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兄の告白

コスモスline

10月某日(月曜日)コスモス

毎度のことながら呆れる――
紗耶香は溜息を吐きたくなった。

美佳子さんも随分兄に好意的なのではないかと思う。
磯崎家の喫茶店にも遊びに来る。
今日は感心に2人きりでやってきた。
ついに、ついに、兄の方から誘ったのだ。
行先がここしかないのも微妙に情けないが、この際置いておく。

「その本なら持ってるよ」
「貸してくれる? 嬉しいなあ」
そんな会話が聞こえた。

他の女性ではこうはいかない。
共通の話題があるのは貴重なことだ。
しかも、専門だからいい。
ドールヲタ同士で盛り上がっても、恋愛には結びつかないと思う。

「こんにちは」
美佳子が会釈して通り過ぎた。
「こんにちはぁ〜」
「ごゆっくりね〜」
彼女が兄について2階へ上がるのを見届けたら、すぐにお茶の用意。
「この時期だからパンプキンパイかねえ。万一盛り上がったら悪いから、すぐに出してきてやって」
「そうだね」
伯母と妹とで期待していたのに、2人分の紅茶とパイをお盆に乗せたところで、もう階段を下りてくる足音が聞こえた。


「いつもよりいてくれた時間が短い」
「仕方ないだろう。本を借りればすぐに読みたいものだし」
「何言ってんの? 美佳子さん、そんなに急いでなかったよ。
引っ越しの時にどこかへ行ってしまったってことは、1度は読んでるんじゃない。
お兄ちゃんたら、バッカじゃないの?」
「バカとはなんだ」
いつもは最初だけ兄妹喧嘩を止める(最終的には妹の味方)伯母が、最初から妹の加勢にでた。
「……バカだよ。
だいたいねえ、佑哉、おまえ、『好きだ』くらいは言ったの?」
「は?」
「は、じゃないよ、お兄ちゃん。それは私も聞いておきたい」
したがって最初からは佑哉はダブルの攻撃を喰らう。
「いや、そういうのとは違うから…」
「好きなの、嫌いなの、どっち?」
さすがに伯母姪はコンビネーションもバッチリだ。
「嫌いじゃ……」
「好きなんじゃないよ。ハッキリしないと横からさらわれるんだよ」
「いえ、しかし……」
「なんのためにアメリカにいたのよ」
「アメリカじゃ女に言わせたりしないでしょ。こういうことは男からバーンといきなさいよ」
「………」
「日本の普通のキモヲタと同じじゃダメ。一味違うキモヲタにならなくちゃ」
……一味違うキモヲタって、何だ?
「情けないねえ。結局、こう…グズグズしてて振られるんだよ」
「まったく…このままじゃ、海野クンが涼ちゃんをお嫁にする方が先だよ」
えええ?
今、サラッと凄いことを言わなかったか?
「お兄ちゃん、聞いてるの?」
「……聞いてます」
「そりゃーねー、お兄ちゃんの態度見てれば、『私のこと好きなのかな?』くらいは思うだろうけど」
「…どうかな? あの人はそのテのことには鈍いから……」
「だったら、尚更じゃないの! 女の子ってちゃんと口に出してもらえないと不安なのよ。
鋭い人でも不安になるものなのに、お兄ちゃんにすら鈍いと言われるような人に、ハッキリしてあげなくてどうするの?
……そんなときに、たとえば中納さんが好きだとか言ったら、美佳子さん、そっちへ行っちゃうよ」
「中納は言わないだろう。もっと筋肉のないプニッとした感じの女性が良いって言ってた」
たとえばのはなしでしょ〜が〜〜〜〜〜!
自覚してよ、お兄ちゃんには後がないのよ。
ここで逃したら、キモヲタに女の子が寄ってきてくれることなんか
ぜっっっっっっっったいにないんですからね!」
「キモヲタってのはよくわかんないけど…
佑哉に後がないってのは確かだね。あんたに釣り合うような鈍い人が他にいるわけないんだから」
「でっしょー? そう思うでしょう、伯母さん?」

2人に散々責められ、佑哉は「今週中に告白して、正式に交際を申し込む」ことを誓わされた。


コスモスline

10月某日(火曜日)コスモス

振られたら翌日から辛いだろうが、そのことばかりを考えて日々を過ごすのも辛い――
迷ったが、すぐに言ってしまうことにした。
シンプルに「好きです」。
ほんの2秒ではないか。
あとは2人きりになるチャンスを窺うのみだ。

一緒に帰ればいいじゃないか。
同じバスに乗れれば、同じ地下鉄に乗るのだ。
チャンスは多い。

「お先〜」
「じゃ、俺も……」
美佳子について帰ろうとした佑哉は、しかし、中納に呼び止められた。
「磯崎、ちょっと待ってくれ。あ、佐山さんはいいよ。同窓生の話なんだ」
「そーお? じゃあね」
物理展の原稿を見てやってくれというのだ。

引き留められたのは15分ほどだったが、佑哉にとっては15分も15時間も同じだった。
仕方がない。明日がある。


「中納さん、あれは酷いっすよー」
学部学生達は、佑哉が帰ると、ここぞとばかりに中納を攻撃した。
「俺が何をした?」
「磯崎さんがあんなに思い詰めた顔をして、佐山さんと2人きりになろうとしてるのに」
「俺達も緊張してましたよ」
「磯崎と佐山さんに何かあるのか?」
「これから、これから」
「佐山さんのことだから、ヘタにムード出して迫ったら、『ギャハハハハー』とか笑われて、バンバン叩かれそうだよな」
「磯崎さん、骨折してくるぜ、きっと」
どうやら2人が恋愛の少々手前の状態にあると話しているようだが、そんなことは聞いていない。
中納はイライラしてきた。
「いったい何の話だ? 磯崎なら知世ちゃんとかいうカノジョがいるんじゃなかったのか?」
学生達はどっと笑った。
「CCさくら、知らないっすか?」
「メカに強い女の子」

最初は訳が分からなかった中納だが、後輩達に説明されるうちに何となく分かった気になった。
「……悪いことをしたな」


コスモスline

10月某日(水曜日)コスモス

今日こそは、と佑哉は思った。

それにしても、おかしい。
先週までは2人きりになったことなどいくらでもあったのに、今週は一体どうしてしまったのだろう?

佑哉が学生の共同研究室のドアを開けると、美佳子と博士課程の院生がいて、2人で話し込んでいた。
美佳子の方は佑哉に気が付いて、少し片手を上げて挨拶をした。
「うちなんか自営だからさあ、利益の割りには見た目の売上高が多いんだよね。
奨学金を受けるためには親と別の世帯にならなきゃいけないよなー」
「……そうですね」
「佐山さん、結婚してくんない?……俺と…」
「戸籍を貸せ…って、ことですか?」
「まあ、そうなんだけど。就職できたら返すってことで。……戸籍を汚しちゃうから、そのままでも……」
「それはイヤです」
「…だよなー。ごめん、ごめん」

彼が謝った途端、ドアが勢いよく開いて、血相を変えた中納が入ってきた。
「磯崎、佐山さん、ちょっと来てくれ」
彼が切羽詰まった様子だったので、2人とも立ち上がった。
「何だ?」
「どうしたの、中納さん?」
「いいから来てくれ」
そう言うと、中納は小走りになった。

3人はひたすら階段を上り続けた。
エレベーターはあるが、学生・院生はやむを得ない場合以外は使用禁止となっている。

「屋上に何かあるのか?」
「いいから、2人ともでて」
中納に押されるように、2人して屋上にでた。

ガシャン

扉を閉められてしまった。
「頑張れよー」の声が遠ざかっていった。

「頑張れ、って……何?」
「何だろう?」
2人は周囲を見渡し、
「あれかな?」
それらしいものを見つけだした。

「ははーん、わかった。数学科で突然ブームなんだって」
「なるほど。数学科はすぐに屋上だから。……対抗戦をやる気なんだな」
「練習しておけ、ってことか。磯崎クン、得意?」
「球技系はさっぱり。走ったり跳んだりする方が得意」
「ああー、陸上なんだ。私は……」
「格闘技だろ」
「ははは、ばれてるしー」

……覚えてるんだよ。


1時間後、中納に頼まれて扉を開けに来た高崎は、
さわやかな秋の陽の下、バドミントンで汗を流す男女の姿を見た。


コスモスline

10月某日(木曜日)コスモス

「あー、磯崎クン、いたいた!」

図書館を出たところで佐山美佳子に会った。
「(第)2食(堂)、いこっ!」
「うん。いいけど…。何かあるのか?」
「秋の新メニュー。物理はまだ誰も試してないのかって数学に言われちゃったんだよ。
だからね、みんなで行こうって話がまとまったの」

よく見れば、向こうに物理の院生と学生がほぼ勢揃いしていた。
2食に近い経済学部ならともかく、同じ理学部棟の連中の情報だから、女子が飛びついたのだろう。
男子はよくわからないまま女子に付いてきたに違いない。

時間的に遅すぎたせいか、新メニューは売り切れていた。
中央付近を女子が陣取り、思い思いの昼食をはじめた。
周囲の連中が気を利かせ、佑哉は美佳子の隣に座っていた。

「でもさー、すっごく意外な取り合わせだよね」
レーザーを専門とする修士課程の女子が突然指摘した。
「あのお堅い、いかにも才女然としてた佐山さんが、いつの間にか磯崎さんといい雰囲気になってるんだもん。ビックリしちゃった」
佑哉はぎくりとした。美佳子が何と答えるのか。
聞くのが怖い。
美佳子の方は動揺した様子はなかった。
「うん。今、一番好きな友だちは磯崎クンだよ」

あ……!

彼女は俺を好きでいてくれたのだ…。

俺の方から言うつもりだったのに、先を越されてしまった――
この人数に冷やかされたら恥ずかしいな――
後で2人きりになったら、俺の気持ちを素直に伝えよう――

「そ…そうなの?」
カマを掛けた院生はなぜか俯いてしまい、からかおうとする様子はなかった。
「磯崎…」
隣から肩を叩かれたのだが、
「ちょっと、中納さん」
3年生のひとりが中納を出入り口付近まで引っ張っていった。

戻ってきた中納は佑哉の肩をもう1度軽く叩いた。
「今夜は飲み明かそう」
「今日の予定は…今のところないが、徹夜はイヤだ」
「いいから…何も言うな」


先日喫茶店を訪れた学生のうち2人が紗耶香を訪ねてやってきた。
「今晩は磯崎さん遅くなるけど、何も聞かないでやってください」
物理学科のほぼ全員がいるところで、美佳子が佑哉を「オトモダチ」だと宣言したのだと、彼らは報告した。
「…そうだったの……」

急がせすぎた…と紗耶香は思った。
今週の兄はやる気満々だったのだ。
逃げ回っているばかりだったと言っても良い兄のやる気を、伯母も自分も歓迎していた。
しかし、いくらやる気があったところで、あのヲタの雰囲気が消えるものでもない。
ヲタが脂ぎったら、女の子が逃げるのは道理ではないか。

「中納さんだけじゃ不安なんで、高崎クンも付けました」
「中納さんが不安って、なぜですか?」
「それがね、中納さんは昨日まで磯崎さんが佐山さんにアプローチしてたことに気が付かなかったんですよ」
「え?」
あの《告白する》オーラに気が付かなかった人間が美佳子以外にもいたのか。
実験物理をやろうという人間は鈍いものなのだろうか。
「今日だって『友だちになれて良かったなー』なんて祝福しかねなかったんです。
俺が慌てて説明しましたよ」


コスモスline

10月某日(金曜日)コスモス

早めに酔って気持ちが悪くなってしまった高崎を下宿に運び込んだところで、男3人で寝てしまった。
不覚である。
「俺も佐山さんが一番好きだ」なんぞと言うには時間が経ってはいけないのだ。
幸いあまり飲んでいない。
中納が「男は辛いよなー、何も言えないよなー」とひとりでグイグイあおり、
高崎は2人の院生をじっと見つめてちびちびと飲んでいた。
全然知らなかったが、中納が失恋でもしたのだろうか?

大急ぎで帰宅し、ザッとシャワーを浴びた。
小言は後で聞く。
早朝5時。起きているだろうか?


この日、海野が泊まっていた。
海野は「文理2年有志」の仲間と共に学祭で何かをやるらしいので、物理学科の学生とも親しい。
そこで物理学科の噂にも明るいのだった。
美佳子が公衆の面前で男を振ったのだと海野が興奮気味に言った時、佐山家の家族は誰も信じなかった。
「嘘だと思うなら、お姉さんの帰りを待とう」と海野も自信満々で待った。
ところが、美佳子の帰りはいつもより遅く、すぐに道場に出かけてしまった。
美佳子の様子はいつもと全く変わらなかった。
両親も弟も信じられなかったが、海野は
「遅くなった上、平静を装っている。俺の言った通りだろう」
とますます自信を深めた。
海野の説明を聞けば聞くほど、たしかに美佳子が磯崎佑哉を振ったに違いないのだが、一体どうなっているのだろう。
そうこうするうちに、海野が泊まることになったのだ。

海野が泊まるからには早く起きなければならない。
ささやき攻撃はたくさんだ――
涼は早寝早起きを敢行した。
ただ、少々早く起きすぎたらしい、まだ5時じゃないか。
涼は早朝から窓を開けた。

しかし、噂の主・見慣れた男が近付いてくるのが見えた。
「…諦めの悪い男だな…」
早朝から非常識だ、あんなやつ、振られて当然だ、と思った。

姉の部屋からかすかな音が聞こえた。
見るうちに、いつものジーンズ姿の(でもノーメイクの)姉が玄関から出ていった。
「みかねえ…?」
姉の方から差しだした手を、あの気にくわない男が握った。

「雨降って地固まる、というヤツだったらしいな。
涼は甘ったれだからお姉さんをとられて悲しいんだろう?
俺が慰めてやるから……」
いつの間にか起きていた海野は音もなく涼の後ろに立っていたらしい。
海野は涼にもう1度ベッドに戻るように誘った。

バキッ!

何が雨降って、だ。
姉はあの男を振ったのだろう? ほだされてはいけない。
涼は大急ぎで着替え、姉たちを追った。


コスモスline

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