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姉が妙に見慣れない物を着ている――
それでなくても低血圧の涼からさらに血の気が引いた。
「じゃ、行ってきまーす」
「みかねえ、どこへ行く?」
涼は思うに任せぬ重い身体をひきずるように動かした。
「磯崎クンを迎えに行く。涼も早く着替えなよ」
「そのみっともないカッコはよせ!」
母に思いきり頭を叩かれ、押さえているうちに、姉は手を振って出ていった。
「おねえさん、ご心配なく! 佐山の着替えなら俺が手伝いますから!」
姉とすれ違いにダイニングに入ってきた海野が勝手なことを言っている。
「そう? それなら海野クンにお願いするわね」
姉ではなく、母が上機嫌で答えた。
父は新聞から決して目を上げない。

「みっともない…かねぇ?」
オフホワイトのシャツブラウスに細かいプリーツの入った黒いスカート、いつものウォーキングシューズ。
「ま、いいか」
待ち合わせた相手とは、いつも白衣姿(それも焦げた穴が開いている)か、ジーンズで学食に行くのだから。


4月当初、自分が「紅一点」だったのには驚いた。
共学には慣れている。高校では男子の方が多かったし、特に2・3年生の頃のクラスでは8割以上が男子だった。
大学は女子大だが、美佳子の場合少々特殊事情があった。

寮の食堂からキャンパスまで走って1分。
他の学生が朝食を摂っている頃、美佳子と友人達はK鉄に乗っていた。
K大の講義をモグリで聴講するためである。お目当ての講義は1コマ目だった。
3年次の終わり頃、すっかり顔を覚えられた3人組だったから、仲間がその教授に言った。
「絶対K大を受けますから」
「いやに熱心な学生がいると思ったら、君達はK大の学生じゃなかったんですか」

3人のなかでも美佳子が最も熱心だった。
だから美佳子が関東に戻りたいのだと打ち明けたときは「爆弾発言」と言われた。

大学では紅一点だった上、8年ぶりの女子でもあったため、異常にチヤホヤされた。
「頑張ってくださいね、やめないでくださいね」と異口同音に念押しされ、
「セクハラ教授はもういないから大丈夫ですよ」と囁かれ、手を握られた。
「佐山さんは女王様だー!」と酔っぱらいが叫んだ。
当時周りを取り巻いていた男性陣も何かを期待していたわけではないだろうが、大変に居心地が悪かった。

美佳子が研究室にいることにも、だんだん周囲が慣れてきて、ようやく落ち着いてきた。
初めて招いたのは、取り巻いた男性のひとりではなく、最後まで挨拶以外の会話を交わさなかった磯崎佑哉――。

まあ、今回は私のお客様ってわけでもないしね。


「おお、それが噂の靴!」
「…ははは、そっちこそ噂のスカート」
「うん。弟にはみっともないって言われたけどねー」
「……そんなこと…」
「でも案外動きやすいんだよ」
「…ふーん…」
「ミニのタイトスカートなんかキャリアっぽく見えるけど動きにくい。
これなら大股で歩けるんだよ、……ほらっ!」
「そう! そうなんだ。長いスカートっていうのは案外合理的なものなんだ」
「…ほう……」
「膝をくっつけて座るのは人間本来の動きじゃない。かのポンパドゥール夫人の肖像画だって、彼女は膝を開いている。
女性に無理な姿勢を強いるようになったのは20世紀からなんだ……」
美佳子がじっと見つめている。
佑哉はついつい長いスカート(つまりはビスクドールのスカート)の美しさについて語るところだったと気が付いた。

紗耶香には「くれぐれも」と釘を刺されて、送り出された。
「男の人形ヲタなんか気色悪いんだから。趣味の話は絶対禁止」――
他人からどう思われても構わないが、目の前にいる人に不愉快な思いをさせる気はない。
「……トリビアでやってた…」
「え? そうだった?」
「う…、うん……。確か…そう。……見てるんだ?…」
「うん、たいていね。その日のは見逃したんだと思う。覚えないもん」
「そう……」
「磯崎クンでもテレビなんか見るんだねえ。他には好きなのあるの?」
「開運!なんでも鑑定団」
「ああ、面白いよね。私にはよく分からないのが多いなあ。絶対騙されそう。磯崎クンは何が好き?」
ビスクドールと答えそうになり、慌てて言い換える。
「西洋骨董品」
「お家が喫茶店だからね…。お家の人って趣味が似てるの?」
「俺の趣味は……どちらかというと、バカにされてる。佐山さんは?」
「うちはバラバラ。私は叱られっぱなし」

さもないことを話しているうちに佐山家の前に着いた。
とりあえず「セーフ」だっただろうか。

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「ただいまー」
美佳子ののんびりとした声が聞こえたとき、リビングでは異常な緊張が走った。
「今日はわざわざおこし頂きまして」
母の声が被る。
「退院、おめでとうございます」
と、くぐもった声。
「まあ〜、すみません。気を遣ってくださって…」
母がそう言ったとき、海野が立ち上がって玄関に向かった。
父子が呆気にとられていると、海野がケーキの箱を持ってリビングを突っ切っていった。

「なかなか礼儀正しい青年じゃないか」
なぜか父の声が上擦っている。
「みかねえより1コ上なんだから当然じゃないのか」
「……そうだな」
「………」
「おい、涼」
「何?」
「どんな人だ?」
「……知らない」
「お見舞いに来てもらっただろう?」
「何も話してない」
「ハタチにもなって気の利かんヤツだ」
「………」


ここに海野がいるのは、父と涼にとっては救いだった。
一通りの挨拶が終わり、「まだリハビリがあるんですね」と言われたときに続く言葉があったからだ。
「リハビリには俺が付き添っていくんだ」
「講義は?」
「出席にはうるさくないから大丈夫」
「おとすぞ」
「俺のヤマはあたる」
………
佑哉と海野航一の会話からようやく両親と涼は納得がいった。

大学の寮に電話しても、美佳子に連絡が付くことの方が稀だった。
女子大生になって美佳子もそれなりに遊んでいるのかと思いきや、帰省するたびにあまりの変化のなさに驚いていた。
一方、海野は佐山家に入り浸りだし、今は喫茶店に入り浸りだし、大学生になったら遊んでいても大丈夫なのかと思っていた。
美佳子が特殊で真面目すぎると思ってきたが、どうやら海野が不真面目すぎるだけらしい。
「海野、おまえは来週から付いてくるな。俺の所為で留年したと言われても困る」
「俺が付き添わなかったら、誰が付き添うんだ?」
「……オカーサン…」
「おかあさんは……」
海野が反論しようとしたところで、某ホテルのパーティセット(中華A)が到着した。


Aセットにデザートは含まれていなかったから、おもたせのオレンジタルトは有難い。
ただ、困った問題が一つ。
結局ティーセットがなかったので、佐山家でお客様に使えそうなものは急須と湯呑み――要は和食器である。
なぜか海野がキッチンにやってきて、いそいそとタルトを6等分していた。
紅茶の葉の用意はしてある。

が、せっかくセミプロが来ているのだ。
滅多に紅茶を煎れることのないおばさんが無理するより、やってもらった方が美味しくできるだろうし、良いのではないか。

涼は目を剥いたが、父も姉も海野ですらも驚かなかった。
引き出物の急須で、客に紅茶を煎れさせるのも、佐山家ならありうるだろう。
オレンジタルトはさっぱりしていて美味しかった。

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無難にお祝いが終わったので、美佳子が客を送っていった。
「美佳子が真面目すぎるのかと思ってたけど、海野クンが不真面目すぎるのね」
「いえ。俺がっ、普通です」
「でも、海野クンといい、さっきの磯崎クンといい、最近の男の子ってヒョロヒョロしてるのね」
「そんなことない。デブだっていますよ」
筋肉質というのもある――涼がブツブツ言った。

「彼はあくまでも研究室で一緒だと言うだけだろう?」
父が懇願するように言った。
「そうよねえ。真面目で大人しい人も悪くないとは思うけど……、
ほら、美佳子が連れてくるんだから、なんかこう…もっとがっしりした…井上康生みたいな人を想像してたんだけど…」
母の言うことに涼は噴き出した。
「いいオトモダチって感じでしたね」
海野も一言はさんだ。誰も反論しなかった。
「ああ、そう、そんな感じ」

佐山家の人々は思った。
美佳子は「いいオトモダチでいましょうね」というつもりでいるのだ、と。

海野は思った。
おねえさんは「オトモダチから始めましょう」と言うかもしれない。
そうすれば、紗耶香も涼もフリーになる。



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