「事の顛末」後編


燿は再び荘一朗に同行してもらい、実家へ帰ることになった。
しかし、以前の不安とはまた別の不安につきまとわれていた。

燿は自分が相変わらず無知な娘であることを自覚している。
本郷荘一朗が彼の将来の計画などを語ると、燿には全く分からないことばや考え方がズラズラと出てくる。
彼の奥様なら、せめて半分は分かって、夫を支えるために陰になり日向になりして働く………
それは、日々の生活に追われ遠大な展望など持たぬ見知った男達の妻の立場とも違うし、
父祖の財産を糧に一生を安穏と送ることが可能な秀子の立場とも違うし、
また、どのような手段であろうと財をなしている旦那に「色」を提供はするものの男の生き方には関わらぬ妾の立場とも違う。
自分自身を省みるに、そのような妻になれる自信は燿にはなかった。


雪が舞ってきた。
遊んでいる子ども達の中に燿の弟妹の姿はなかった。
燿は胸騒ぎを覚え、実家までの道のりを走った。

家に入ろうとしたその時に
「アキなんが、あてになるもんか!」
母の鋭い叫び声が聞こえた。
薄い壁を通して、中の話は筒抜けなのだった。

「あの子ぁいっつも上等な着物着て帰ってくるだども、ちっとも振る舞ってくれないじゃないか。
お父っつあんが呑みたいだけ呑ませでやろっていう親孝行の気持ちはこれっぽっちもない、冷たい子になっちまったんだ」

燿は二、三歩後退った。
荘一朗が彼女を支えて止めた。

「お父っつあんを医者に連れてったのはねえちゃんのご亭主だよ。
あんな立派な人の嫁になるんだもん、おら達みたいな着物着るわけにはいかねべ?
おっ母さん、頭冷やしてよ」
燦のなだめる声が聞こえた。
「親に黙って嫁こさいって。
そら、仕方ねえか。こんなみっともねえ親じゃ先方さんにも言えねだな。
だども、ごたいそうな身分になったなら、自分ばかりがいい着物着て、うめぇもん食ってねで、少しは親弟妹に分けてくれても……。
あんな冷てえ女になっちまったのは、えらそうにガクなんかつけたからだ。
……ああ、でも、
……アキが知らん顔してくれたなら、その方が諦めがつくってもんだし、
旦那様のお父っつあんが、おら達をご不快に思って、アキがおんだされちまったらどうしよう?
……ああ、そうだ、あの子がもっともっと冷たくなって、おら達をいっそ忘れちまったらいい。
せっかくいいとこに嫁に行って幸せになったのに、おんだされちまう方がもっと親不孝だぁ。
ああ、ああ、おら、どうしたらいい?」

母は自分の考えに振り回され、際限なく悪い想像が浮かんでくるらしかった。
とても聞いていられない。

荘一朗は大きく咳払いをした。
太助が走り出てきた。
「ねえちゃん! ねえちゃんと旦那様だ!」
「太助、お父っつあんは?」
少年は姉の問いに首を横に振って答えた。
「今朝……」
「ご近所さんには? お寺さんには知らせたの?」
「ううん」

母と燦、それから幼い弟妹も出てきた。
「アキ……」
「おっ母さん……遅くなりました。ごめんなさい」
「いんや。急だったんだあ。アキ、そんなとこ立ってねで、旦那様にも入ってもらえ」

あれほど燦に言っておいたのに、実家では燿が既に結婚したことになっていた。
家族の誰が想像したよりも、燿にとって幸福な縁があったのだから、彼女が迷いためらうなどとは夢にも思わないのだ。
燿の悩みも苦しみも一向に理解されないのだろう。

若夫婦(ということになってしまった)は父親の遺体に手を合わせた。
「おっ母さん、お寺さんとご近所に知らせよう。私、お寺へ行って来ます」
燿が立ち上がった。
「あんた、大丈夫?……その……」
母は今度は娘が妊娠しているか心配になってしまったらしい。
「うん。大丈夫、何ともない。一緒にお寺さんと村役場まで行って来る」

燿は荘一朗と連れだって出た。
葬儀が終わったところで家族の誤解を訂正する気なのだろうと、荘一朗は考えた。

「お寺は馬車の乗り場からちょっと向こうの山に入ったところなんです。病み上がりの燦には行かせたくなかったんです」
燿が説明した。

寺でも役場でも用を済ませて二人で連れ立って帰ろうとしたが、山道の途中で太助に会った。
「ねえちゃんはもううちの者じゃないから、今晩は来てはならないって」
「そう。わかった。それなら、明日和尚様と一緒に行く」
燿はそう言って太助を帰してしまった。
彼女は荘一朗を見上げた。
「小学校の先生の宿舎に空き部屋があった筈なんです。そちらに泊めてもらえるように頼んでみます。それでいいかしら?」
荘一朗は彼女が何を考えているのかよく分からないまま頷いた。

燿の家族はかの親戚の田畑を手伝い、小作契約を結ばないことに落ち着いた。
燦は再び麓の町へと働きに出ることにした。
燿はもう一度、豊浜に来ないかと勧めてみたのだが、燦にとっては異国へ来いと言われているように感じるらしい。


結局、燿は何も訂正せずに帰ってしまった。
かといって荘一朗に何か答えたわけでもない。
二人は豊浜に帰ってきて、秀子と擦れ違ったことを知った。
荘一朗の方は、高等商業に合格すれば、学校と西条家の位置関係から、いつでも会えそうだ。
燿は大変残念がった。

「で、結局どうしたの?」
桃子がじれったそうに聞いた。
「燿ちゃんが決心するのを待つ」
「そんなにお待たせしないで済むよう頑張ります。でも……」
彼女は何かを言いさしたが、赤くなって俯いた。
「どうした?」
「お願いがあるんです」
「何?」
「………」
「燿ちゃんが僕にして欲しいことなら何でもするよ。何だろう?」
「……言えません」
そこで、荘一朗は燿の肩に手を回し、顔をのぞき込んだ。
「言えって」
それが「待つ」態度か?
桃子はあまりのばからしさに目を逸らした。
燿が何事かをささやいたらしく、荘一朗が頷いた。
「わかった。……ごめんな」


春先、太助から便りがあった。
子ども達が奉公人のように使われている様子が伝わってきた。
もっとも、母に関しては思い通りに酒を飲むわけにはいかず、居候の立場も悪いことばかりではないらしい。
耀は親戚の主宛に手紙を書き、家族を住まわせてくれている事への感謝を伝えた。
同時に、今後も太助に送金する旨も伝えておいた。

縮緬の魚 [ 第T部 完 ]

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