「5・笛と箏の十三弦」


たまに親王の思いつきで、一堂に会して食事をする。
人外の者共も人間体の時は人間の食事をするからだ。
しかも、龍などは驚くほど食べる。
摂津が面白がって「これもお食べ」と自分の箸を龍の前に突き出す。
余程消化が良いのか、彼は必ず食いついた。
摂津には面白いかも知れないが、風綬にははなはだ面白くない。

龍に次ぐのが淳良であろうか。
こちらは正真正銘、成長期である。

風綬はあくまでも「お目付役」として派遣された役人であると心得ていた。
親王との会食と聞いただけで、その時から食欲が失せ、不眠に陥った。

摂津と龍はそうしたことは頓着しない様子である。
人外の官位は知らないので気安く付き合っているが、2人とも尊い家柄の者なのかも知れない。
摂津はともかく、「公卿の龍」を想像してみたら、空っぽの胃の腑が激しく振動した。

翻って、五郎は緊張の面持ちである。
彼を見て、風綬は漸く安心した。
五郎の方も同様だったようだ。

最も不思議な人物は武蔵芝四郎淳良であろう。
れっきとした田舎の郡司の一族の者である。
本人が無位無冠であるのは勿論、次の除目で風綬に位が授けられれば彼の父親と殆ど変わらぬはずなのだ。
あの物怖じしない態度はどうしたことか。
鬼の五郎ですら杯に口を付けられないでいるのに、おまえは本当に人間なのか?

人外の者が出ると下人共も薄気味悪がるので、「もっと酒をもて」だの「干鮑(あわび)があっただろう」などと言いつけるのは風綬の役割のようになってしまった。
その間に風綬の膳の上の器はきれいに空になっていく。

興が乗ると、親王は摂津に「舞え」だの「歌え」だのと所望する。

「この姿は親王のお好みであって、我が本来の姿にはあらずとも」
苦笑しながらも、今様を謡い、舞ってみせた。
本物の「摂津」以上であるらしく、親王は食い入るように見つめている。


淳良は徒に夜歩きをしている。
男にせよ、女にせよ、「これぞ」という相手が見つからない。
常より摂津を見ているのがいけないのだろう。
高見王はあちこちに知り合いの女を作っていたが、小埜君という正妻がいればこそなのだという気がする。
「最初」は大切にしたい。

早春のある晩、出家したはずの親王が紅梅襲の直衣を着て、淳良に伴を命じた。
轡を並べて夜歩きに出るのは初めてだ。
「摂津はどうしたのです?」
「腰が立たぬとべそをかいておる。鬼のくせにだらしのない奴だ」
生身の人間ならとうに死んでいるのであろう。
淳良は親王の不満げな横顔を見やり、頬を赤らめた。
「それにしても」
親王の方で話題を変えた。
「初めて会った時はほんの小童だったな。随分背が伸びて、見た目だけは男になった」


摂津は確かに大変なことになっていた。

昨晩は「満杯」も過ぎて、身体が千切れるかと思うほどになった。
五郎に身を委ねたものの、従者とてそろそろ侍烏帽子の中に髪が納まりきらなくなっていた。
主人を、過度の力の苦しみから解放してやりたいのだが、彼もすぐに限界一杯になってしまった。
摂津は恨みがましい目をしてみせたが、念を籠め、龍を招いた。

昨秋は野分がことのほか多く、龍はその時にそれでなくても乏しい通力を使い切ってしまった。
髪は白いものがほんの申し訳程度に頭に張り付いている。
親王はそれを指さして、「氷襲だ!」と大笑いしたのである。
龍も嗤われるのが辛いのか、小蛇の姿で過ごすことが多かった。
風綬が頼りの筈なのだが、ある時から全く応じてやっていない様子である。
やってきた龍はやはり蛇の姿のままだった。

「人間体になってくれぬか」
「すまん。頭だけで精一杯」

飢えた龍神に鬼の通力が浸みいった。
何度も注ぎ、その都度気を失いそうになり、いつ正気に戻ったのかも定かではない。


翌朝は大騒ぎになった。

風綬は一晩悩んだ挙げ句、龍を餓死させるよりも、自分が我慢する方を選んだ。
人間体に戻れ、と囁いた時、「すまん、これが限度」といつもの妙に爽やかな声がして、目を上げてみたら、おぞましさに総毛立った。
その時以来、早く龍に食べさせねばならぬと知りつつも、どうしても勇気が出なかったのだ。
龍は大人しく待っていたが、今にも死にそうだった。
「死なない」と本人は言うのだが、それでも龍が不憫に思えてきた。
目を瞑って耐えよう、一度触れれば人間体にはなれるはずだ。
風綬は悲壮な覚悟を決めたのだ。

それなのに。

龍は漆黒の髪を結って、侍烏帽子の中に纏めていた。
しかも、へらへらとした笑顔を見せて、「や、おはよう、風綬」と悪びれた様子もない。

折から、摂津の騒々しい悲鳴が聞こえた。
蛇を使って、親王か淳良から通力を分けて貰ったというのでも許せないのに、相手はこともあろうに摂津らしい。

風綬の拳が龍の腹にめり込んだ。
突然のことで、腹筋の力など抜いていたのだから堪らない。
転げ回る龍に一瞥もくれず、宵に至るまで一言も口を利いていない。

摂津は、親王にも風綬にも気兼ねをせずに、派手な悲鳴を上げていた。
「そっといたせ、もっと優しゅうに」
「すみません、御前」
「あついッ!」
「すみません、御前」
「あついと言っておるに!」
「熱い方が効きますゆえ」
「誰ぞ決めたのか、我は知らぬ!」

摂津の声は酷く耳障りだ、と風綬は思った。
だいたい、昨晩だって親王の夜伽を勤めたはずではないか。
どうして龍とそうなるのだ?


いずれにせよ、人外の者共と風綬が諍いを起こしていることは間違いがない。
巻き込まれては厄介だ。
摂津に執心な威尊親王であるが、あまりのややこしさにどうしたらいいのか分からなくなってしまった。


雪は止んでいる。十日月が光を投げている。
積もった雪が光って、十分に明るい。
誰かが琴を爪弾きだした。

「箏の十三弦だ」
親王は懐から横笛を取りだした。
「………」
口に当てず、淳良に渡した。
「そなたがやってみろ」

親王所蔵の名器が漸くそれに相応しい音色を紡ぎ出した。
しばらく合奏を楽しみ、歌を詠むことにした。
生憎、伴がいないので、自分で自分の使いに立たねばならない
。若い淳良には酷く恥ずかしかったが、屋敷から出てきたのが尼君であったので少しはましだった。

返歌を待つ間のいたたまれなさを、屋敷内の姫君はご存知だろうか。
夜歩きを始めるようになって今まで、あまり楽しい経験をしていないのだ。
最悪だったのが、淳良を田舎武士と見下して、さんざん待たせた挙げ句侮蔑的な返事をしてきた女性である。
教養のない女に声を掛けてしまった、と後悔で一杯になった。
大抵は丁重に断られるか、相手の知性の低さに鼻白むのだった。

返事は早かった。
「子どもの頃、父について東国へ下りました。武蔵という言葉に懐かしい思いで一杯です」
とある。

一緒に文を覗き込んだ親王が淳良の背を叩いた。
あの早さでの返歌としては悪くない。
馬から転げ落ちそうになっても、淳良の頬には笑みが浮かんでいた。

「百済某の噂は聞いたことがある」
「どんなこと?……ですか」
「女車から見えた唐衣が見たことのない美しい色で、粗末な車でお忍びの内親王か摂関家の姫が来られたのだろうと思いきや、ここの、受領の娘であったのだ。姫の兄と申す男が変わり者で、父が亡くなっても出仕もしてこないのだという。どうやって暮らしているのか謎だそうだ。不思議の優衣君と呼ばれている」
「優衣君……」
使いに出てきた尼君もこざっぱりとした僧衣であった。
何より、田舎武士だという理由で蔑まれなかった。
兄とやらは遁世しているのだろう。
使用人もいない様子だ。
女二人で不便な生活を強いられてやしないかと心配になった。


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