F5バナー
HOME日記メールフォーム  

地方への礼儀
格差は男性にとって…
人口減少と公共減少
どっちにするの?(教育)

1月20日

どっちにするの?(教育)

今朝NHKニュースで今後の教育について報じていた。
授業時間の増加、体罰の復活、警察との連携、教科書の質量増加…

これは「あぶはちとらず」になるのではないかと思う。
「自分自身の頭で考える」と「従順に“上”に従う」の両方向を同時に強化しようとするからだ。
最悪の場合、自分自身の頭で考える習慣がついた生徒に対して、教師の側が体罰という脊髄反射的な指導をしてしまう可能性がある。
そうした組み合わせでは生徒が教師に対して不信感を持つかもしれない。
逆に、自分自身の頭で考えることなく“上”に従う生徒の場合は、体罰を行う教師には従うが「おとなしい先生」の指導には従う必要がないと考える可能性が高い。
要するに現状と同じだ。

だが、教育が取りざたされるたびに思う。
スタートはいつでも「今の教育」批判だ、「昔は良かった、今はダメだ」という。
昔は「先生の目を盗んで悪事をはたらく悪童」や「大人には叱られる一方な分、下級生には威圧的に振る舞う上級生」などはいなかったとでもいうつもりだろうか?
そうした体験を通して、高潔な人柄は貴重な存在であるとか、実力のない者ほど自らの立場を悪用する傾向があるとか、といった現実を学んでこなかったというのか。

荒れた学校の優等生は、学校では悪童につきあうふりをしておいて、塾で学習を進めてしまう。
あるいは受験を利用して、学習に打ち込める環境を求める。
この子は塾で学習し学校で人間関係を学んでいるのだから、「塾は必要ない」を建前にされるのは困るだろう。

議論をするのは大事なことだが、建前だけを前提にしているようで不安である。

△ page top

1月13日

人口減少と公共減少

年末大がかりなイベントに参加し、その帰りに驚いたことがある。

最寄り駅のプラットホームは帰路につく参加者でいっぱいだった。
早めに引き上げたのだが、やはり混雑からは逃れられない。
やがて電車が入線してきた。
人々が次々に電車に乗り込む。

が、最後尾でもないのに、扉のところで反対側を向いて止まってしまう人がいる。
彼(彼女)の後に続いてくる人が多くいるにかかわらず、である。
彼(彼女)は頑なにそこに留まり、決して奥に詰めようとはしない。
列の後ろに続く人が列車に乗れようが乗れまいが、そんなことは彼(彼女)の関心事ではないのだ。
電車は次の駅に止まる。
彼(彼女)はそこで降りるわけではない。
多数が降りる乗換駅で降りていくのだから、扉に張り付いていなくても降りられる状況にある。

これは田舎の子ども(しばしば青年)にはよくある行動パターンである。
自らは扉に張り付き、通路に鞄を置く。
乗り込んでくる人の足が鞄に触れようものなら
「しんじらんな〜い」「ありえな〜い」と非難の声を上げるのだ。

外出しても移動中は私的空間に包まれる自家用車と違い、公共交通機関では公共に直に触れることになる。
そのことが意識されないまま、プライベート感覚が公共に垂れ流される。
注意すべき大人はそこにいないか、いてもあまりに少数なので「逆ギレ」をおそれて見て見ぬふりをする。
ほとんどの大人が公共交通機関を利用しない田舎で培われてしまった感覚が、都市にも持ち込まれる。
彼(彼女)は田舎の流儀が都市では非常識であることに気がつかないままだ。
本来公共であるべき場所がどんどん縮小していると思う。

△ page top

1月8日

格差は男性にとってより過酷に作用すると思う

日本版ホワイトカラーエグゼンプションについて。経営側は「年収400万以上」をその目安として提示した。
いくらなんでも年収400万の男性に青天井残業を要求するとも思えないので、これは女性の専門職をイメージした基準ではないかと思った。
女性で「年収400万」ならけっこうな高給取りだからである。
自分自身の就職をかけてでも、これに本気で反対できるのは、男女雇用機会均等法以降生まれの女性くらいではないだろうか。

これがその通りに通ったと仮定する。
経営者が業界全体の盛衰を意識するのは変化が生じてからの話で、まずは自社利益の最適化を図るだろう。
ものやサービスの質を維持しつつ人件費を低く抑えるには、このような陣容になるのだろうか。
責任者…男性。年収700万〜
責任者補佐…男性。年収410万。
専門職@…女性。年収420万。
専門職A…女性。年収140万。(原則定時勤務)
非正規社員…男女。日給。

こうなると、女性は正社員になれる確率が比較的高く、青天井残業の400万か定時の100万ちょっとかを選べる。
一方、男性の方はごく狭き門に青天井残業、大多数が不安定雇用となってしまう。

ここで従来型の「家庭」が成立するのは、男性が正社員であるケースだけだ。
ただしそこに「父親」は存在できない。
彼は家族にとって「あしながおじさん」となんら変わらないだろう。

従来型の「生活」を成り立たせるという点では、女性同士の同居でもよさそうだ。
年収100万ちょっとで独居は無理だが、100万ちょっと同士での二人口なら養える。
3人集まれば、その中の誰かが「結婚はしないけど、子どもがほしい」と言い出しても何とかなるかもしれない。

こうした変化による少子化の加速が社会に影響を及ぼすよりも早く、金融業が危うくなるだろう。
将来の収入が見込めるからこそ、貯蓄やローンが成り立つのであり、見通しの立たない人間には(よほど金銭感覚が欠落していない限り)「それどころではない」。
ローンを組むことが前提となる建築や自動車産業も国内需要が激減するだろう。

この最悪のシナリオに入るまでに、何がストッパーになりうるだろうか?

△ page top

1月1日

地方への礼儀

東東海地方に住んでいると、どうしても気になるのが川の名前だ。
静岡市西側を流れている安倍川は「あべかわ」と読む。
静岡発身延線経由甲府行きの特急富士川は「ふじかわ」、
富士山の湧水で知られる駿東郡清水町の柿田川は「かきたがわ」である。

川を「かわ」「がわ」どちらでも発音するが、川名に濁音が入っていると「かわ」になるようだ。
全国版でこれらの地名が発音されるためには、何らかの取材が行われた後にアナウンサーが読んでいるはずだ。
固有名詞は正しく読んでほしい、その地方への礼儀だと思う。

△ page top

過去ログ先月の「言いたい放題」へ
過去ログ過去「言いたい放題」へ

HOME日記メールフォーム

inserted by FC2 system