クリスマスソング


幸い腹痛は一過性のものだったらしい。
問題は患部だ。
涼はトイレでこっそり下着を取り替え、血で汚れたものを紙袋に入れた。
自室のゴミと一緒に捨てれば、家族にはバレないだろう。
それから立ち上がって戸袋を開けた。
姉のナプキンのストックがここにある。
1つくらいもらってもバレないだろうと思う。

中を覗いて、涼はかたまってしまった。
「多い夜でも安心」
「瞬間ガード」
「超うす型」
「パンティライナー」
4種類もあるではないか!
……どう違うんだろう?

違いが分かったところで、月経の経血量も自分の経血量も分からないのだ。
ストックが多い「超うす型」を選んで、個別包装を開けた。
「!」

………
粘着テープの付いた方は
パンツ?
肌?
どっち側なんだ?

もう1度戸袋を開け、外袋に書いてある注意書きを必死で読んだ。
何とかナプキンを装着し、トイレから出たら、母が待っていた。
「……ごめん」
「涼…お腹こわしてるの?」
「そうじゃないけど…薬、買ってくる」
「ちょっと待ってなさい。車出してあげるから」
母が送ってくれるというのだが、それはまずい。
最寄りの薬局に行く気はないし、何を買うのか聞かれたくない。
「ひとりで行く」
「具合悪そうじゃないの」
「大丈夫。歩いて行ってくる」

ゆっくり歩いて、大きなドラッグストアに入った。
そのコーナーの前まで来て、どれを選んだらいいのか迷い、店内を見回した。
ちょうど白衣姿の薬剤師が近付いてくるところだったが、……
姉と同じくらいの年頃の女性である。
嫌な予感がした。
彼女には何となく見覚えがある。

「みかんちゃんの弟さん?」
うぎゃああああ! やっぱり!
「金城有希子。ユッコです。覚えてない?」
とても綺麗になったから分からなかったが、言われてみれば確かにユッコちゃんだ。
姉の大親友で、家にもよく遊びに来た。
類は友を呼ぶ―――
が、ユッコちゃんは姉ほど乱暴ではなかったから、
「おねえちゃんとユッコちゃんを取り替えて〜〜〜!」
姉に殴られるたびに、泣きながら母に訴えたものである。

「何かお探しですか?」
ユッコちゃんは親友の弟に親切な笑顔を見せた。
何と言おう?
「……カゼグスリ
ユッコちゃんに案内されて、総合感冒薬の方へ移動する。
涼は激しく後悔したが、やはり「痔の薬も買いたい」とは口が裂けても言えない。

次のドラッグストアを探す気にはなれなかった。
とにかく横になりたい。
気分的にどっと疲れていた。
ここからでは自宅よりも海野の家の方が近いことに気が付いたのはその時である。
涼は海野の携帯にメールを入れた。
すぐに電話がかかってきた。

…偶然だな。近くにいるんだ。迎えに行くから、ちょっと待ってろ。
海野の声にホッとした。

しかし、本当に2分後に海野が現れた時には、呆れた。
「おまえ…大学は?」
「3コマ目が休講だから、4コマ目は自主休講」
「貴様ー」
「大丈夫だよ、余裕でクリアできた科目だから」
「おまえの大丈夫はアテにならん」
「本当に大丈夫だよ。体育実技なんだ。あと2回休める」
「……バカだ。……本当にバカだ。男がそんなことでどうするんだ…」
「細かいことは気にするな。おまえのためにもきちんと進級する」

結局、海野の家に行き、海野のベッドにうつぶせになった。
薬をもらって、自分で手当をするはずだったのに、やはり海野に手当をされた。
「お…、生理か」
「…殺すぞ」
海野が丁寧に薬を塗り込んでいく。
「ばれないようにするの、大変なんだろ?」
「ああ」
「しばらくここにいればいいじゃないか」
「!」
「大丈夫だって。うちにもよく泊まってたじゃないか」

何度か海野に手持ちの薬を譲ってくれるよう頼んでみたが、応じてもらえなかった。
涼は父親に扶養されているので、事情を話さなければ、医者にかかることもできない。
涼にできることと言えば、海野にプレゼントされた円座にカバーを掛けて使用することと、姉のナプキンを失敬することくらいだ。

涼はまだ知らない。

5年越しの恋が成就した海野は幸せいっぱいなのだ。
相手が戸籍上は男の子であることに悩みに悩んで、ついに突き抜けてしまったのだ。
カミングアウトしてイチャイチャしたいとも思うくらいだ、
こうして自分を頼ってくれた涼にそんな提案はできないけれど。


姉のナプキンを拝借するようになって程なく、ナプキンの減りが速くなった。
―姉はまだあの男と寝ていないが、付き合いは続いている―
だから、姉に月経が訪れたのだと知って、涼がホッとした。
姉は妊娠していない上、姉の性格からいって生理中に抱かれることはないのだ。


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冬休みに入った。

兄は修士論文の為の実験が失敗続きで、変わらず大学に行っている。
たまに美佳子が手伝ってくれるというが、「ひやかされると恥ずかしいから」と2人きりにはならないのだそうだ。

何を今さら。
もう2ヶ月も恋人でいるのに、2人きりになるくらいで恥ずかしがっていてどうするのだ?

美佳子ひとりで喫茶店天鳥に遊びに来ることもある。
しばらく彼女が待っていて、兄が帰ってくることが多い。
たまに彼女が待ちきれなくて帰ってしまうと、兄は露骨にガッカリして「はまったんだよ」と呟く。
だから――他の手伝いは断れ!
どうして兄にはそのくらいのことがわからないのか、紗耶香はイライラする。


この日は美佳子が女性と2人連れでやってきた。
「確かにみかんちゃんなんだけど、ホントに雰囲気変わったねー」
よく見ると、連れの女性は紗耶香がよく利用するドラッグストアの新入りの薬剤師だった。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは」
「お兄ちゃん、今日も遅いんですか?」
「明日祝日だから頑張っちゃうって。今日は中納クンも蒼い顔してたよ」
どうせその後拉致されるのだ。
恋人をほったらかして男同士のデートか。
恋人とのデートの時は夜8時には帰ってくるのに(お子様か?)、男同士デートの時はその日のうちに帰れないってどういうことよ?――
兄を正座させて小1時間問いつめたい時がある。

「ふうん、そういうわけか。鉄壁のみかんちゃんにもついに春が来ましたか」
「ナニ、ソレ」
「男子がみんなビビってたよ。だから“鉄壁のみかん”」
「酷いなあ…。私、誰にも突きや蹴りを入れたことなかったのに」
「そういう意味じゃなくてさ」

薬剤師は美佳子の同級生だったらしい。
紗耶香は2人の会話を何となく聞いていた。
兄も美佳子も、誰に対しても親切で優しいのに、なぜか「何となく怖い」と恐れられてしまう。
恐れられる方向は違うが、似た者同士だ。

「まさかみかんちゃんに口紅を売る日が来るとは思わなかったね」
「お化粧くらいするよ」
「うそうそ。リップで代用してたくせに」
「だってさー、値段が全然違うんだもん」
「キスしてみて初めて口紅の良さが分かったか」
紗耶香は思いっきり美佳子の方を見てしまった。
美佳子は口元を押さえて引いていた。
「ちょっとー。妹さんの前で何言うの!」
「いいじゃない。妹さんだって子どもじゃないんだもん、分かってるわよ。ねえ?」
「ユッコちゃん!」
有希子と紗耶香はしばらく美佳子を見つめていたが……。
「ね、みかんちゃん。キス……まだだった?」
有希子がおそるおそる聞いた。
「まだなんですかー !? 」
紗耶香の大声がかぶった。
2人に問いつめられ、美佳子の目が泳いだ。
「したような……してないような……」

あの バカにぃ〜〜〜〜〜!!!!!

男同士デートなんかしてる場合じゃないだろう?

(見たとは言えないが)偶然のキスもどきからもう1ヶ月以上経っている。
美佳子の反応も受け入れている様子だった。
あの反応なら兄も自信を持っただろう。
あれからキスくらいは兄の方からしたものとばかり思っていた。
それなのに、あの兄は、自室で抱き枕を抱えて転げ回っていただけらしい。

信じられない!

「ふーん。じゃあ、明後日ね。もしかして、もうホテル予約してるかもよ?」
「あー、それ、ナイナイ!」
美佳子と紗耶香の声が合ってしまった。
「ラブホ?」
「それもないよ。佑哉クンは誠実でいい人だもん」

ださくて気が利かないヲタを「誠実でいい人」と言い換えてくれてありがとう――

「みかんちゃんたら男を信じすぎ。
でも、まー、キスくらいはあるんじゃない?」
「……ん…」

さすがにそれはあるだろう――と紗耶香も思う。
兄は度胸がないだけで、決して聖人君子ではない。
むしろ、たまにぼやっとしている時など、男の情欲に満ちあふれた表情をしている。


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