「4・鬼と神霊」


お目付役が来ることは聞いていた。
だが、威尊親王には現政権に逆襲する手段がない。
母は既に亡く、母の兄弟も同じ流行病で亡くなっている。
だから、来るのなら木っ端役人だろうと思われた。
それなのに、
「来た」
摂津は眉根を寄せた。

「歓迎してやれ」
摂津は従者に命じた。
意地悪く目が光る。
五郎は一礼して浅倉殿を出、石段を一気に下りていった。

石段の下に待っている男を見て、龍は担いでいた少年の頬を叩いた。
「起きろ。俺は忙しくなった」
風綬が怪訝そうな顔をした。
「あの男が迎えるのは、俺か、おまえか?」
「俺だろう。先に行け」
五郎がゆっくりと身構えた。龍も応じる。

「風綬、訂正する。俺の用が片付くまで待ってろ」
石段の上を睨みつけた。

白拍子が飛ぶように降りてきた。
「五郎、ここで待て。こいつは我が獲物らしい」
「御前、ここは自分が!」
「退がれと申した。そなたの相手ではない、龍神だ」
「龍神? こんななりで、ですか?」
「粗食に耐えているらしいな」

「粗食」と言われて、風綬も面白くないが、確かに白拍子の髪は黒く艶やかで、くるぶしの辺りまで達している。
関東の武士らしい男も黒い髪を結っている。
対して、龍は枯色の散髪。
このところの忙しさにかまけて、龍には食べさせてなかったのだ。

「ここは吾が結界ぞ。龍を入れるわけにはいかぬ」
言いざま、白拍子は太刀を抜き、斬りかかった。
龍は最初の一撃をかわすと、直刀を抜いた。
「鬼こそ去ねよ」
踏み込んできた太刀を直刀で受け、渾身の力を込めて返した。
鬼も、力負けはしたものの、難なく体勢を立て直す。
その一瞬の遅れを付いて、今度は龍が踏み込んだ。
直刀は白拍子の首筋を掠めた。
黒髪が散る。

白拍子の形勢不利と見るや、関東武士が槍を構えて撃ちかかってきた。
堪らず、龍は後退った。
1度は結界に弾かれたが、力任せに石段を駆け上がった。
風綬も察した。
「そちに暇を取らす。逃げよ」
随身に言い渡すと、下馬し、石段を駆け上った。
鬼達も追い縋らんとする。

石段の上には、見物に出てきた威尊親王と淳良が立っていた。
一瞬のうちに龍は蛇と変じ、親王の懐に飛び込んだ。
蛇の姿の龍はするりと親王の肌の上を滑り降り、腹にきつく巻き付いた。
「親王の腹を食い破る!」
龍が念を発した。

龍が鬼を生み出した情念を人質に取るならば、風綬は決して鬼に捉えられてはならぬ。
だが、関東武士の動きは俊敏で、親王と龍の基に駆け寄ろうとした風綬の前に立ちふさがった。

「その生真面目な餌を人質にとっても無駄だ。相手は龍なのだから、火と水と人の畏敬在るところ、必ずや生まれ出ずる。鬼とは違い、散じきってしまうことはない。……神霊には敵わぬよなあ」
関東武士は白拍子に制されて、その場に片膝を付いた。
白拍子は美しい唇を噛みしめている。

鬼の結界を張ったのだ。
今まで、鬼にせよ、地祇にせよ、破られたことなど無かった。
だが、龍は力で打ち破った。

「小龍、親王には手を出すな。そなたがそうせよと言うのなら、我らは消える。……だが、その前に我の術を打ち破った龍の顔を見せてくれ」
そこで、龍は親王の着物の裾から出て、人間体に戻った。
「佳い壮士(おのこ)だ」
白拍子が艶然と微笑んだ。
神霊と違い、鬼は生身の人間の誰からでも通力を得られるから、枯色の髪のままの龍は潔いと思ったらしい。
白拍子は両腕を龍の肩に掛けた。
「もっとよく見せておくれ」
「こ……こう、か?」
龍が顔を向けると、白拍子はその唇に口吻をした。

「摂津ッ!」
親王が叫んだ。
人外の者達は一向構わず、和解の儀式を進める。
「こんなに酷い空腹で我と闘ったのか?」
「そうだ。……だが、2人がかりで攻撃された時は、正直、物言わぬ水に戻るかと思った」
「さすが龍だ。御身の名は?」
「龍だ、特に名は定めておらぬ。摂津というのは白拍子の名か?」
「そう」
「親王は佳き趣味をしておられる」
「それにお強い。……分けて差し上げる」

龍から摂津の唇に触れようとした時、風綬が龍の襟首をグイと引いた。
龍に身を預けていた摂津が前のめりになるのを五郎が支えた。


風綬が威尊親王に非礼を詫びている間、龍と摂津は椋の巨木の上に並んで座っていた。
「もともと小龍なのではなく、完全に覚醒していないのか。神霊もいろいろと大変なんだ……」
「俺も……鬼って、もっと凶悪かと思ってたよ。寺域の中に入った途端大人しくするからびっくりした」
「神霊はいい気なものだ。我らは人間の信仰を大事にするものなのだ。人に信じられるか、畏れられるか、縋られるか……どれかがないと消滅してしまうから。神霊とは事情が違う」

龍は鬼と親しく話をしたのは初めてだった。
何て綺麗なのだろう、と感心する。
容貌は威尊親王の好みなのだが、柔らかで品の良い雰囲気はこの鬼が本来備えているものであろう。

摂津もまた神霊と落ち着いて話をしたのは初めてだ。
追われるか、罵り合うか。
改めて龍を佳い壮士だと思う。


淳良はだんだん風綬が気の毒になってきた。
摂津が抱き合ってみせた相手は龍だ。
その龍は親王に対して非礼を働いたのだが、人外の者のしたことではないか。
龍だの鬼だのが人間の臣下になるはずもない。
龍の非礼を以て風綬を責めるのは筋違いだろう。
親王の怒りのぶつけ先が風綬にしかないことは確かであるが。

そう。
相手が人間であれば尚更だろうが、たとい龍相手であっても、摂津が誰かと抱き合い、口吻を交わしたことが気に入らないのだ。

親王はそんなにも執着する御人であったか……淳良はつらつら考えた。
お側に仕える者は頻繁に変わるし、何より乳母を側に置いていないのが奇妙だと思う。
出家したから、近臣も一新したのだろうか?
それなら尚のこと、親王は一人の人間には執着しない性質だということをあらわしているのではないか。
にもかかわらず、人外の摂津を側に留め置こうとする親王は異常だ。

額を蹴られた風綬を連れて罷り出たのは淳である。
回廊に出たところで龍が駆けつけてきた。
「風綬、どうした?」
「人間同士のことだ、おまえには関係ない」
「……痛そうだ」
「放っておけば治る。……それより、空腹だろう、龍?」
「ああ、それなら……。摂津に分けて貰うから、おまえはゆっくり休め」
「バカが。鬼の気が感染ったらどうするんだ?龍になれずに、大蛇にでもなったら」
「そんなことあるのか?」
「あるかもしれん」
「……うーむ。確かに長く生きてはいるが、鬼と親しくなったのは今日が初めてだし、俺の知らないこともあるのかもなあ」
「分かったら大人しく待て」
頷くが早いか、龍は小蛇に変じ、風綬の懐に飛び込んだ。

風綬は、粘着質でありながらものに拘らぬ振りをする、虚栄心の強い男だ……淳良は確認した。
龍が摂津に手を出すから、額を蹴られた。
二度と摂津に手を出すな、と分かり易く言えばよいのに、あれでは何度でも同じことが繰り返されるだろう。
人外の者にとっては通力の分配であっても、人間にとってはもっと特別な意味を持つのだと、親王も風綬も相手に教えていない様子だ。


月の美しい晩、淳良は夜歩きに出ることにした。

思えば、慌てて元服を済ませ、高見王の伴として京へ来たのだ。
結婚の手配をして貰えるはずもなかった。

五郎に伴を頼んでみた。
五郎はあくまでも主人に侍ると断ってきたのだが、当の主人の摂津が面白がって改めて伴を命じた。
鬼の伴なのだが、角もないし、虎皮の褌を締めているわけでもない。
淳良よりも五郎の方が遙かに関東武士らしくみえる。
「鬼だから」といえば、そういうものかもしれないが、不思議な男だ。
小物の鬼や地祇から主人を守るのだから、彼を武士とした淳良は正しかった。
しかし、龍と相まみえた時、摂津はそれと分かるほど顔色を変えた。
五郎とは腕っぷしばかりが強い鬼なのだろうか。


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