまえに触れていけば、だんだん長く、色も黒くなっていくんだ」
「そうか‥‥」
そんな話は聞いたことがないが、この男の言うことであるから信じられた。

大雨の翌日には、男は必ず夢に現れた。
髪は真っ白になり、目の下は青黒く隈取られている。
それでも、男は風綬の話を聞いてくれる。
風綬の気が済むまで慰めてくれ、その後で頬を撫でるのだった。
こんなことでこの男が元気になるならお安い御用だと思った。
かつてはこのように乳母に慰められたに違いない。

男に触れられる夢を見ると、翌朝は奇妙な感覚がある。
身体に疲れが残っているのだが、決して不快ではない。
しかも、頭が冴えるのだろうか、つまらぬ間違いをおかさぬのだ。
仲間達は不思議そうに顔を見合わすのだが、抜群の劣等生が並の劣等生になったくらいのことだから、一瞬気にしてみせるだけである。
ただ、海覚という男だけが意味ありげに笑い、
「おまえにはお味方がいるようだな」
とカマを掛けてきた。

何年も夢で会い続けているのに、男の名を呼ぼうとして、彼の名を知らないことに気が付いた。
「龍だ」
少々照れくさそうに男が答えた。
「本来の覚醒ができないが、龍神なんだ」

龍であるなら、何年も同じ容姿であることに納得がいった。
大雨の翌日の衰弱ぶりは、彼が水を司るにまだ苦労をすることを示しているのだろう。
そういえば確かに風綬が子どもの頃よりも近所の川の洪水は減ったような気がする。
男は真面目な顔をして、向き直った。
「おまえを相棒に選びたい」
龍は真剣に申し出た。
龍が龍神として覚醒するために、風綬の気の力が欲しい。
風綬の通力を龍の「贄」として捧げて欲しい。
通力を龍に与えても、風綬の生命には別状はない。
ただ、やはり人間の身体への負担にはなるから、ぎりぎりまで空腹を我慢するつもりではいる。

風綬はふんわりと頷いていた。
相手は龍か。
どうせ夢の中の男だ。

「風綬……」
信じられない……と、龍は歓喜に沸いた。
勿論、何年もかけて風綬と信頼関係を築いてきたつもりだし、話すべきは話した。
正体も明かした。
それでも受け入れると、彼が頷いたのだ!

通力を持つ人間は滅多にいないのだから、陰陽生だといっても通力の与え方など知るわけがないだろう。
「……。風綬、力抜いてくれ……」

最初は何をされたのか、分からなかった。
触れられたところから一気に力が抜けていく。
混乱した。
そんなことは望んだ覚えがない!
ただ、すっかり馴染んだこの男にそうそう酷い目に遭わされることもあるまいと、彼がそう言うようになるべく力を抜いて、彼に任せていた。

しかし……この痛みは夢じゃない!

艶やかな檜皮色の肩までの髪が見えた。
それはかき消え、床を何かが這った。
風綬は手を伸ばし、それの尻尾を掴んだ。
「……長虫……」

放せよ、と頭の中に声が響いた。
人間体になるから、一旦放してくれ。
手にした小蛇を放り投げると、檜皮色の髪をした龍という名の人間に戻った。

「この姿は通力を使うのだが。……やっぱり痛かっただろうか?」
何を言われているのか、分からない。
「夢じゃ……なかった」
「は?」
「夢じゃなかったのか?夢じゃないなら……おまえ、俺の醜態をさんざん見ただろう?」
「……醜態?とは、何のことだ?」
「煩い!よくも、騙したな!」
「俺が騙したことはない!本当のことしか言ってない」

風綬の豹変に龍は困惑した。
彼が何を「騙した」と怒っているのか、さっぱり分からないのだ。

夢じゃない。

夢じゃなかった! この男に恥部を全て見られた。
「この……人でなしっ!」
「え?た、確かに、俺は人ではないが、嫌な言い方だなあ……」
悪態にもいちいち真面目に反応する龍に、風綬はますます腹を立てた。
「蛇野郎!帰れ!二度と俺の前に出てくるな」
「それはできない。もう契約を交わしたのだから、俺は生身の人間ではおまえからしか通力を貰えないんだ」
「それなら餓死しろ」
「俺は死にはしないが……。火と水を司るモノがいなくなるのも、お互い困るだろう?」
「他のヤツと結び直せ」
「通力を持つ人間など滅多にいない。何度も言ってやったではないか? 自信を持てという意味で」
「……それなら明日陰陽寮に連れて行ってやる。俺にあるくらいなら、他の連中ならもっと強力だろうからな」
通力の有無やその強さと、陰陽道の熟達とは別物なのだが、風綬がそれで気が済むなら、無駄な付き合いもしようか。龍は了解した。


脚も腰もいつもより重く感じる。
姉婿は車を使うが、風綬は馬を愛用していた。
馬ならば随身一人で事足りるからである。
夢でなければ、幻であったと信じたい昨晩の出来事であったが、現実である証拠に、風綬の胸には一匹の小蛇が張り付いている。

その日、風綬は龍と共に務めをこなした。
俺はこんなに優秀だったのだろうか?
風綬は自分でも戸惑っていた。
だが、龍にいいところを見せられて良かった。
勿論、心ならずも自分の無能加減は龍に打ち明けてしまった。
とはいえ、実在と知った今や、蔑みの目を向けられる自分を龍に見せたくない。

戸惑いは陰陽師や仲間達も同様だった。
ただ、海覚は柔らかな微笑みを浮かべ、風綬の胸元に丁寧に礼をした。
龍も風綬の懐で返礼するように動いた。

宮城を出てくると、龍が風綬の頭の中に話しかけた。
「そうそう通力のある人間なんかいないと言っただろう?」
風綬には意外な龍の結論である。
「おい。思うだけで聞こえるか?」
「聞こえる」
「本当にいないのか?」
「一人いた。おまえと同程度の強さだった」
「海覚か?他の連中は?何より、陰陽師は?」
「他の人間にはない。ただ、強い“気”を感じる。西の方だ、行ってみるか?」
「そんな体力は残ってない。誰の所為だと思ってる」
「手加減したつもりだったのだが。それに俺としては十分ではなかった」
「まだあるのか? 冗談じゃない!」
「冷たいことを言うな」
「西の方へは明日連れてってやる。そいつにおまえを引き渡してやる。どうせ、俺のじゃ弱いのだろう?」
「それはできない。それに、強いが俺好みの味じゃない。むしろ鬼が好む味だ……」

龍はまだ何かを言おうとしたが、折悪しく随身の少年が風綬の夜の予定を聞いた。
疲れが残っている風綬は早く帰って寝たいだけだ。
主人の答えを聞いて、少年は内心呆れていた。


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