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カーナビが… 昔からいじめに… 地元保護… 普通の人が一番

12月24日

普通の人が一番

「英雄色を好む」と言われる。
洋の東西を問わず、古来の「英雄」はたいてい配偶者以外の女性との婚姻関係がある。
しかも、奥様の方もそれを承知していたりする。
一般に、高名な男性の浮気に関しては大変に寛容、女性の場合は高名であればあるほど非寛容であった。

ところが、その「常識」に反する出来事が起きている。
最近では 税調会長が辞任に追い込まれたことだろう。
宇野内閣以来、こうした問題に対する世間の目は非常に厳しくなった。
これはきわめて女性的な感覚だと思う。

妻というもっとも身近であるはずの人間の痛みに無頓着な人物ならば、
まして面識のない庶民の痛みなど考えることはないだろう―――
と思えてしまうのだ。
前内閣の時代から「痛みに耐えろ」と言われてきたけれど、言う方もつらいだろうと思うからこそ「仕方ない、頑張る」と決心できるのである。
人に痛みを強いることに良心の痛みを感じないリーダーに言われて、頑張れるはずがない。

私も、威勢の良い「英雄」よりも、血も涙もある普通の人に1票を投じる方である。

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12月10日

地元保護できないのかな

流行のように地方自治体の長の不祥事が露見する。
その中で「珍しい」のは宮崎県のケースだ。
事件そのものは官製談合というものだが、地元ではなく東京の業者に受注させろという「天の声」を出していたのだそうだ。

癒着は普通なら地元大手とするものだろう。

完全な自由競争にしてしまうと、どうしても体力のある東京の資本に有利になる。
政治的な介入ができにくい外食産業で、地元のレストランの多くが規模縮小や廃業をし、全国展開するチェーン店がそれに取って代わっているように。
危機感を持つ地元業者は様々な対策をとり、一部の業者は政治と結びついての生き残りを図る。
地方政治の側も、単純に公共事業を発注するだけでは、資金が東京へと吸い上げられてしまうことを十分承知しているのだろう。

圧倒的に不利な地方の現状をさらに悪化させないための必死の方策だとは思うのだが、やはりイメージを悪くするのは密室で行われるからだろう。
そこで、おおっぴらに地元有利にしてしまってはどうだろう?
EUの農業政策ばりに地元産業に保護をかけるのだ。
県外の業者には「入札参加税」をかけ、しかも各部署ごとに上限を設けるのである。

予算の削減か地元産業の育成か、それぞれの自治体で選べればなお良いと思う。

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12月3日

昔からいじめにぬくもりはない

いじめ問題にはどうして中高年以上ばかりがコメントするのだろう?
コメントを許されると言うべきか。
コメンテーターは口をぬぐっているが、昭和40年代のいじめだって十分姑息で卑怯だった。
「チクるな」「子供のけんかに親が口出しするな」
優勢な加害者をさらに有利な状況にするための理屈は昔からいくらでもある。

ガキ大将は仕切りはしたが、あくまでも自分に一番都合の良いようにルールを決めた。
ガキ大将にも間抜けな部分があったり、頭の上がらない相手がいたりするから、
グループの他の子も一時的な逆転ができる場面があったというだけのことではないか。
のび太でもジャイアンを出し抜くことができるように。

母親が働くのがけしからんという意見に至っては、なにをかいわんやだ。
当時圧倒的多数だった専業主婦は「いじめられる方が悪い」なんぞというDV加害者の理屈もどきに納得して、我が子に二次被害を及ぼしていた。

昭和20年代の話だが、被害者に障害が残ったケースもあると聞いている。
もっと昔なら「村八分」という地域社会をあげての凄惨ないじめがあった。

コメンテーターは元いじめ加害者なのか?
だから過去のいじめを美化するのか?
全員元加害者とも思えないが、あんまり不快になったのでTVを消した。

いじめに関わったことのない人間はいないだろう。
無自覚なだけで。
無自覚?
それとも隠しおおせていたと言うべき?
隠しおおせたから忘却できたと言うべき?
コメンテーターの発言内容がいじめそのものであった。

現代だけの問題にすり替えることによって、何も解決しなくなる。
いじめがおこる原因や背景論はもういい、
発言者は自らが属する世代をいいこにしたいだけのようだ。
むしろ、私たちが「家と学校がすべて」「家と職場がすべて」という、逃げ場のない状況におかれているのを解決していく方向でどうだろうか。

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12月2日

カーナビがぐるぐる動く理由がわかりました

先日、車に乗せてもらい、地図を頼りに行く経験をした。
最初「君の車はどこ?」と訊かれたから、公共交通機関はおろか、徒歩の経験も少ない方だろうとは思った。
カーナビも装着していなかったから、普段は決まった道路だけを通っているのだろう。

助手席の私は「西へ曲がって200m」とか「南へ3キロ」とか言っていたのだが、しばらくして運転者からリクエストされた。
「右左だけでいい」
つまり「次の信号を右(左)」方式オンリーで指示してほしいというのだ。

はい?

車でしか移動しない人は、目的地までの道程が点と線でイメージされているらしい。(左右以外の情報は不要である。)
それに対して、公共交通機関と徒歩に頼る私は、目的地まで平面のイメージを持っている。(方向と距離の情報が必要である。)
常々カーナビの地図画面がぐるぐる回ることに「見ていると気持ち悪くなる」と不満を持っていたのだが、点と線でイメージする運転者には必要なことであったのだ。

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