淳良が出かけると浅倉殿では大騒ぎになる。
直接の被害を被ることのない威尊親王が、簡単に許可を出すのだ。
小埜君のところに行かれては、人外の3人には手も足も出ない。


「11・初号の素」


「物の怪合体フラフラ君」に続いて、「死霊ホイホイ零号」まで親王に取り上げられてしまったと聞き、小埜君は淳良に同情した。
「他に玩具がないかしら。それにしても、あなたは上手ねえ。私が試すといつも失敗するのに。物の怪も死霊も全く集まってこないんですよ。
……ああ、そうだわ。あれがいい。あれも私にはうまくいかないんですけど、あなたなら上手に使えるかも知れないわ」
そう言って譲ってくれた玩具は「大怪初号の素」である。

小埜君の許を辞して、しばらくは何事もなかった。
朱雀大路にさしかかった辺りで、周囲の空気が重いと感じた。
右京を行くうちに、周囲を奇石や巨木の枝、動物などが飛び回り始めた。
足取りは重い。
祠の前にさしかかると、百済も吸い寄せられてきて、木石や動物と共に、淳良の周りを楕円軌道を描いて飛び回った。

漸く石段のところにやってくると、淳良に吸い寄せられたらしい重い空気や木石、動物、百済は、摂津の結界に衝突して地に落ちた。
足が軽くなった淳良は石段を駆け上がった。

龍はその時、強い力で何者かに引き寄せられていった。
地に足が着いていなくても、どんどん外へ向かっていく。
「きゃあー!」
摂津の悲鳴が聞こえた。
そちらを見ると、摂津も五郎も、龍と同じ方向に引っ張られている様子である。
何かにぶつかるに違いないと思ったのだろう。
意のままにならぬ身体だが、少しずつずれて、五郎は摂津の進行方向に位置した。
摂津も五郎の意図を察した。
「そなたが……ぶつかる」
「………」
「い…やだ、護られるだけなんて……」
3人はまともに人間にぶつかった。
「いってぇー!」
「淳良!!」
「なに……」

4人は塊になったまま、身動き取れなくなった。
そこで、厨房で下働きの者を指図しているはずの風綬を大声で呼びつけた。
「煩い奴らだ」
風綬は肩をすくめた。
廊下を渡っている時、ふと上を見上げると、とても鳥には見えないものが凄まじい速さで飛び回っている。
よく見ると、それらは円形軌道を描いて往復しているのだった。
その中には百済も含まれているように見えた。
風綬は慌てて目を逸らし、自分を呼ぶ声の方向に歩を進めた。

「風綬、助けてくれ」
「そなた、淳良から目を離すでない」
「風綬さん、助けてください」
「風綬、どーなってんの? 俺には何が何やらわかんないよー!」
複雑に絡まった4人が口々に助けを求めた。
助けを求められても、風綬にはどうしたらいいのか分からない。
茫然と立ち竦んでいるだけだ。

「摂津……淳良がカラクリを持っている……」
龍が淳良の手の中の「大怪初号の素」に気が付いた。
「うん……?」
「淳良の通力を別の力に変換して……それで……」
「わかった……淳良、カラクリを風綬に渡しなさい……」
「え?これのこと?」
淳良が「大怪初号の素」を風綬に渡すと、3人とも風綬に吸い寄せられた。
しかし、淳良の時とは違い、5〜6尺以上離れれば自由になるという程度の引力らしい。

「空を舞っていた者がいない」
上を見上げて風綬が呟いた。
「何かが空を舞ってたの?」
「ああ。美しくはないが」
「俺、見たい!」
淳良は風綬が抱えている「大怪初号の素」に手を伸ばした。
龍達もぎっしりとくっついたが、上空もまた様々なものが飛び交い始めた。
「人面石と……ああ、百済もいますね」
夕闇の中で判別が大変だろうに、五郎は目を細めて観察している。
「綺麗な半球形の結界だったんだ。さすが、摂津」
龍は奇妙な感心の仕方をしている。
「え? まあね」
地上に結界の中心をおいて、半径を設定して結界としたことはこの際黙っておく。

淳良が手を放すと、結界の縁に添って周回軌道を描いていた異形が、失速し、地に落ちる。
百済が叫んでいる。
「殺す気かー!?」
しびれを切らした親王が現れるまで、その遊びは続けられた。

初めて心ゆくまで遊んだ淳良は、「大怪初号の素」を風綬に預けることに同意した。
風綬が持っていれば、木石などはともかくとして、狐や蛇などの眷属はもとの場所に帰れたらしい。
だが、ただでさえ乏しい通力の持ち主である風綬は、この「大怪初号の素」を持っているだけで疲労困憊していた。
危険なものを決して無くさぬように、間違っても淳良に持って行かれないようにと考え、一睡もできなかった。
朝になっても彼は起きあがれなかった。


本堂では夜通し読経の声が止まなかった。
木石などを残して、朝には鎮まっていたので、僧達はこの「成果」に大いに満足した。


きっかりと仕事をこなす生真面目な風綬が、昼近くになっても起きてこない。
威尊親王は風綬に与えた房までやってきた。
親王自らのお渡りだと聞き、風綬は生きた心地がしない。
「おい……りゅ……俺をお…こ…せ……」
切れ切れの掠れた声が聞こえたのか、房の前に突っ立ったまま、
「おい、龍」
と怒鳴った。

龍が事情を説明した。
「小僧と小埜君が遊ぶと誰かが酷い目に遭うな」
仕方のない奴らだ、と続けながら、親王は声を殺して笑っている。
「笑い事じゃない。俺、禿げそうだ」
「分かった、分かった。ここに坊主を差し向ける。この中では風綬が持ってるのが一番マシだが、通力を持たない人間なら尚良いのだろう?」
「そうだ。最初から親王に相談すれば良かったな」

程なく、寺の小坊主が「大怪初号の素」を取りに来た。
少年僧に渡してしまうと、漸く風綬は安心し、意識を失った。


こうして2日ほど平穏無事であった。

風綬が気を失っている間、龍は摂津との逢瀬をこっそり楽しんだ。
実際、2人の睦言を知っているのは五郎だけであったから。


3日目の午後、講堂に置かれた粗末な小箱は別の少年僧によって持ち出された。
少年達は小箱を開けて中を改めようとしたのだが、それは決して開かなかった。
半時で飽きられた小箱は、裏手の石段下から程近い祠の中に投げ入れられた。

まず気が付いたのは少年僧達だった。
位の高い僧達が呼ばれ、時ならぬ読経の大合唱が始まった。
呆れたことに、龍達はその大音声で気付いたのである。

空中を様々なものが高速で飛び交っていた。
それは、人面石であったりガマ石であったり、あるいは老杉や老松の枝であったり、狐や蛇や蟇(ひき)……要は信仰を集める諸々のものが、決して互いに衝突することなく、しかしその軌道を複雑に交差させて、飛び回っていたのである。
それらが何を形作っているのか、彼らは分かっていた。
「百済……」

高速で飛び回る物々で、構成された巨大百済がそこにいた。
そのような「大怪」百済に攻撃されたなら、摂津の結界も四散するであろう。
大怪百済は「首」をゆっくりと左右に振った。
「おおお〜〜〜」
それから「顔」の前に「両手」をかざし、左右の掌を開いたり閉じたりした。
「日中でも活動できる〜」
それらは勿論のこと、様々なものでできているのだが、大怪百済からすれば身体の構成部位に違いないらしかった。
「ゆ……優衣君…」
大怪百済は百済邸の方向に体躯を向けた。

このままでは京が踏みつぶされてしまう。
「摂津ー!」
淳良は摂津の袖を握りしめた。
「優衣君の家がせっかく修理ができてきてまともになってきたのに、百済に壊される! 止めて、止めてくれ!」

摂津が何かを答えようとした時、龍が首に掛けていた水晶の玉の飾りを外した。
それを風綬の首に掛けながら、
「淳良、摂津に無理を言うな。この結界から出たら、摂津や五郎は大怪百済の一部にされてしまう。俺が行くから心配するな」
という龍の声は強い。
「龍なら大丈夫なのか?」
大怪百済の一部、などと考えてもみなかった淳良はおそるおそる聞いた。
「俺なら真っ直ぐ心の臓に到達する。だから、あれを止めてくる」

人間達はほっとしたようだが、摂津と五郎はハッとして龍の前に手を広げた。
「でも……」
摂津の顔に苦渋が滲んだ。
「俺は消滅することはない。摂津もそう言ってたじゃないか」
「今在るおまえといたい。……」
「応援、よろしくな」
「あ、ばかっ!」
龍はひらりと身を躍らせて、一気に石段を下った。

龍の言ったとおり、結界を出た龍は、真っ直ぐに大怪百済の心臓の方向へ吸い寄せられていった。直進する龍には、高速で飛び回る物々が障害となった。
「く、くだらーっ!」
だが中心にいた百済は意識があるようには見えなかった。


頭から出血したらしい、目の中に自分の血が流入してきた。
ガマ石が右足の頸骨に炸裂した。
心臓に近付けば近付くほど、公転速度が上がるので、避けようが無くなるのだ。

袖で目元の血を拭う。
腕を伸ばす。
その腕に、容赦なく何物かがぶつかって、砕けた。
だが指先に確かに感じた。

百済! 助けてやるから!

龍の脳内に
「優衣君、優衣君……」
百済の叫びがこだましている。
腕の筋が切れたに違いない。
力が入らないが、身体ごと百済に摺り寄った。

口で「大怪初号の素」を引きはがした。

熱い!

「りゅう!!!!!」

摂津が悲鳴を上げた。
五郎の短刀を引掴み、艶やかな黒髪を根本から切った。
結界を飛び出しても、最早何も起こらなかった。
摂津はその黒髪を散らした。
五郎も短刀を摂津から奪い、自分の髪を同じように切った。

上空で「大怪初号の素」の一部が欠損した。
小箱の中に閉じこめられていたものが、激しく反応した。
反応は暴走し、あっという間に臨界に至る。
おびただしい光の洪水の中で、心臓付近にあった性のない「気の澱み」が音にならぬ悲鳴を上げながら、消滅していった。
逃げおおせた物々、大怪百済を構成していた物が、放物線を描いて地に落ちていった。
龍と百済が高速で回転しながら落ちてくる。

龍は覚悟を決めた。
ただ、百済は助けようと思った。
淳良がそう願った。
初めて好きになった女の子の兄だから、どんな男であっても兄だから、消滅ではなく成仏をと、彼がそう願うから。

2人の身体の落下が止まった。
自転運動も終息し、2人はゆっくりゆっくりと降りてきた。
羽根のように。


…ばかだなあ、摂津。尼そぎなんかおまえに似合わないぞ。

…ばかはそなただ、龍。尼そぎだろうが、蓬髪だろうが、いつでもそなたには麗しい我を見せてやっておるに。


摂津に自らの全ての「力」を託した五郎は、とうに気を失っていた。
摂津は傷だらけの小蛇を両手に受け止めると、崩れ落ちた。

人間達は彼らに駆け寄り、抱き起こした。その身体は羽根のように軽くなっていた。


意識を取り戻した摂津は龍が「冬眠」していることを確認した。
「待っていれば、もとの龍に会えるのか?」
「……それは我がやる。単に待っているだけなら100年もかかるだろう。そなたの通力を与えても、2月や3月は起きないだろう。だから、……」
「それは俺が弱い、からか?」
摂津が頷いた。綵(あやぎぬ)に包んだ龍を、風綬は摂津の方に差し出した。
「よろしく…たのむ…」
語尾が震えた。頬が熱い。
摂津は綵ごと龍を受け取って、そっと胸に抱いた。


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