「7・琵琶の精」


従八位上の位を賜った風綬は、親王のゆるしを得て2日間実家に帰った。
姉の息子の祝いのためである。龍は頭巾を被った庶人に変装している。
まるで待っていたかのように、陰陽得業生である海覚が訪ねてきた。

「一度はおまえを訪ねようかと思ったが、さすがに引き返した」
「……いろいろ棲んでいるからな」
「よく平気でいるな」
「………」
「とにかく本題に入ろう。依頼だ」
「は?」
「斎藤叙顕(みつあき)様は知っているか?」
「いや……」
「斎宮寮の頭だ。そのご子息の雄顕(よしあき)殿が……」
「伊勢ではないのか?」
「昨年戻られた。雄顕殿ご愛用の琵琶が夜中に奇妙な音を立てるというので……」
「しばし待て。おまえは得業生だろう。どうして……」
「仲良くなったのだ」
「仲良く……? 相手は21になれば正六位だ、おまえは順調に陰陽師になっても従七位」
「案ずるな。身分違いでも仲良くなる方法はある」
「………」
「そういうわけで、しばらく預かってくれ」
早速に海覚は大荷物を渡そうとした。
「待て、この家はダメだ。浅倉殿に持ってこい」
「いやだっ!」
2人は押し問答になった。
「風綬、こやつがあの祠の前を通ったら、百済がまたぞろ鬼になるなどと言い出すのではないか?」
龍が大事なことを思い出させた。
「……そうか。……こいつは美味そうか?」
「好みが分かれる。塩気が強い。だが、百済は淳良しかいないと思ってるから悩んでるんであって、京にもう一人いることが分かれば迷わずやってくるだろうな」
「こいつに神霊は付いてないのか?」
「5〜6柱で争ってる。……そうだろう?」
海覚が照れくさそうに頷いた。
「大丈夫だ。下等な神霊だし。殆ど負担にはなってないだろう? 2柱いっぺんに訪れても何と言うことはないほどだ。だから百済にはまだ好機を窺える。もっとも、今の奴らは俺がここにいるだけで怖じ気を震ってるような連中だからな、止めといた方が良い」

龍が琵琶を抱えて出てしまい、2人で残された。
「それで、あの琵琶をどうしろ、と?」
「何者かが分かちがたく結びついていてな。離れるよう説得して欲しい」
「頼む相手を間違えているぞ」
「誰がおまえにやれと言った?」
「……そういうことか」
「龍がいるし、浅倉殿には他にもいるだろう?」
「鬼が2匹。それに最近死霊も加わった」
「バケモノ屋敷だな」
「違いない。棲んでいる人間もバケモノだ」
「……おまえ……強いなあ。俺だったら、陰陽道を修めたのに、訳の分からないバケモノ屋敷に派遣されて、乱暴者の世話係にされたら官人辞めるぞ。せめて、その新入りの死霊だけでも何とかならんのか?」
「正直言って、その死霊が一番苦手だ」


百済は祠暮らしが気に入ったらしい。
ついで言うと、「餌」の中では味に癖のない風綬が気に入ったらしい。

風綬が龍と別行動で石段を下りたりすると、次の瞬間には背後にいて、「俺のモノになれ」と囁くのだ。
生身の人間が死霊相手では追い払うことすら叶わず、石段のところまで逃げ帰る。
死霊も精一杯引っ張るから、もがき苦しみながら引き返すのだった。

「目」のない人間には、風綬は気が触れて見えるのだろう。
鬼に為るというバカな考えは捨てて、早く成仏して欲しい。


風綬の気懸かりである妹、優衣君は宮中の女官として出仕することになった。
本人の希望である。
淳良に「親王様に色仕掛けで頼んでくれ」と毎日懇願され続けた摂津が根負けした。
摂津に頼まれれば「否」とは言えない親王は小一条(摂政)を拝み倒した。
ただ、淳良としては、自らも決意したとはいえ、優衣君に会う機会を失ってしまったのは悲しかった。
淳良はことあるごとに祠の前に行っては
「責任を取れ」
と怒りをぶつける。
百済はこの時ばかりは決して出てこない。
この淳良の姿も、「目」のない人間には珍妙に映るであろう。


夜半、龍が琵琶を抱えて戻ってきた。
「こんなに大人しい者が害を及ぼすとも思えん」
と首を捻っている。

琵琶の反応は相手によって違うらしい。
海覚宅では何もおきなかったのだと言うし、龍も「大人しい者」と言う。


そこで、浅倉殿で一人ひとりが試すことにした。
風綬が弾いてみても、さほどの違和感はなかった。
夜も何がおきたわけでもない。
風綬にとっては大変意外なことに(心外な、というべきか)淳良が試してみても、風綬と同じ結果だった。
威尊が試した時は、親王に何かがあっては大変だというので全員で見守った。
何事もなくて良かった。
五郎が試してみても、結果は同じだった。
海覚、龍、淳良、威尊親王と同じ結果であったことに内心動揺していた風綬は、この結果に安堵した。

摂津が試そうとした時、異変が起きた。
弦が固く張りつめ、弾くに弾けない状態になった。
「嫌われたな」
親王が手に取ると、それは元に戻った。
「その斎藤雄顕とやらいう若者も管弦に秀でたものでしょう? 案外、この琵琶、歌舞音曲が嫌いなのかも知れない」
摂津が口惜しそうに口を尖らすと、この珍しい事態に一同大笑いした。
歌舞音曲嫌いの琵琶があって堪るものか。
あまり皆で大笑いするので、摂津は
「それなら百済で試そう」
と話題を変えた。


一同に詰め寄られ、しぶしぶ祠から出てきた百済は、琵琶を見せられて首を横に振った。
その時、琵琶が震えた。
「私はそのお方のモノになりたい」
確かにそう聞こえたのである。


琵琶の語るところに依ると。

この琵琶の最初の持ち主は大変に音痴な若者であった。
同母妹は箏の十三弦をものし、それもなかなかの腕前であった。
妹に強請られても、合奏のできる腕前ではない。
若者は夜中になると必死で練習したのだが、生来の音痴が直るほど世の中甘くなかった。
若者の気持ちを知ってや知らずや、母君は
「この姫の将来が楽しみだこと。きっと歌舞音曲に秀でた求婚者が現れますよ」
などと言っていた。
やがて、この母君は夫君に従って武蔵へ下ることを決心した。
その際、若者が持っていても虚しい琵琶は手放されてしまった。
彼は友達もいなかったので、東市で最初の買い手に売り払ったのである。

このような素性であるに拘わらず、琵琶は美しい音色を奏でることができた。
ことに、伊勢に流れて、斎宮寮の頭の息子に出会って、この琵琶にとって耐えられない美しい音色を響かせた。

あのお方にお会いしたい。
こんな名器のような私は間違っている。
せめて下手なお人の元へ。

琵琶は夜な夜な抗議の声を上げた。
はたせるかな、斎藤雄顕は薄気味悪く感じたようだ。


百済は祠の中に飛び込むと
「その価値観は間違っているぞ。楽器は美しく奏でられてこそだ。俺には構うな」
とまっとうなことを叫んだのだ。

しかし、琵琶の念を満足させて、成仏させてやらねば、斎藤雄顕のところへは返せない。
今度は「無理矢理、淳良の通力を食べさせる」と脅した。
「あのクソ不味い通力か………死んだ人間が食ったら更に死にそうになる、酷い味の通力か………。こう、口にしたら一気に意識が飛んでくような不味い通力……」


その晩の騒音で、浅倉殿ではただ一人を除き、眠れぬ夜を過ごした。


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