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ハラスメントは…
目に見えないサービス
テクニックは諸刃の剣

6月1日

ハラスメントは無責任加害者がひきおこす

陰口をたたかれたり、これみよがしな嫌みな振る舞いをされたり、嫌がらせを受けたり。
そうした事態に遭うと、ふと「私も誰かに無意識にこういうことをしたかもしれない」と不安になるものだ。
「セクハラ」「パワハラ」「モラハラ」といった、今まで見逃されてきた不当な人間関係が話題になるたびに心配になってしまう。
ネットや書店で見かけるとそれは「誰にでも起こりうる身近な問題」である旨強調されている。
たしかにそうだろう。
事例から受ける印象は、全体的には異様であるものの、一つ一つに分解してみてしまうと身近な嫌がらせとの境界線がない。
どこかで常識を踏み越えて加害者になってしまうかもしれないという恐怖感はある。

瞬間的な加害者になることがあるにしても、せめて持続的な加害者にはなりたくない。

そこで、もう少し事例や私自身にもある疑わしい過去の経験を見てみる。
ほかに選択肢がいくつもあるのに、加害者は瞬時に最も人を不愉快にする言動を常に選び取る。
しかも、そのような不愉快な言動をするのは、ターゲットの責任であると信じている。
たまたま最も人を不愉快にする言動をしてしまった一般人の場合は、「あの人が○○だからあんなことをしたが、大人げなかった」と半分程度は反省する。
加害者は自分でやったことであるに拘わらず、全責任は被害者にあると信じているが、
一般人はやってしまったのはまぎれもなく自分であると理解している。

感情やそれを行動に移すか否かは自分自身でコントロールできる(するものだ)と考えているのが一般人であり、
自分の感情や言動がコントロールできない(しない)のが当然である、ターゲットが受け止めるべきである、と認識しているのが加害者である。

だってアイツが…、ではじまる言い訳は、たとえ子どもであっても許すまい、少なくともそこで終わりにはさせまい。
「ムカついた」感情は加害者自身のもので、被害者に責任があるのはその原因だけだ。
冷静に反論する、という選択を敢えてせず、大げさにため息をつきながら「そんなこともわからないの」とバカにした態度をとっているのは、加害者自身である。

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6月9日

目に見えないサービス

やってみたらできた、
自分にこんな能力があるとは思わなかった、
人は成長するものだと実感した、
若さを失っても学習は成立するものなのか…

人間の可能性はすべてを自覚できるとは限らない。
自覚していなかった能力にふとめぐりあって自分で驚く、という機会は多くの人にあるものだ。
統計をとってみたわけではないが、そのきっかけは業務上の必要に迫られて、ということが多いような気がする。
苦手な分野だと思って避けてきたのに業務上どうしても必要になった、
周囲が温かく励ましてくれ、本人は勇気をふりしぼった(あるいは粘り強く努力した)、
そして思いがけない成功に結びついた…というストーリーだ。

しかしながら逆のケースもあるかもしれない。
業務上必要だが、押しつけられようにして担当した、
周囲の視線は「○○大学出身のお手並み拝見」といった冷淡なもので、本人は逃げ出したい気持ちを無理矢理抑えつけて努力した、
そして当然のように失敗し、本人が得意であった分野でまでも冴えない仕事しかできなくなった…。
能力がディスカウントされた人材は賃金もディスカウントされていくことになるだろう。
同僚や後輩はそれを当然のこととして受け止め、本人も自分は無能なのだと思いこんでいくだろう。

さて、以上はよく指摘されていることなのだが、顧客として両方のケースに関わればどちらが好ましいかよりはっきりするだろう。
料金が高くてもチームとしての体制が整ったサービスを購入したい。
ことに安全性を問われるようなサービスであれば、協力体制は必須だと思う。

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6月17日

テクニックは諸刃の剣

家庭に営業員が訪問する。
先週の我が家にも2人がやってきた。

1人は生保の営業員。
新人なのだろう、話し方は稚拙だ。
指定代理請求人(契約者に代わって保険会社に請求をする人)の指定をしてほしいという案内だった。
指定代理請求人の権限は当初はリビングニーズ特約(余命半年以内と診断されたとき生前にある程度の死亡保険金を請求できる)でのみ有効だったのだろうが、現在は入院給付金の請求などにも権限が及んでいる。
保険会社によっては自動的に権限が拡大したかもしれない、この会社は契約者がさらに指定する方式のようである。
それだけ厳格に契約者の了解を取る会社の保険を契約者に事後承諾で変更するわけにはいかない、その件は後日としてもらった。

ところで、彼女の目的はもう1つあった。
情報収集である。
稚拙ではあるが、誠実そう(少なくとも自分の手間を惜しんで顧客に無理強いをすることはなさそう)な彼女に好感を持ち、アンケートには応じた。

もう1人はIHクッキングヒーターの営業員だ。
彼は話し方もしっかりしていて頼もしい印象を受けた。
セオリー通り私には「イエス」しかありえない質問を投げかけてくる。
こちらはずっと「イエス」を言わされ続け、話はトントンと進んでいった。

だが、同時に私の中に不快感がたまってきた。
我が家の事情とはずれたところ、もろもろの事情を度外視した前提で無理矢理「イエス」を言わされているのだ。
詳しい説明を聞いてほしいという段になって、私は「イエス、バット…」を言うことになった。
「説明は聞いてもいいのですが、我が家の場合今後10年ほど緊急でない家電には予算が回ることはありません、
子どもが自立するまではそちらの予算が優先されますから。
購入に結びつかなくても良ければ応じますが?」
無駄と分かっている説明はさすがに彼も辞退した。

人と人との関わりで、場合によってはテクニックが役立つこともあるだろう。
しかし、そのテクニックに関する(聞きかじりではあっても)予備知識を持っている相手にはまったく無効である。
バカ正直かもしれないが、顧客をよく見ること、そしてその人となりを活かした誠意はいつでも有効なのだ。

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