「故郷に錦を飾る娘」


燿が妹の燦からの手紙を受け取ったのは、二月の終わりだった。
燦はまだ尋常小学校の五年生だが、燿がご奉公に上がっているので最年長の娘として家族の面倒を見ているはずだった。
燦はこの冬の麦の出来が悪いことと、近くの町の紡績工場で女工を募集していることを書いていた。
六年生を卒業する娘の何人かと共に、燦も女工として働きに出ることになったという。
燿のように町に出られるのは楽しみだが、親が年季奉公にして欲しいと頼み込んでいるのが不安だと書いてよこしていた。

自分に続いて、燦も働きに出る。
それも尋常の六年間を終えることのないまま……。
彼女の実家で、物事の先を見通せるのは、彼女と妹の燦くらいであった。
太助や春吉、サクなどはまだ幼く、何も分からないだろう。
確かに、外に働きに行けるのは自分と燦しかいない。
しかし、燦がいなくなってしまったらどうなるのだろう?

両親は酒好きであり、無類のお人好しであり、隣近所に振る舞うことがしばしばあった。
生来計画性を持たないのに加えて、酒で微かな理性も眠らせてしまうので、翌日子ども達が食べるものは何もなかった。
そこで、燿と燦とで、片方が物乞いに回り、もう片方が何か食べられそうな草や木の芽を探し回った。
特に太助には多く食べさせようと、燿が自分の分を減らすことが多かった。
燦と太助の間は三年半あいているが、本当はその間に長男がいたのだ。
この子はまだ乳呑み児の時になくなった。
この父が家長でいる間は一家の運命は決して良くはならないだろう。
一日でも早く太助の代になって欲しい。
だから、太助の命にもしものことがあったら、と思うと、燿は気が狂いそうになるのだった。

両親が燦の勤めを年季奉公にさせたがっているというのは、ことさらに不安だった。
毎月の仕送りではなく、まとまった金を望むのは何故なのか?
燿の年季の給金が小作料と借金の返済に充てられたはずなのである。
あの親のことだから、まとまった金に気を大きくして無駄に使ってしまい、まだ借金を残したりしてはいないか?

実は、燿にはほんの少しだが蓄えがある。
年末にお手当をもらい、年明けから月々のお給金をもらっている。
地主の決めた給金より、三嶋家の給金の方が高いからだ。

秀子に仕えるようになって、燿は己が知識のなさ、教養のなさを痛感している。
こんな自分が村の尋常小学校では主席であった。
たとえば、ミシン。
この扱いは女学校へ行った者だけが知っている。
燿は秀子から教えてもらって、機械での生産の凄さを思い知らされた。
同じことを手縫いでやろうとしたら、どのくらいの時間と労力がかかるだろうか?
つまり、村でやってるのはそういうことだ。
このような機械の存在すら知らず、昔と同じように暮らして、何の疑問も持たない。
父祖の代ではお寺の和尚様や地主の家の者しか文字の読み書きはできなかったが、今と変わらず農作業をやっていた。
だから子どもを学校にやるのは無駄だと考えているのだ。
お上の命令だから、しぶしぶ学校にやっているのであって、学を付ければ無学な父祖を軽んじるようになるのが大変迷惑だという。
未来永劫同じことを続けていく気なのだ。

秀子や荘一朗は、農作業や水汲みをせずに勉学に励み、たっぷりと新知識を得る。
そして大人になった時、村の者が朝から晩まで働き詰めて何年もかかるだけの生産を、あっという間にやり遂げてしまうのだ。
この半年で、利発な燿にはそうしたことが、なぜ彼女の家や村があんなにも貧しいのかが、見えてきた。

だから、自分の給金は親に渡さず、太助を農林学校にやるための貯金に充てるつもりでいた。
麓町の農林学校ならば、太助が卒業するのは九年後である。
できれば、それと同時に自分自身の嫁入りのお金も工面したいと思う。

燿がふさぎ込んでいるので、秀子としても大変気になっていた。
二月分の給金を手にしたところで燿が四日間里帰りをさせて欲しいと申し出てきた。
故郷が恋しかったのかと思い、「たまには甘えてらっしゃい」と秀子は送り出した。
秀子は防寒着を貸そうといったのだが、燿の方で辞退した。
上等な物を着ていける家ではない。
どうしても、と秀子が襟巻きを燿に掛けた。
「これはあなたにさしあげる。それならいいでしょう? もうあなたのものよ」


燿が通った小学校の近くまで乗合馬車が出ている。
二年生の太助と一年生の春吉はもう帰ってしまっただろうが、燦が学校にいるはずだ。
懐かしい職員室に入ると、先生達は目を見張った。
燿本人は気付いてなかったが、この半年で彼女は驚くほど垢抜け、また娘らしく成長していて、彼女が本来持っていた麗質が表面に現れ始めたのだった。
先生方に挨拶をして燦を待った。

ほぼ一年ぶりに会った姉は別人に見えた。
「ちょっと寄るところがあるの。燦、ついてらっしゃい」
綺麗に標準語を話し、この村の者とは思えない。
すっきりと背筋を伸ばして歩く姿は、どこかの豪農の娘か都市の中産階級の娘か……
燦にはよく分からないが、とにかく自分とは別の世界に棲む人になった姉の後を追った。

燿は地主の家に寄ったのだ。
「大変お世話になりました」
燿は挨拶するが、元の仲間は眩しそうに燿を見つめるだけである。
やがて女中頭が出てきた。燿はやはり丁寧にお辞儀して
「父の小作料を納めに参りました」
と説明した。
縁側に回った燿は若主人を待った。
燦は堂々とした燿の後ろに隠れるようにしてついていった。

「本当に父がご迷惑をおかけしました」
燿が支払いの遅れを詫びた。
若主人は帳面に印を付けながら、
「いやぁ、うちで働いてた娘っ子たぁ思えねえな。あんたのお父っつあん、あちこちで『ウチの娘ぁ、本家のお女中になった』とふれあるいてるよ」
と教えてくれた。

燿は顔を赤らめた。
自分の給金がその時まで残っていたかどうかは不明だが、いずれにしても夏には周りから「大した出世だねえ」などとおだてられて、全て振る舞ってしまったに違いない。
小作料は少しは支払ってあったので、燿が持参した額で足りた。
これは、両親に泣いて懇願した燦の功績なのだった。

実家に帰ると
「アキ、ほんとにあんたアキかい? こりゃおったまげた」
両親とも人の好い笑顔を向けた。
「こげな綺麗な上臈になっただなあ」
「お父っつあん、滅多なこと言わないで。お嬢様の小間使いは下臈のうちだよ」
燿のお国言葉は燦にはよそよそしく感じられた。
「まあ、別嬪さんになってえ」
母もほぼ一年ぶりに見た燿に感心している。
「こんな別嬪さんならもうあと三、四年もすりゃどっかの旦那がひっかかるな」
母は自分の考えのすばらしさに夢中になった様子だったが、燿は真っ青になった。
「何て情けないことを! お妾さんだなんて冗談じゃないわ」
母は娘の剣幕に気圧されながらも「だってぇ」とまだ言い募った。
「そうすりゃけっこうな暮らしができるてもんだぁ」
母はあくまで無邪気であった。

素人女としての誇りを説いたところで、彼らにその概念は理解できそうになかった。
そこで、燿は小作料を完済してきたことと、燦を年季奉公になど出したら承知しないことを言い渡した。
美しく育った娘がどこかの金持ちの妾として一生を安穏と送るのは最良と考えた両親は、娘がへそを曲げて「おこぼれ」を渡してくれなくなるかも知れないことを恐れて、承知したのだった。

翌朝、燿は燦達と学校へ行って、そのまま馬車に乗ると言った。
両親は「もっとゆっくりしていけ」と引き留めた。
美しい娘を見せびらかしたくてたまらなくなったのだ。
だが、戻るのが遅れればそれだけお給金が減るのだと言われて引っ込んだ。

燦も太助も春吉も、燿がそうしていたように、真冬でも素足で歩いていくのであった。
燿は家が見えないところに来ると、秀子からもらった襟巻きを肩に掛けた。
「うわー、ねえちゃん、綺麗だぁ!」
燦が歓声を上げた。
学校に近付くに連れ、他の子ども達も同行して、何だか燿は代用教員にでもなったような気分になり、自分の思い上がりに苦笑した。
「ねえちゃん、おら、ねえちゃんを見送りてえ」
燦が学校の方に行こうとせずに言った。
「そう。じゃ見送ってもらおう」
燿が答えると、子ども達は我も我もと燿についてきて、馬車乗り場は子どもでいっぱいになった。

「太助、春吉」
燿は弟たちの目の高さまでかがんで言い聞かせた。
「しっかり勉強するんですよ。お父っつあんやおっ母さんがなんて言っても。わかったね?」
弟たちが頷くのを見ると、燿は襟巻きを外し、燦の肩に掛けてやった。
「燦、これはおっ母さんに取られちゃダメ。酒代になってしまうからね。これを若奥様にお売りしたら、そのお金であんたと太助と春吉の長靴を買いなさい」
燦が夢中で頷いた。
「大丈夫。今日中に姉ちゃんに言われたとおりにする。今日中に長靴を買うよ」
「燦! 燦!」
燿は泣きながら妹を抱きしめた。
「元気でね。あんたには姉ちゃんがいることを忘れないでね」

馬車で帰る燿を見送って、子ども達はぞろぞろ学校へ向かった。
「綺麗な姉ちゃんだなあ」
仲間が感心したようにいうので、春吉は得意になって
「ねえちゃんはどっかの旦那のお妾さんになってけっこうな暮らしをするんだ」
と言った。
「ばかっ!」
燦が弟を叱りつけた。
「姉ちゃんはお嬢様のお世話で立派な工員さんと一緒になって、真面目で幸せな暮らしをするんだよ!」


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