常識を覆して売りましょう!
先日、娘の学校の文化祭に行った。
障害者授産施設がいくつか来ていて、雑貨やお菓子を販売していた。
頑張っているなあ、と素直に思ったが、常々不満に思っていることがある。
たまたま仲の良い人が販売していたので言ってみた。
「おつかれー。ところで、おにぎりでもない? ご飯食べたい」
雑貨とお菓子しか販売してはならないということはない。
学校の文化祭に入るのなら、ご飯の需要は高いだろう。
教室のロッカーを使えない子どもと親たちが展示を見て回っているのだから、
雑貨は別の機会にして、食べ物だけに特化してもいいような気がする。
「ご飯は残ったときの損失が大きいから、やってみたことはないよ」
「まず売れ残らない量から試していくのも手じゃないかな」
私の素人考えは単なるアイディアにしかならないのかもしれない。
しかし、今までやったことがなくても、販売戦略をたてるという発想をしてほしいと思った。
頑張ろう!
勧誘電話の謎
最近の流行は「マンションのオーナー」なのだろうか?
化粧品や健康グッズはめっきりと減り、教育関連と節税ものが増えた。
教育関連は子どもがいる以上仕方がないとして、先々月まで事実上失業者だった私に「節税」とは苦笑するばかりだ。
10年前かそれ以前の名簿がいまだに出回っているのだろう。
しかし、そうした男性並みの収入を得る女性を釣る目的で、電話をかけてくるにしては奇妙なことばかりだ。
自ら名乗らず、まずターゲットを電話口に呼び出せという。
「どなたさまですか?」と問われて初めて社名を明かす。
しかし、社名を曖昧な発音ですばやく言ってしまう。
「社名はゆっくりはっきり言うのが常識だ」と心得ている成人には、この時点で商談は終わってしまうのだ。
ついで夕方に既婚女性に電話してきているにかかわらず、世間話から入ろうとする。
「3分以内でお願いします」
そんなこともこちらで言わなければ、延々と拘束されることになる。
物件の話にたどり着くまで容易ではない。
時間を区切ると、物件の話は出てこない。
その代わり、類似の電話があったのかと問われることになる。
ええ、あったともさ。
あなたのと同じわけの分からない商談もどきが山ほど。
見ず知らずの営業と言い争いをしても意味がないだろう、
悪態は呑み込み、簡単にあったとだけ答えると、
マンション経営に興味はないのか、節税になることを知らないのかと訊いてくる。
やはり喧嘩を売られてるんだろうか?
このような不備だらけの勧誘電話で、本当に売る気はあるんだろうか?
ターゲットを不愉快にするのが真の目的ではないかと思えて仕方がないのだ。
努力なんか認めません
「目的のために手段を選ばない」では殺伐としている。
しかしながら、言わせてもらおう。
「結果よりも経過(努力)が大事」よりはよほどマシである、と。
先日、待ち合わせ時間に関する問題が生じた。
ある時刻に集合することが恒例となっていたが、メンバーに遠隔地に住み小さな子どもがいる人がいた。
集合場所までどんなに時間がかかるか、想像がつくメンバーは彼女に30分の時間変更を申し出るように提案した。
しかし、彼女は努力してみてからにしたいという。
志はたいへん立派だ。
しかし、彼女がそこに間に合うためには、子ども達が早起きをしなければならない。
子ども達が一定期間早起きをし続ける保証などないのだが、彼女は「頑張らせる」と言う。
私なら、自分と家族のために、集合時刻の方を変えてもらうだろう。
子どもは親に言われた通りの時刻に起き続けるかも知れない、
しかし、不確定要素が含まれる時はリスクは大きめに見積もっておくべきだと思う。
「他のメンバー全員を無為に30分間待たせる」状況だけは避けたいからだ。
努力は貴い、
だが、結果に優先するものではない。
思いついた時に言い出すのが親切
同じ日の夕刻。
別の人から問い合わせの電話をもらった。
この人はファクシミリやメールなどの伝達手段は極力使わず、固定電話かどうしても通じない時に限って携帯電話にかけてきてくれる。
ファクシミリやメールは事務的になりがちであり、電話、就中固定電話には人間的な温かみがある……
そうした主張には頷けるが、人間的温かみは正確さに優先するものではない。
翌日に必要な情報や人の名前の問い合わせのために電話をしてくるのはどうか。
私はどういう漢字か、どういうスペルか、口で説明するうちにイライラしてきた。
そもそも、なぜ間際に電話なのか。
いや、その発想には同意しないが、理解はできる。
差し迫ってもいない事案のために相手の時間を割くのは失礼だと、私のために気を遣ってくれたのであろう。
しかし、この時の私は大変にタイトなスケジュールだったのだ。
この時に電話してきてくれるくらいなら、前日の夜中に叩き起こしてくれた方がまだマシだと思ったほどだ。
その数日前、私は別の人に「依頼事があれば今言って」と迫った。
その方も、週末くらいゆったりと過ごすべきだと、私に気を遣ってくれたのだ。
気遣いはありがたいが、不要である。