「18・愛しい人へ(後編)」


「龍はどうしたんでしょう?」
「主役だというのに、どこで遊んでいるんだ?」
「百済殿に探しに行かせましょう」
五郎がそう提案して石段を下りていった。

祠の中に百済はいない。
その代わり女車がやってくるのが見えた。
優衣君と尼君である。
彼女は百済と淳良が今晩は戻ってこられないこと、彼女達が名代であることを告げた。
「龍様は少々遅くなるけれど、戻るそうです。たはむれの会の皆さんと一緒なんですよ」

優衣君の言うとおり、龍は程なく帰ってきたが、百済と淳良は姿を見せなかった。

威尊親王はまたもや尼君に捕まって昔話を聞かされることになった。
親王が相手をしなければ、
「法親王様は今でこそ、こんなに落ち着いておられますけど、昔は……」
とやりだしかねない。


龍が摂津や五郎と共に消えた。
風綬にも気になっていたが、口には出さずにいた。
やがて、龍も摂津も目を赤くして戻ってきた。
彼らが戻ったところで、風綬は2つの杯を準備させた。
1つは親王から人間に回され、もう1つは龍から浅海の神霊と摂津に回された。
五郎は引っ込んでしまい、2度と宴に顔を出さなかった。

摂津から何度も「恨んでいない」とは聞かされた。
それでも、彼女を永遠の彷徨に引きずり込んだ呵責から逃れられるものでなかった。

「人間であった時から、人間であったことはない。それを思い知らせてくれたのは、おまえだ。感謝している。だから、おまえの望むまま、おまえと共に生きてきた」
今、自分と共に人間の霊界に行って、彼女は誰に会うのだろう。
父天皇も、母皇女も、同母弟の大津皇子も彼女を人間として迎えてくれるのだろうか?
豪族の一人に過ぎない自分の希望を受け入れてくれたのは、彼女に失いたくないものが何もなかったからではないのか。


宴会の後片付けを指示していた風綬は倒れ込むように戻ってきた。
抱きとめた龍も驚いている。
「すまない。俺がこういうことは本当に役に立たない者で」
「早く婿に行け。おまえに独り者は無理だ」
「はは……、いい相手がいなんだ。おまえこそ、ろくに女と付き合わなかったな。……ああ、そうか、俺の所為か。それももう終わるんだ」
大丈夫かな、でも今日しかないし……等と龍がブツブツ言っていた。風綬を放してからも、龍はしばらく考え込んでいた。
「何だ? はっきり言え」
風綬の方がしびれを切らした。
「おまえは極上の通力の持ち主だ。だから、俺の睨みが利かなくなったら、おまえをめぐって醜い争いが起こるだろうし、おまえ自身も危険だ。……おまえの身体の奥の、通力を作り出す機構を破壊する。……痛いけど、我慢しろよ」
「おまえが良いと思うように……しろ」

風綬に泣き叫ばれて、龍は狼狽えていた。
以前の相棒達については、死を看取った方だから、痛みの程度は想像もつかない。
オロオロしているうちに、風綬の方から龍の頭を抱え込んだ。

こんなに弱い通力では絶対無理だと思ったのに、なぜ俺は覚醒したのだろう?

以前の相棒達の方が遙かに強い通力を持っていた。
本人達もそれを自覚していて、それなりに修行をしていた。
誰とも交わらず、力を研ぎ澄ました者もいる。
それなのに、龍は相も変わらず覚醒しない者であり続け、150年の長きに渡って待たせ続けてきたのだ。

たまたま「もう少し」のところで風綬に出会ったのだと考えれば、合理的に説明が付く。
しかし、覚醒したばかりの神霊が、人間の霊を「神の妻」として連れてきてしまうことに辟易してはいたが、それが故有ることだとしたら?


摂津は優衣君の女車に同乗している。
親王と風綬は馬上だが、五郎と龍がそれぞれの馬を曳いた。
指定されたのは、偶然なのか、あるいは龍が指定しておいたものか、龍と風綬が出会った河原だった。

あの日と同じように、子ども達が両陣に分かれ、礫を投げ合っていた。日が翳り、闇が混じり始めるとひとり、またひとりと、子どもが抜け、誰もいなくなった。

高見王の家人達が大がかりな装置を担いでやってくるのが見えた。
百済はそのままの姿でやってくる。その代わり、後ろの女車は如何にも堅牢であった。
家人に負われてやってくる3人は、算博士と学生、それに淳良であった。
「皆の衆、参りましょう」
摂津が車から降りて、抱えていた壷を開けた。

百済は優衣君の女車に駆け寄った。
「優衣君、伯母上」
壷装束の優衣君と僧衣の尼君が降りてきた。
「お兄様……良かった。すぐに…すぐに会えますから」
「ばかなことを。俺に会うのは最後だろう。それより……行くのか?」
百済はぐったりとしている淳良の方に顎をしゃくって見せた。
「分かるんじゃないですか? 裳着の式の時から言ってました。身分よりお人柄、私一人を大切に思ってくださる方と参ります、って」
「まあ、変な子ですけど。優衣君一人を大事にしそうだって点だけは及第」
尼君が言葉を添える。更に続けて
「いいんじゃないのかしら、武蔵なら知らない国でもなし。まあ、どう考えても私の方が先に永真殿に会えますからね、優衣君のことはたっぷり話してあげますよ」
笑顔を見せた。
「伯母上は長生きしそうだ。……芝も恐ろしく長生きしそうだ。俺のようにおまえを残していくこともないだろう」

壷から飛び出した絵巻達はそれぞれもとの死霊に戻った。
彼らには別れを告げる相手もいない。羨ましげに百済を見つめていた。

親王はまだ手放したくなかった摂津をしっかりと抱きしめた。
「摂津……頼みがある」
摂津は頷いた。まだ、迷っている。親王が何を言い出すかで、考えも動くかも知れない。
「俺が死んだら……俺はぐだぐだ言わないで、成仏する。だから、迎えに来てくれ。阿弥陀仏より、おまえがいい」
「約束した。……100年経っても、果たしてやるよ…」

大人しく控えているはずの五郎が、はじめて複雑な表情を見せた。

「御前、親王様のお迎えは私が参ります。宮様は…」

本当にそれで良いのだろうか?
初めて巡り会った神霊の力を借りずとも、成仏できそうだ。
だから、このまま別れても良いのだろうか?

「後悔の無きよう…」

そうだ。優衣君が稚拙ながら、言っていたではないか。
自分がかつてあれほど賢かったなら、と思う。
皇女は本当に自分を恨むつもりなど無かった。

親王はゆっくりと「摂津」を離した。
俺のために「摂津」としての時間を過ごしてくれた者が、本人に立ち戻ろうというのだ。
それならば、俺は彼女を愛した証として、「摂津」の身代わりでなく今や彼女を愛している証として、送り出すしかないのかと覚悟を決めた。

「だが、おまえが初めておまえ自身として生きていけるというなら……。俺のための迎えは要らない。龍、それでも、まだ、こやつに決められた道を行けと命じるか?」

風綬も龍の手を取った。
「おまえを忘れたくない。もう2度と会えないのが辛くても、きっと乗り越えてみせるから、俺の記憶を奪わないでくれ」
「風綬……」
「父の身代わりではない、おまえが…好きだ」

浅海の神霊は涙もろい質なのか、もらい泣きしている。
死霊達も泣いていた。
怨み、憎み、孤独に死んだ彼らが、縁有って多くの人間や浅海の神霊に見守られて、在るべき場所に行けるのだと泣いた。

龍は「摂津」という名を賜った鬼であった皇女に手をさしのべた。
「なぜ、覚醒できたのか、分かったような気がする。そなたは……」
皇女は目を上げた。
「私も……分かったような気がします」


睡蓮

百済と五郎が死霊補完装置に乗り込んで、他の死霊達にも合図をした。
装置はおびただしい光に包まれた。
やがて、それは猛烈な勢いで上昇していった。


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完了です。長い話を読んでくださいまして、ありがとうございました。


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