廃親王(すたれみこ)と自嘲気味に威尊親王が言う。
かつて、皇太子であったと言うが、その頃のことなど全く覚えていない。
母とその兄が亡くなった後、父帝が退位し、叔父(父の同母弟)が即位した。
いつの間にか、威尊は廃太子になっていたという。
「いつの間にか」と言うことも無かろうに、気性の激しい親王には曖昧な説明が為されていた。


「3・怒りの親王」


威尊は寺の中に住んでいる。
彼のために簡単な邸がしつらえられている。
彼が元服する前から、父には得度を勧められてきた。
貴人でありながら、弓馬を好み、刀剣を好む彼を、あるいは矯正したいとの考えかも知れない。
最後には父院の命令という形で出家させられた。
この時から、彼は自分に纏い付く「影」のようなものを感じている。

寺での修行は最初からやる気はなかった。
僧達も気性の荒い彼に近付きたくなかった。
どこからどう見ても悪僧(僧兵)である。
彼は未だに「親王様」と呼ばれ、「浅倉殿」(乳母が但馬国朝倉郷出身なので)と呼ばれる。


高見王の来訪が告げられた。
付き従ってきたはずの「猛者」がやってこないので、怒鳴りつけた。
「関東の無位無冠の者とて遠慮は要らぬ。俺も出家の身だ。そもそもその者と会うてみたいと申しつけたはずだ」
射抜くような鋭い目で決めつけられ、高見王は淳良を呼ぶ以外になかった。
「庵」という名の宮の脇で控えていた淳良は、すぐさま威尊親王の御前に参った。

まだ手足も項もほっそりとした「猛者」である。
威尊親王はさすがに驚いて目を見開いた。
「わが家人、武蔵芝淳良と申します」
「ふむ。気に入った」
今度は高見王の方が驚いた。
「この者を俺に譲れ」

芝淳良は美しい少年だ。
稚児としてご所望なのだろうか?
もし、そうなら、あるいは親王にとって良いことかも知れない。
立派な僧は稚児を寵愛し、悪僧(僧兵)は女犯を犯すと言うではないか。


淳良は名前を呼ばれるようになった。
仕えてみれば、親王には、たじたじになった龍を見た時と同じくらいの昂揚を覚える。

親王に仕えるようになって、淳良はいつも影のようなものを感じている。
日に日にそれははっきりした、ある種の「形」として認識できるようになった。
主従はお互いに同じ物を感じていることを知っていた。
数日すると、影の方から何かを懇願しているように感じられた。


ある夜、影は親王の背後に座った。
その気配はあからさまで、親王や淳良が気付かぬはずはなかった。
「そちの名を申せ」
「名を賜りませ。名がなくば、形あるものになれませぬ」
あきらかに音声は伴っていない。

「摂津」
それは、乱暴者の親王を嫌い抜いた白拍子の名だった。

親王の後ろの空間は渦を巻き、やがて一つの形を取り始めた。
美しい白拍子の姿がそこに在った。
「鬼界より馳せ参じました。摂津と申します」
白拍子は膝を折った。
が、真っ直ぐに親王を見つめ、それ以上の臣下の礼を取る気はない様子だった。
「鬼か」
「人間はそのように」
「もう一匹いるようだな」
「従者にございます」
「従者も何か名が必要なのか?」
「鬼は自らの名を決めることはできない。名を賜りませ」
「従者なら、……淳良、そなたが決めよ」
摂津は一瞬眉を顰めた。淳良は楽しそうににやにやしている。
「そうだな。俺が四郎淳良だから、五郎にしよう」
摂津に侍っていた鬼気は形を取った。
「失礼ながら、芝四郎殿」
五郎もまた膝を折ったのだが、その身体は摂津の方を向いている。
「我が主人はあくまでも摂津様です」

思いを遂げられなかった白拍子と同じ姿をした者がいる。
親王は当然のように寝所に摂津を呼んだ。
抱こうとしたところを、するりと逃げられた。
「何て顔をしてるのやら。御身が望んだとおりなのですよ。男にして女、女にして男。摂津はどなたかの意のままになる者ではございません」
「そんなところまで、あくまでも“摂津”か。力ずくで奪う」

焦って追えば追うほど、摂津は楽しそうに逃げた。
ついに根負けした親王が床に大の字になった。
「さあ、私を呼んだという本当の意味を教えて差し上げる。おまえの通力をおくれ」
摂津は親王の上に覆い被さった。が、
「何て強い……。以前の主と同じようにしては、すぐに満腹。つまらない。通力を小出しにしてもらおうか」

親王の胸に頬を寄せた。
親王は相手の背中に手を回した。
「その気になったか?」
返事はない。
ただ、魅力的な赤い唇がほんの少し形を変えただけだった。


摂津はとりあえず意識を失った振りをした。
親王の通力は満杯に入ってきており、これ以上受け入れることはできない。
「摂津。もう終わりか? だらしない鬼だな」
意外にも爽やかな声である。
親王は摂津の頬を軽く叩いてみたが、相手が気を失ったままなので、両腕にかき抱いて寝入ってしまった。

鬼としての自信が揺らぐ。
御簾の外に五郎が控えていることを知っていたから、弱音を吐くわけにもいかない。
「五郎」
いつもと変わらぬ柔らかく優しい調子であることを確かめつつ、従者を呼んだ。
「そちの通力は? それとも、もう淳良殿の通力を頂いたのか?」
「いつでも御身のお側に。淳良殿には何も致しておりません」
「……相手は子どもだったな。………分け与える」
そっと親王の腕の中を抜け出し、そのままの姿で御簾の外に出た。
「全く、どちらが鬼で、どちらが人間かわからない。桁外れの貴人がおったものよ……」
摂津が言い終わらないうちに、五郎は立っているのも辛そうな主人を抱き上げた。


僧達も2人の鬼の異様さには薄気味の悪さを感じていた。
護衛だの稚児だのといわれれば、そのような様子と言えなくもない。
実際、何も感じない者の方が多い。

薄気味の悪さはいや増すばかりであったので、寺として適切なるお目付役の派遣を申請した。

てっせん

陰陽生としての学を修めたはずなのが、出家した親王に仕えるようになった経緯は、風綬にもよく分からなかった。
朝命を拝し、「浅倉殿」に向かうのみである。

家は姉婿がいるので心配は要らないのだった。
母は婿に出すのでは無いことを残念がった。

必要のない時は風綬の懐で寝ている龍であるが、浅倉殿が近付くと飛び出してきた。
「どうした?」
龍は人間体になった。
随身の少年は腰を抜かした。
龍は少年を担ぎ上げ、馬の脇を歩くことにした。
「あれだけの“気”を見逃すわけがないと思っていたが、しっかり鬼と結びついたようだ。どうする、風綬?」
「どうするも何も、行って職務を全うするより他はあるまい」

鬼が待ちかまえていると教えてやったのに、命令に従うというのだから、たいした小役人である。
龍はそう言って茶化したくなったが、「夢と思って醜態を晒した」反動か龍に対して必要以上の意地を張る風綬だ、怖くてもそう言えないだけのことだろう。
「餌をしっかり守れよ。俺を逃すと餌のアテがないんだろう?」
「承知。風綬、覚えておいてくれ。鬼は実際に人を傷つけることはできない。ただ幻影を見せ、人は幻影に呑まれてしまう。俺が付いてるから大丈夫だ。全身全霊かけて、おまえを守る」

これまた聞いたことのない話だが、神霊本人が言うのだからそんなものなのだろう。
ただ……結局、風綬は陰陽生としては「やや劣等生」以上のものにはなりえなかった。
龍から妙な知識が流れ込んだ所為かもしれない。


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