「10・戦え」


淳良は後ろから摂津に抱きついた。ふわりといい匂いがする。
この日、威尊親王は父院の元に呼ばれており、風綬を伴にして出かけていった。人外の者共だけなら、小うるさい規則もない。
淳良は摂津が好きだ。親王が入れあげて振られたという白拍子よりも、きっとずっと美しいのだ。
「淳良、どうしたの?」
「術を使える摂津にお願いがあるんだ」

池の畔で龍と五郎が何やら怖い顔で話し合っていた。
「確かに神の妻を連れて行くことがある。だが、人の霊はそう長く保つわけではない。だから成仏させるんだ。真に連れ添える相手は神霊同士でしかない」
「ですが、100年は共にいるのでしょう?」
淳良が大声で2人を呼び、手を振ると、2人ともホッとしたように微笑んだ。
「淳良、頬に紅葉が付いてるぞ」
龍がからかおうとしたが、淳良はからかわれる前からふくれていた。
「龍に頼みがあるんだ。龍は術を使えるよな?」
「うん? 少々なら使えるが?」


威尊親王が帰ってきた時、淳良はいなかった。
「小僧はどうした?」
「バカなことを言うておったが、たぶん龍のところに行ったのではないかしら?」
「来た。何だ、摂津に断られたのか」
「龍も断ったな?」
「当然。ロクなことを考えないガキだ、あの野郎」
ふと五吾郎が眉根を曇らせた。
「まさか……小埜君のところでは?」

小埜君。
威尊親王にとっては、単なる頭の良い変人である。
風綬にとっては「御器文ちゃん」の真の考案者である。
人外の3人にとっては、その存在そのものが凶器である。


小埜君は淳良の話を親身に聞いていた。
「酷いわね。私はその思いつき、とても楽しそうだと思うわ」
「そうですよね、これだから頭の悪い連中は」
「仕方ないじゃない。いいわ、術に頼らず、人間の力でやってみましょう。器は適当なもので良いわね。この壷にしましょ」
「できるんですか?」
「底に餌、匂い付き。くびれ部分に淳良の通力……」
小埜川君はしばらくぶつぶつ言っていたが、
「甘いとかいう子の……汗でも血でも唾でも何でもいいから持っておいで」
「はいっ!」

その日、淳良は何事もなく帰ってきたので、皆は安心した。

誰かに「美味しい」と言って欲しい。神霊や鬼でなくても、物の怪でも良いとさえ思った。
だが、強い死霊が鬼になり、淳良と共にいるならその方が良い。
あの威尊親王が鬼にとってという限定付きながらも「美味しい」と言われるのが信じられない。
龍の奴、神霊としても高貴らしいというのも解せないが、それがなぜに風綬なのか?

夜行性の性を持つためか、御器文ちゃんは夜になると元気である。
逃げ出した御器文ちゃんを追って、淳良が思わぬ場所にいることには皆慣れていた。

その夜は十三夜の月が美しく、夏の終わりを感じさせた。
「風綬、風綬」
淳良は目当ての人を呼んだ。
「何だ?」
「御器文ちゃん、行かなかった?」
房の中に入ってみると、案の定、風綬は飛び起きた様子である。


数日後、淳良が足取りも軽く帰ってきた。
彼は何の変哲もない壷を持っていた。
何度かそれを耳元で振っては、にっこりと微笑む。
石段を登りかけたところで、また降りて祠の前に行った。

「我の結界に妖しい者が触れた!」
摂津が弾かれたように立ち上がった。
「五郎!龍にも手伝って貰おう、こんなにゾクゾクするのは初めてだ」
「ゾクゾク、ですか?」
「背筋が寒い。先に行くから、龍を連れてきておくれ」
「いえ、自分が行きます。御前が龍といらしてください」
有無も言わさず、五郎が飛び出した。


淳良は壷を祠の前にかざした。
「見よ」
笑顔は絶えない。

夕闇が迫っていた。
百済はおそるおそる顔を出した。
嫌な予感がしつつ何かと尋ねると
「何が入ってると思う?」
と振ってみせる。
音はしない。
だが、死霊の彼には、中から「うお〜」とか「うう……」とか呻き声のようなものが、洩れ聞こえるような気がする。
「……まさか……」
百済は言葉を失った。
「巫蠱って術知っているか? 一つの壷の中に虫とか、蛇とか動物とか入れて共食いさせて、最後に残ったモノを使うのだそうだ」

それは、摂津と龍が一喝しているのを聞いたから、覚えはあった。
術に頼らず、人間がそれを作り出すとしたら?
その危険人物は淳良の最初の主人であった。
「俺は嫌だ!」
百済は上擦った声で叫んだ。
「……まだ何も言ってない……」
「俺に入ってくれなんて言うんじゃないのか?」
「言わないよ。言う前に入って貰うから」
淳良の手が壷の蓋にかかった。


淳良の手が取り押さえられた。五郎である。
壷は摂津岡の手に収まった。
「妖しい者の正体はそれか、摂津?」
「正体不明だけどね。人間が作ったものだから。でも、この人間は人間じゃないよ」

淳良はしばらくこの様子を見つめていたが、やがて自分の計画が潰されたことに気が付いた。
「なんで……」
「百済だけじゃなくて、ここにいる誰が吸い込まれてもおかしくないような怪しい壷の蓋を、簡単に開けるなっ!」
追いついてきた風綬が一番怒っていた。
少しは反省したかと思ったが
「みんなが中に入ったら、誰が生き残るんだろう?」
壷を未練げに見詰めて、淳良は呟いた。
「そういう悪い事を思いつく頭はこの頭かー」
壷を風綬に預けて、身軽になった摂津は淳のこめかみを強く押した。
壷を持たされた風綬は顔を引きつらせている。
「でもって、悪い事ばっかり言う口はこの口かなー」
「ふひ〜〜〜〜〜」
ひとしきり淳良の顔を引っ張り、摂津は少年の額を弾いた。
「子どもの悪戯にしては質が悪いぞ」


小埜君が作製した巫蠱の壷もどき、名付けて「死霊ホイホイ零号」は親王の手から寺に移された。
前回の「物の怪合体フラフラ君」と合わせて、厄介な封印依頼に忙しくなった寺である。


HOME小説トップ第1回へ次へ

inserted by FC2 system