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2006/9 19歳クライシス 健康な経済… 進化の過程で… 「国旗国歌強制…

9月24日

「国旗国歌強制は違憲」に思うこと

私自身は国歌斉唱の機会には立って歌う。
「君が代」の歌詞は「日本に住む人がみな長生きしたいものだと思える国を作ろう」という内容だと解釈しているからだ。
戦後に国歌と制定されたのだから、そういう意味でなければ、と思っている。

この頃ではカルトでさえ「おりこうさん」になっている。
親がカルト信者という子は、信者でない自分の祖父母をサタンと罵ってなんら良心の呵責を感じないが、「校歌」は口パクして歌っている振りくらいはするものだ。
後で「元同級生」に布教していく際、警戒されないようにするためだろう。

「君が代」の歌詞は天皇への絶対忠誠を誓う内容だという解釈もある。
この解釈を採るのは、熱烈に賛成している人と熱烈に反対している人だ。
彼らにとって、勝手に民主主義解釈をしたり、口パクしたりすることはどうなのだろう?
様々な解釈があるのは仕方ないと思うのか、愚かだと思うのか、認めないのか。
彼らの方の感想がどうあろうと、私は多様な考え方があって良いと思う。

先日、「国旗国歌の強制は違憲」という判断が示された。
「民主主義解釈OK、口パクOK、軍国主義解釈で賛成OKだが、軍国主義解釈で反対はNG」という罰則を伴う通達をしていた東京都に、それはダメだといったわけだ。
精神面に踏み込む問題(思想・良心の自由をもつ心の問題)は罰則で脅して強制すべきではない、と。

この判断に対して、「国旗国歌を否定してOK」という判断だと思い込んだ非難がネット上で目立つ。
罰則で脅すことの是非を問うたのであって、国旗国歌自体の問題は原告の思想的背景としてしかでてこないように見えるのだが。
国旗国歌の問題自体に踏み込んでしまうのなら、民主主義解釈を採る私に出る幕はない。
そちらの問題は、軍国主義解釈をしてはじめて議論が噛み合うのだから。

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9月17日

進化の過程で獲得した貴重な「親子」(母子中心で)

昨日、京都大学霊長類研究所主催の「東京公開講座」に出席してきた。
講演内容はそれぞれに面白く、知的に興奮した。
松沢哲郎先生の講義には、知的興奮ばかりでなく、感動もした。
帰宅後、154cmにも成長した娘を膝に抱いて「こぐま(仮名)が好きだよ」と繰り返したバカは私である。

地球上の生物種のうち「子育て」をするのは少数派(哺乳類と鳥類、一部の恐竜と爬虫類)で、圧倒的多数は産みっぱなしだ。
次世代に投資する行動が出現したのは2億年ほど前らしい。

母乳で育てる哺乳類の時代は恐竜の後、6500万年前から。

まず、子どもからお母さんにしがみつく行動が進化。
この行動は哺乳類4500種のうち、霊長目220種だけに見られる。
原猿類では赤ちゃんが勝手にしがみついていて、お母さんは何もしていない。

お母さんも子どもを抱くのは真猿類。ざっと3000万年前に出現した行動ということになる。
といってもニホンザルはお母さんが手を離しても、子どもはしがみついていられる。
(ニホンザルの赤ちゃんは人間で言うと生後8ヶ月に相当するくらいまで胎内で成長する。)
チンパンジーのお母さんは常に片手を添える。人間のお母さんは両手で赤ちゃんを抱く。

お母さんが必ず抱くと、母子は向かい合うことになる。
これを松沢先生は「見つめあう」「微笑みあう」関係と表現する。
ヒトとチンパンジーの分岐が500〜600万年前と言われるから、その頃には母子の見つめあいのやりとりは出現していたけれども、その伝統はあまり長くないだろうと思われる。
残念ながら、ゴリラ(800万年前に分岐)やオランウータン(1500万年前に分岐)はどうかという話が出てこなかった。

そこで、チンパンジーの赤ちゃんは夜泣きをしないと聞いた。
ヒトの赤ちゃんは仰向けに安定して寝ていられるが、チンパンジーの赤ちゃんにはそれができない、
チンパンジーのお母さんは常に赤ちゃんを抱いているので、赤ちゃんは泣いて親を呼ぶ必要がないのである。
ヒト以外の動物は仰向けで安定して寝ていることができない、ヒトの赤ちゃんはちょっと寝かしておくことができるので、泣いて親を呼ぶことになる。

ヒトだけに見られる親子関係は「声をかける」こと。
常に抱いているわけではないからこそ生じた関係なのだ。
ということは、進化的には、赤ちゃんを年がら年中抱くのではなく、自分のこともきちんとやっていて、泣かれたら慌てて抱く母が正しいじゃないか。

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9月7日

健康な経済のために頑張って!

新宮生誕ニュースに隠れてしまったけれど、気になるニュースが2つあった。
一つは後藤田正純金融担当政務官辞任表明のニュース。
もう一つは日本経団連の御手洗冨士夫氏が中国の温家宝首相と会談したニュースだ。

資本主義で社会が運営されていくと、どうしても経済格差が増大する。
持てる者と持たざる者の利害対立を、富の再分配によって調整するのが、政治の役割である。
再分配の具合をどの程度に持ってくるのかが、政治家の腕の見せ所だ。
格差を増大するに任せていると、やがて格差は階級として固定し、経済活動の成長が停まってしまう。

厳然とした階級社会なら、たとえば日本の封建時代や、経済テイクオフ前のアジア諸国を思い浮かべることができる。
個人がどんな才能に恵まれていようと、その階級を超えて上昇することは決してない階級社会。
下層階級が豊かになる見込みのないゼロサム経済。
そのかわり誰もが分際を心得、定められた職業をこなす以上の努力はしない、秩序ある安定した社会。
明治天皇(のブレーン)は「五箇条の御誓文」でそれを「旧来の陋習」と表現した。
そして、国際的な非難を浴び続けてもなお頑強だったインドのカースト制は、資本主義の導入発達と共に崩壊している。

社会を生物に喩えるのは禁じ手だが、資本主義にとって経済格差は宿便のようなものなのだと思う。
どうしても生成されるが、それを排出しなければ成長が止まってしまう。
資本主義社会も、よく食べ、よく出すのが良いだろう。

今のところ排出器官として思いつくのは社会保障政策や累進課税だろう。
便秘の元になりそうなものを取り除くことも大事だ。
グレーゾーン金利はその一つだと思う。

食べる方は国内需要や貿易を思い浮かべることができる。
その貿易だが、日本にとって重要な相手国アメリカの景気が急速に悪化しそうだ。
来年には、アメリカ発の世界不況が起きそうだと予測されている。
そうなると、アジア諸国との連携を強めて、世界不況の影響をできるだけ弱めておきたい。

日本の資本主義が健康体になれるように。

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9月1日

19歳クライシス

私は1度悪徳商法に引っかかったことがある。
18歳、高校卒業して2ヶ月ほどした頃だ。
職場に電話がかかってきて、「重要な用件」があるから指定された場所に来いという。
いきなり命令というのも、今になって考えれば失礼だが、当時の私には命令口調でない大人はいなかった。

お定まりの長時間拘束、ローンの強要をされ、口外しないと約束させられた。
当時の私には進学資金を貯めるという目的があったので出費したくなかったのだが、「ノー」は言えなかった。
現代っ子ならともかく、当時は高校生くらいまでは「ノー」を言えない。
学校でも家庭でも、大人に逆らったり、依頼を拒絶したりすれば、激しい非難と制裁が待っていた。
しぶしぶ引き受ける以外になかったのだ。
「しぶしぶ」という態度を取れればマシで、場合によっては「素直な態度」を取らなかったことが叱責された。
この時も当然のように従った。

後にこれが「悪徳商法」であると知った。

この年は職場にも家庭にもひっきりなしに電話がかかってきた。
幸い2度目は英会話教室の勧誘電話で「(STEP)英検の2級をとれます」というものだった。
「2級ならもってます」私は初めてノーを言えた。
次からは簡単だった。
いらない、仕事中に電話してくるな、と迷惑していることを伝えられるようになった。
そこで、職場の先輩達が「新入社員あてには内容を確かめてから電話を取り次ぐように」総務課に苦情を言った。
他の新入社員達も電話攻勢には閉口していたが、どうしたらいいのか分からなかったのだ。

大学の新入生になった時、私は悪徳商法のおかげでノーを言える人間になっていた。
大学の場合、新入生に近付いてくるのはカルトである。
指導教官達も注意を喚起していたが、新入生にはなにがなんだか分からないだろう。
さもなければ、すでに親からしてカルトだろうか。

「アンケートに答えてもらえますか?」と言ってきたのは、飾り気のない女性だった。
恋愛や結婚に関する内容で、ごくありきたりであった。
恋愛は素晴らしいものだと思うか、将来結婚したいか、といったイェスと答えさせる設問が多かった。

声をかけてきた女性の人柄が良かったので、その後雑談したり、一緒に昼食を食べる程度には付き合った。
「聖書の新解釈」の話も聞かされた。
そして「あなたは好きだけれど、あなたの宗教には同意できない」と言って別れた。

カルトに誘われたのに、ほんの1ヶ月程度で解放された(被害もなし)のは不思議だ。
ノーを言えるようになっていたことと、学力だけでなく経済的な意味でも自力で大学に入り、自信に溢れていたことが良かったのか、とも思う。

その後、オウム真理教の事件が起きて、カルトには純真無垢な若者が惹きつけられることを知った。
悪徳商法でもカルトでも、最高の狙い目は19歳だそうだ。
教育基本法を改定するなどの意見が騒々しいが、どうせ改訂するなら「目上に対してもノーと言える人間」を育てるべく改訂してみてはどうだろう。


安○さん、妙に抽象的な事ばかり言ってたけど「教育」を睨んでるのが怖かった。理科(特に生物学)を目の敵にするんじゃないかって。それでなくても理性の足りない人たちをさらに感情的にする方向へ導いたりしないよね?

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