「16・犬枕とコトラ」


特に用事がない時、龍は小蛇の姿で椋の枝に絡まっている。

身体の中に、芯のような、核のようなものができて、いつでも人間体でいられるようにはなった。
だが、通力をなるべく節約しておきたい。

「龍、また蛇なの?」
摂津が手を伸ばした。
「節約中」
「そうなんだ?……まだ、我のことを避けてるのか?」
蛇がどさりと落ちた。
「さっ…さっ…避けてなどっ……!」
摂津は屈み込んで、蛇を拾い上げ、枝に戻してやった。
「また五郎が余分なことを言ったのではないか?」
「言ってない、言ってない」
「それなら良いが……。五郎も迷っているんだ。赦してやって欲しい。何せ、おまえのような風変わりな神霊、初めてだし」
「………」
2人は黙って高い空を見上げた。
「なあ、摂津」
「うん?」
「……ごめん、なんでもない」
「そう……」


コトラは最初犬枕が怖かった。
犬の匂いがしない。
犬に見えない。
それなのに、犬の雰囲気がする。
〈いぬ? いぬなの?〉
〈いぬだよ。おまえもねこみたいないぬだね〉
〈おもしろいでしょう?〉
〈あそぼ?〉
〈いいよ。でも、どうしていぬのにおいがしないのかなあ?〉
〈いぬなんだけど、からだがまくらなんだ。でもいぬだよ〉

犬枕は噛めないから、枕の角で軽く押した。
犬枕は尻尾がないから、何度も跳んだ。
〈ちょっとくふうすれば、いっしょにあそべるんだね〉
コトラは素直に感想を述べた。

摂津の足元を、犬と犬枕が追い掛け合いながら、通った。
龍もおやっと躯を起こした。
「あいつ、枕だぜ」
「でも、犬だよ」
摂津が目を細めた。
「姿は変わっていても、同じ犬の心を持つ者同士なんだよ」
いつの間にか、龍も人間体に戻り、2人並んで犬たちを見ていた。

淳良が石段を上ってくる気配がすると、2匹とも同じ方向に駆けだした。
「わんっ! わんっ!」
コトラは尻尾もお尻も振りまくっている。
犬枕は飛び跳ねながら、やはりお尻と思しきところを振っているのだった。
「よーし、よし、よし」
コトラに顔を舐め回され、犬枕に頭?をぐいぐいと押しつけられて、淳良は嬉しそうに双方を抱いた。
「おまえ達、2匹とも俺の犬だ。犬枕クンを風綬に譲るなんて、やっぱりできない」
「おかえり、淳。どこへ行ってたの?」
「あ、摂津、龍。算博士のところだよ。犬枕クンがもうちょっと犬っぽくならないかと思って、相談に行ってきたんだ」
「2匹の飼い主はおまえだよ。風綬には俺から言っとくから」
「龍が言うと却ってこじれるよ。だから、俺が自分で断る。風綬の動機は不純なんだしさ」
淳良は2匹を抱いて立ち上がった。
「犬枕クン、明日尻尾が付くよ。嬉しい?……嬉しいんだ、良かった。今晩、優衣君に会いに行こうよ。犬枕クンとコトラの両方を見てみたいんだって。犬枕クン専用の結界騎手なら、今百済が作ってるから」

淳良が張り切って出かけてしまった。
威尊親王が淳良を呼ぼうとしたのだが、行き先を聞いて納得した。
「何があったの?」
「暁人皇子から文が来た。優衣君と淳良がどうなってるのか、と」
「ああ……。あの姫ならば、仕事にも慣れてしっかりとしたところを見せているだろうから、言い寄る者も多かろう」
「誰にも返事をしてないそうだ。後見人の俺を懼れて、暁人の方にどうなっているのかと、ひっきりなしに聞かれるらしい。俺に子ども同士の進展具合など分かるか」
「親王様ぁ!」
摂津はいきなり親王に抱きついた。
「な、なんだー?」
威尊親王は相手を抱きとめた。
「嬉しい……。出会った時、……あなた様は怒りと怨みしかありませんでした。世を拗ねて、刹那的で、辛うじて淳良に救われてて。ああ、今度はどんな残虐なことをやらされるのだろうと思って……でも、もうその心配は消えました」
「おいおい」
何をふざけてるんだ、と言おうとして、摂津の顎に手を掛けて上向かせた。
「!」
「……見ないで…」
「見ない」
もう1度抱きしめ、引き倒した。
「おい、摂津」
「何?」
「俺がそちらの保護者だ。風綬や淳良同様、人外も、だ。俺には話しとけ。そなたらの異様な緊張感の正体を」
「……そんなに甘えられません」
「甘えろよ。おまえに惚れてるんだから」
「……ばか…。本気にしますよ?」
「本気にしろ」
「……何から、話そうかな」
御簾の外で、五郎が溜息を洩らした。


淳良の膝を巡って争いはあるものの、犬同士で遊ぶ姿がみられるようになった。
風綬は時々2匹の方を見て安心する。
その風綬を見て、威尊親王が溜息を吐いた。
「おい、五郎」
五郎は目だけ上げた。
「正直、あいつをどう思う?」
「彼にとって、龍は父親のようなものか、と」
「……そうかな」
「子どもの頃から守られていたことは、本人も承知しております」

わからん……親王も困惑している。

五郎も分からない男だ。
摂津が鬼となった原因を作ったのは、五郎だという。
鬼となっても、共にいたいと願ったはず。
そうまで執着したのに、摂津が威尊親王や龍に抱かれるのを、平然と見守れるのは何故だ?
今は彼も摂津の成仏を願うという。
唯一の方法が、神霊の妻として神霊の世界に往生することだというなら、もう2度と会えなくなるではないか。
五郎の執着が消えたとは、とても思えない。
彼は永遠に一人でこの世を彷徨い続けるのだろうか。

龍はどう思っているのだろう?
摂津を好いていることに間違いはあるまい。

それより、摂津自身だ。
思い悩んでいるように見える。
何に対しても素直な摂津は、親王も五郎も龍も好きだという。
嘘は無かろう。
「ああ、今度はどんな残虐なことをやらされるのだろう」
人間である親王に対する、最も素直な気持ちを聞いてしまった。
同時に、五郎も鬼であることに対する、摂津の最も素直な気持ちを聞いた。
龍だけは違う。龍だけは摂津を苦しみから救い出してやれる。

祠の中で、百済は眠れぬ昼を過ごしている。
昨晩、戻ってきた淳良が確かに言ったのだ。

「尼君にそろそろはっきりしろって言われた。しっかりものの女官として、優衣君は評判が高いらしいんだ。言い寄ってくる殿上人も多いって。
俺は郡司の子に過ぎないけどさ、諦めろと言い切れないって、尼君が言ってくれるんだ……。
京で官職を得て、何年か勤めたら、俺、郷里に帰るよ。先のことだけどね。
優衣君についてきて欲しいって頼むつもりだよ」

ばかげている、と百済は思った。
だが、本当のことなのか?
あの優衣君が「しっかりものの女官」だって?
言い寄ってくる殿上人?
……とても信じられないが、もし本当のことなら、自分が鬼として優衣君に付き添うことに何の意味があるのだろう?


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